帝国劇場
テンプレート:ホール概要 帝国劇場(ていこくげきじょう、英語:Imperial Theatre)は、東京都千代田区丸の内三丁目にある東宝の直営劇場である。帝劇(ていげき)の通称で知られる。
歴史
帝国劇場は、益田太郎、西野恵之助、渋沢栄一、荘田平五郎、福沢捨次郎、福沢桃介、日比翁助、田中常徳、手塚猛昌が発起人となり[1]、大倉喜八郎が采配を振って設立された本邦初の西洋式演劇劇場で、1911年(明治44年)3月1日に竣工式が行われた。横河民輔の設計によるルネサンス建築様式の劇場だった。1912年(大正元年) - 1916年(大正5年)にイタリア人音楽家ローシーを招いてオペラ・バレエを上演したほか、六代目尾上梅幸と七代目松本幸四郎が専属俳優となって歌舞伎やシェイクスピア劇などを上演。当時の「今日は帝劇、明日は三越」という宣伝文句は流行語にもなり、消費時代の幕開けを象徴する言葉として定着した。
1923年(大正12年)の大正関東地震(関東大震災)では外郭を残して焼け落ちたが、横河民輔により改修され、翌1924年(大正13年)に再開した。1930年(昭和5年)に松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用。SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となった。1939年(昭和14年)、運営会社を東宝が合併し、翌1940年(昭和15年)松竹の賃借期限が切れると共に東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻す。しかし1955年(昭和30年)、舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じたが、1964年(昭和39年)から翌年にかけての『アラビアのロレンス』を最後に解体。谷口吉郎の設計で新たに現在の帝国劇場が1966年(昭和41年)9月29日に落成した。帝劇ビルの一部は落成当時から、石油業界大手の出光興産が本社として使用している。1969年(昭和44年)から1984年(昭和59年)まで、『日本レコード大賞』発表会も行われた。現在、年間10作品程度上演している。また大晦日に行なわれる年末ジャンボ宝くじの抽せん会場としても知られた(1997年 - 1999年、2001年 - 2005年は新宿コマ劇場で、2006年 - 2009年は東京厚生年金会館で行われていた。2011年以降は赤坂ACTシアターで行われている)。
主な公演
- 「式三番」「頼朝」「最愛の妻」「フラワーダンス」(1911年初代劇場開場演目)[2]
- 風と共に去りぬ(Gone with the Wind)(1966年11月初演)
- 屋根の上のヴァイオリン弾き(Fiddler on the Roof)(1967年9月初演)
- 王様と私(1968年11月初演)
- ラ・マンチャの男(1969年4月初演)
- マイ・フェア・レディ(1970年7月初演)
- 近松心中物語(1979年2月初演)
- レ・ミゼラブル(Les Miserables)(1987年6月初演)
- ミス・サイゴン(Miss Saigon)(1992年5月初演)
- エリザベート(Elizabeth)(2000年6月初演)
- SHOCK(2000年11月初演)堂本光一主演
- DREAM BOY(2004年1月初演)
- マリー・アントワネット(Marie Antoinette)(2006年11月初演)
- 新春滝沢革命(2009年1月初演)滝沢秀明主演
- ひこうき雲 -七枚の手紙-(2009年8月)
定紋
現在は使用されていないが、元来扇子と翁(おきな)の面を組み合わせた物を使用していた。この定紋は運営会社の社章を兼ねていたが、その後、翁面が帝国劇場の英訳頭文字「T・S」を組み合わせた物に代わり、更に東宝と合併したことで東宝マークに切り替わった。現在、帝劇脇の入り口横と、東京メトロ銀座線田原町駅1番線(渋谷行き)ホームの浅草寄りの天井にそれぞれ掲げられている。
その他
建物は国際ビルとの一体型複合ビルである。
当劇場の廻り舞台は大小4つの迫りが内部に設置されており、直径16.4m・高さ22mあって劇場のある地上1階から地下6階までを貫く[2]。
脚注
関連書籍
- 帝劇史編纂委員会編『帝劇の五十年』東宝、1966
- 嶺隆『帝国劇場開幕 今日は帝劇明日は三越』中公新書、1996
- 東宝株式会社演劇部監修『帝劇ワンダーランド 帝国劇場開場100周年記念読本』東宝演劇部 2011
- 『コレクション・モダン都市文化 第71巻 帝劇と三越』山岸郁子編 ゆまに書房 2011
- 『帝国劇場100年のあゆみ 1911-2011』『帝国劇場100年のあゆみ』編纂委員会,東宝株式会社総務部編 東宝 2012