テレフォンクラブ
テレフォンクラブとは、電話を介して女性との会話を斡旋する店。通称テレクラ。おおよそ、個室で女性から店に電話がかかってくるのを待ち、その女性との会話を楽しむもの[1]。個室にはティッシュペーパーが配置するなどされており[1]、テレフォンセックスが行われる場合もある[2]。基本的にはそれだけなのであるが、女性との交渉次第では機会を改め店の外で逢い引きを行うことや、性行為を行うことも可能である[1]。
1985年の風俗営業法改正後に注目され、流行した業態。全国で最初に登場した店は1985年に小林伴実により開業された新宿「アトリエキーホール」、もしくは同年秋に同じ新宿に開業した「東京12チャンネル」と諸説ある。現在はパソコンや携帯のインターネットの出会い系サイトが普及したためか衰退している。
システム
- 男性は店に行って時間ごとの料金を払い、狭い個室の中で電話がかかってくるのを待つ。
- 女性は自宅や公衆電話、携帯電話等から店に電話をかける。女性用ダイヤルは普通フリーダイヤルとなっている。一般女性がテレクラの番号を知るのは雑誌広告や街頭で配布されるティッシュ、道路・鉄道の駅付近の看板などである。
- 男性は利用時間の途中で約束した女性と会うために外出できる。その日のうちならば再入店し、残り時間[4]も引き続き利用できる店舗が多い[5]。
店によって、店員が順番に客に女性からの電話を回すシステムと、早く受話器を上げた客が電話をとることが出来るシステムの大きく二つに分けられる[1]。なお、東京都など一部の自治体では条例により「早取り」形式は禁止されている。
歴史
朝日新聞1986年4月3日夕刊(東京版)の「テレホンクラブ」(テレクラ)の記事に、テレクラで男性客とデートをしていた家出中の女子高生が補導されたという内容が掲載された。同記事によれば、テレクラは1985年秋頃から新宿・渋谷などに急増し、この頃までに100軒ほどあったという。
1990年代初頭には、一般の女性も多数参加し、同様の店が全国各地に広がり、流行していた。女性は無料であるため、女子中高生がいたずらでかける場合も多数あった。始めはいたずらでかけているつもりでも、度々かけているうちに相手に興味を持ったり、金銭を提示されたりして、実際に会ってみる気になることは十分ありうることであった。女子中高生の援助交際が問題になると、テレクラがその温床ではないかとの批判が強まった。
1990年頃にはレディースコミックに10-15ページほどのテレクラ広告が掲載されていたという[2][6]。
宮台真司は多摩地域のテレクラの状況を調査して、近年の若者の状況を社会学的に考察した(『制服少女たちの選択』1994年)。テレクラは1980-90年代の日本独特な出会いの文化として位置づけられる。
1995年に岐阜県で青少年のテレクラを規制する青少年保護育成条例が改正されて以降、全国の自治体でテレクラ規制条例が制定されていった。1999年改正の風俗営業法に規定されて年齢確認や営業地域が限定されるなど規制が強化され、2000年以降は一時衰退傾向が見られた。その代わりにインターネットの普及から、出会い系サイトが流行りだした。2002年には同法の改正に伴い、テレクラの利用者(男性・女性は問わない)全てに対し18歳以上であることを示す身分確認を求めることが義務付けられ、深夜0時から日の出までの間のテレクラとしての営業が禁止されたことから[7]、さらに利用者が減少し多くのテレクラが廃業した。だが、現在もテレクラは各地に存在していて、男女の出会いの場を提供している。
テレコミ
テレクラやパーティーライン、ツーショットダイヤル等、電話を介したコミュニケーションの総称を「テレコミ」と表現する事がある。
脚注
参考文献
- テンプレート:Cite book ja-jp - ただし脚注で明記されている範囲のみ。
関連項目
- テレクラ放火殺人事件 (テレクラ店の競合がきっかけで発生した放火殺人事件)
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