二百十日
二百十日(にひゃくとおか)は雑節のひとつで、立春を起算日(第1日目)として210日目(立春の209日後の日)にあたる。
21世紀初頭の現在では平年なら9月1日、閏年なら8月31日である。数十年以上のスパンでは、立春の変動により9月2日の年もある。
季節の移り変わりの目安となる「季節点」のひとつ。台風が来て天気が荒れやすいと言われている。夏目漱石『二百十日』が有名である。
俗説
暦学者:渋川春海が貞享暦を編んだ際、初めて採用したと言われる。
渋川は釣り好きで、隠居していたある日、江戸品川の海に舟を出そうとした時、一老漁夫が海上の一点の雲を指し、「50年来の体験によると210日目の今日は大暴風雨になる可能性が高いから舟を出すのはやめた方が良い」と教えた。これがはたしてその通りになり、その後も注意していると確かに210日頃は天気が荒れる事がわかり、貞享暦に書き入れたという[1]。
真相
渋川が採用したという話の矛盾点は、すでに20世紀前半に気象学者の堀口由己が指摘している他、その後も大谷東平・根本順吉らが同じように説いている。
渋川は1639年生まれであるが、根本によれば1634年の文書にすでに210日の記述がある。また伊勢暦には1656年から記載されているので、渋川はまだ青年であり、隠居後の話という言い伝えと矛盾する。
成立の事情
八朔(旧暦8月1日)や二百二十日とともに、農家の三大厄日とされている。太陽暦(新暦)では9月1日前後で一定するが、太陰太陽暦(旧暦)では閏月が入るなどして、7月17日から8月11日前後まで、「二百十日」がどの日に該当するのかが一定ではなかった。そのために必要になった暦注であると言われている。台風襲来の特異日とされ、奈良県大和神社で二百十日前3日に行う「風鎮祭」、富山県富山市の「おわら風の盆」など、各地で風鎮めの祭が催されてきた。
冒頭に書いたように、この日の頃に台風が多いという事実はなく、むしろ8月下旬と9月中旬の台風襲来の山にはさまれ、210日頃の台風はむしろ少ない。堀口は、この頃が稲の出穂期に当たり、強風が吹くと減収となる恐れがあるために注意を喚起する意味で言われ始めたのであろうとしている。