譲位
譲位(じょうい)は、君主が、その地位を生きているうちに後継者へ譲り渡す行為である。通常は、世襲を原則とした地位の継承について言う。
また、東アジアの漢字文化圏においては、地位を譲り受けることを、受禅(じゅぜん)という。
概説
君主を含む権力者が、世襲その他のあらかじめ決められている地位継承の規定や慣例によらず、有能であるなどの理由で、その地位にふさわしいと考える者に自分の地位を譲ることは、譲位ではなく、禅譲と言う。また、前任者の意思によらずにその地位についた場合の継承は、譲位とは言わない。譲位は、君主の意思の表現、とみなすことができる場合がある
各国の例
日本
天皇
日本で最初に譲位を行った天皇は皇極天皇とされている。ただし、これは乙巳の変を受けた非常事態下の譲位であり、また譲位後には皇祖母尊(すめみおやのみこと)という特別な尊号が定められている(後に斉明天皇として重祚)。平時における譲位または譲位した天皇に太上天皇(上皇)の尊号を授けられたものとしての最初の事例は次の持統天皇の例となる。
江戸時代の後水尾天皇は、紫衣事件など、天皇の権威を失墜させる江戸幕府の行いに耐えかね、幼少の興子内親王(後の明正天皇)へ譲位を行った。この譲位は、幕府に対する天皇の抗議、という意味でとらえられている。通常、譲位した天皇は太上天皇(上皇)の尊号を受けた。上皇となった天皇が再即位(重祚)した例もある。
但し、譲位が縦え君主の意思表示であったとしても、それだけでは不可能である。譲位の儀式及び退位後の上皇の御所造営には莫大な費用がかかり、朝廷がそれを負担出来なければ譲位は行えなかったのである。実際、室町幕府の支援で儀式を行った後花園天皇と豊臣政権の支援で儀式を行った正親町天皇の間の戦国時代に在位した3代の天皇(後土御門・後柏原・後奈良天皇)は全て在位したまま崩御した[1]。
大日本帝国憲法下では、天皇の譲位は認められていなかった。明治22年(1889年)に制定された旧皇室典範では、第10条で「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と規定し、天皇の崩御によって皇位の継承が行われることが規定されていた。又、旧皇室典範には、皇位継承の順序が明確に規定されていた。
日本国憲法下でも、天皇の譲位は認められていない。昭和22年(1947年)に施行された現行の皇室典範は、その第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と規定されており、この点は旧皇室典範と同様に、皇位の継承は天皇の崩御によってのみ行われることを定めている。又、現行の皇室典範でも、第2条で皇位継承の順序を、第3条でその順序の変更について規定しており、天皇は自らの意思によって継承者を指名することはできない。
徳川家
君主ではないが、徳川将軍家の場合、将軍が死去まで在任せず[2]、存命中のうちに後任者に将軍の役職を譲ることがよく行われていた。中でも、退任後も政治的影響力を持っていた徳川将軍は、大御所とも呼ばれた。
脚注
- ↑ ただし、この時代には天皇の在位中の崩御は禁忌とされていたため、新天皇への譲位・践祚の儀式が終わった後に、旧主(上皇)としての葬儀が行われている(井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012年、p.168)。
- ↑ 徳川将軍の中で亡くなるまで終身将軍に在職していたのは3代家光、4代家綱、5代綱吉、6代家宣、7代家継、9代家治、12代家慶、13代家定、14代家持の9名。他の将軍就任者は存命中に将軍職を退任している。