北条氏 (大仏流)
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大仏流北条氏(おさらぎりゅうほうじょうし)は鎌倉時代の北条氏の一族。始祖は北条時房の四男・北条朝直。時房流の嫡流であり、朝直の子から様々な庶流がある。
初代朝直は、従兄で得宗家当主の北条泰時の娘を妻としたことから、北条一族のなかで重んじられていたようであり、子孫は代々鎌倉幕府の要職につき[1]、3代宗宣は幕府の第11代執権に就任した。但し、宗宣―維貞(初め貞宗)―高宣は、時宗―貞時―高時と、得宗家から偏諱の授与を受けており、将軍を烏帽子親として一字を与えられていた得宗家と赤橋流北条氏の当主に対し、大仏流北条氏の当主は金沢流北条氏の当主とともに得宗家を烏帽子親とする、それよりも(家格的には)一ランク低い家と位置づけられていたとの指摘もある[2]。
系図
- 太字+数字は嫡流。
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脚注
テンプレート:Reflistテンプレート:Japanese-history-stub- ↑ 朝日日本歴史人物事典(コトバンク所収)「大仏朝直」の項(高橋慎一朗執筆)より。
- ↑ 山野龍太郎「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」脚注(27)(所収:山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』(思文閣出版、2012年、ISBN 978-4-7842-1620-8)p.182)より。これに従えば、2代宣時の「時」の字も北条時頼からのものである可能性があり、その他「宗」「貞」「高」の字の付く人物も得宗家から一字を受けていたことになる。但し、同ランクの金沢流北条氏の初代・実泰が将軍・源実朝より一字を受けていたことを考えると、初代の朝直に関しては将軍(同じく源実朝)から一字を賜ったものとみられる。