デウス・エクス・マキナ
テンプレート:出典の明記 デウス・エクス・マキナ(Deus ex machina, Deus ex māchinā)とは演出技法の一つであり、ラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」を意味する。一般には「機械仕掛けの神」と表現される。「デウス・エクス・マキーナ」などの表記もみられるが、ラテン語としては誤りで、より忠実に発音転写するならば「デウス・エクス・マーキナー」となる。
由来
由来はギリシア語の ἀπό μηχανῆς θεός (apo mekhanes theos) からのラテン語訳で、古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。悲劇にしばしば登場し、特に盛期以降の悲劇で多く用いられる。アテナイでは紀元前5世紀半ばから用いられた。特にエウリピデスが好んだ手法としても知られる。
エクス・マーキナー(機械によって)とは、この場面において神を演じる役者がクレーンのような仕掛けで舞台(オルケストラ)上に登場し、このからくりが「機械仕掛け」と呼ばれたことによる。由来は、「機械仕掛けで登場する神」ないし、舞台装置としての解決に導く神そのものが機械仕掛けであることとも解される。日本語で思いがけない展開を指す「どんでん返し」(歌舞伎において、大道具の背景を倒し、瞬時に場面転換する「強盗返」から来た)あるいは「超展開」とも発想は類似している。日本で発想が類似する演出としては、テレビドラマ「水戸黄門」のオチで出される葵紋の印籠や、ザ・ドリフターズ のコントで著名になったタライ落としなどが挙げられる。
井上勇は創元推理文庫のヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』で、「時の氏神」と翻訳している。
評価
内容
古代ギリシアの時点で既にこの手法は批判されている。アリストテレスの『詩学』において、デウス・エクス・マーキナーは褒められた解決方法ではない、とされている。アリストテレスは、演劇の物語の筋はあくまで必然性を伴った因果関係に基づいて導き出されていくべきであるとし、行き詰った物語を前触れもなく突然解決に導いてしまうこのような手法を批判している。現代においても余り良い評価は得ているとは言えない手法である。
技術
好ましくない解決とされることの多いデウス・エクス・マーキナーではあるが、舞台の機械装置の発展としては、盛期アテナイ演劇の成果のひとつとして評価される。
デウス・エクス・マキナの例
ギリシア悲劇
- アイスキュロス『恵み深い女神たち』 - アトレウス家のオレステスを追う復讐の女神たちに対して、アポロンがオレステスの無罪を宣し、女神たちが承服する。
- ソポクレース『ピロクテーテース』 - オデュッセウスの説得を拒むピロクテーテースに対して、神となったヘーラクレースが現れ、アカイア勢への助力を命じる。
- エウリピデス『オレステス』 - 母を殺したオレステスは狂い、エーレクトラーともども死刑を宣告される。エーレクトラーはその原因であるとみなしたメネラウスを殺そうとするが、アポロンの計らいで和解する。
- エウリピデス『タウリケのイーピゲネイア』 - 逃亡したオレステスとイーピゲネイアに追っ手を出そうとしたタウリケの領主に女神アテナが現れ、追っ手をとどめる。
悲劇
- ゲーテ『ファウスト』 - ファウストはメフィストフェレスと「時よ止まれ、汝はいかにも美しい」と言えばメフィストフェレスに魂をゆだねるという契約を結んだ。終幕で彼はこの言葉を吐いて絶命し、メフィストヘレスは彼の魂を地獄に運ぼうとするが、唐突に現れた天使やグレートヒェンの霊によって遮られ、神による救済に至る。
喜劇
オペラ
参考文献
- 中村善也(1979)「悲劇の終わりの「神」-エウリピデスのデウス・エクス・マキナについて-、岡道男、松本仁助、中村善也共編『ギリシアローマの神と人間』 東海大学出版会 161-190ページ
- Akiko Kiso(2004)What Happened to Deus ex Machina after Euripides?
- AbleMedia Classics Technology Center[1]