藤原基頼

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テンプレート:基礎情報 公家 藤原 基頼(ふじわら の もとより)は、平安時代後期の公家、武人。右大臣藤原俊家の子。持明院家の祖。陸奥越前能登といった各国の国司や常陸介を歴任した。

生涯

上流貴族の家に生まれたが、弓や馬、鷹、犬といった武芸を好み、武人としても活躍した[1]康和5年(1103年)に陸奥守に任じられ、翌康和6年(1104年)には鎮守府将軍を兼ねた。天永2年(1111年)頃には東北の蝦夷を討った。

現在の京都市上京区に邸宅を構え、邸内に持仏堂を営んでこれを持明院と名付けたため、基頼の子孫は持明院家を称している。

系譜

  • 父:藤原俊家
  • 母:家女房(源為弘の娘)
  • 妻:藤原国仲の娘
  • 生母不明
    • 男子:藤原俊保
    • 男子:覚基
    • 女子:

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 尊卑分脈』に「嗜弓馬好鷹犬、達武略」とある。
先代:
持明院家
初代
次代:
藤原通基

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