邪教
テンプレート:内容過剰 テンプレート:独自研究 テンプレート:出典の明記 邪教(じゃきょう)とは、邪(よこしま)な教えのこと。淫祠邪教(いんしじゃきょう)や邪宗(じゃしゅう)ともいわれる。他宗教を非難するときや、国家権力や統治者等が特定の宗教への弾圧目的でも使用する用語である[1]。
日本
日本では、江戸時代にキリシタン(隠れキリシタン)を邪教として弾圧した[2][3][4]。
1868年(明治元年)の五榜の掲示で、「切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ、若不審ナル者有之ハ其筋ノ役所ヘ可申出」とされ、明治政府により、キリスト教信仰が禁止された。キリスト教信仰が合法となったのは、1873年(明治6年)2月24日に「禁制高札の撤去」が発布されてからである[5]。
明治時代、コレラの治療として神水を配布した蓮門教が淫祠邪教として徹底的に批判され衰退した[6][7]。1901年、明治政府は、淫祠邪教の取り締まりを強化すると発表した[8]。
1921年、内務省は、複数の宗教団体を邪教淫祀とみなし、そのひとつである大本教の神殿を全て取り壊す決定を行った。同時に祭神不明の一千余りの神社を廃止することを決定した[9][10]。
1933年8月、神道天津教が邪教であるとされ、本部が警視庁から閉鎖を命じられた[11]。
1935年(昭和10年)には、大本教などが淫祠邪教とされて政府から弾圧を受け、全国紙でもそのように断定して批判、報道された[12][13][14]。大本教に対しては刑法第74条「皇室に対する罪」の適用に加えて、治安維持法も適用された[15]。
遠藤高志の論文では、「1936年には「類似宗教」「邪教」と銘打った書籍の出版が集中した[16]。」と書いてある。同年には宮内省の女官長が邪教にまつわる不敬被疑をかけられて、検挙された[17]。文部省は、1935年から1936年の調査により、神がかり、呪い、祈祷などで人心を魅惑し、迷信に引きずり込んだ邪教が約150種に及ぶと発表した[18]。
1937年の日華事変勃発後は、再び淫祀邪教が蔓延しているとされ、警視庁特高部の発表によれば、事変発生前の10倍以上となったとされている[19]。
1939年、治安維持法や刑法に該当しない場合に取り締まり可能とする「宗教団体法案」が、議会に提出された[20]。
戦前に制定された宗教団体法は、宗教の自由から宗教法人令となっていたが、43派の新興宗教が良俗を破壊するおそれがあるとされた。その対策として文部省は1950年、届出制でなく認証制に改める宗教法人法を国会に提出した[21]。
日本国外
中国では、南北朝時代、隋、唐の時代などに仏教が邪教と見なされ、弾圧された(三武一宗の法難)[22]。
1958年8月、韓国の「朴泰善長老教」が世論を惑わす邪教であるとして、教祖が拘束され、1年半の懲役刑が言い渡された[23]。
1979年、処女いけにえの儀式や批判者たちに手製爆弾を仕掛けた暗黒魔術教事件で、スイス連邦刑事裁判所は、インド人の教祖スワミ・オムカラナンダに対して殺人未遂などの主犯として認定、懲役14年、国外追放15年の判決を言い渡した[24]。同年フィリピン・マニラの日刊紙、「ブレティン・トゥデー」は、ミンダナオ島南コタバト州テンプレート:仮リンク山麓で邪教集団が人肉を食べているという報告がフィリピン警察軍兵士よりあったことを伝えた[25]。
1999年10月12日、1万人以上の信者のいた「主神教」の教祖で、1998年6月に逮捕されていた劉家国が婦女暴行、非合法組織の設立、社会秩序の破壊などの罪で銃殺刑を執行された[26]。
同年10月30日、中国の全国人民代表大会は、法輪功など、中国当局がカルトとみなす組織の摘発強化を図る「邪教組織の取り締まりと防止・処罰に関する決定」を可決した[27]。主神教は、中国共産党政権を打倒して、「神の国」創設を目標としており、中国公安省より「全国五大邪教組織」の1つとされていた[28]。
2001年、中国当局未公認のキリスト教団体「華南教会」の創始者2名が、「邪教」を利用し違法活動をした罪などで死刑判決を言い渡された[29]。
2012年12月、中国ではマヤ暦に基づき、2012年人類滅亡説を唱えていた「全能神」の関係者800人以上を拘束した[30]。
脚注
関連項目
外部リンク
zh:邪教- ↑ 大辞林(三省堂)
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- ↑ 醜聞続発の「蓮門教」島村みつ会長を内務省社寺局が召喚 読売新聞 1894年4月17日朝刊2ページ
- ↑ 壮士俳優らが蓮門教攻撃の演劇や路傍演説 読売新聞 1894年5月8日朝刊3ページ
- ↑ 淫祠邪教の取締励行 読売新聞 1901年12月8日朝刊5ページ
- ↑ いよいよ全国一千の邪教淫祀を内務省で廃止する 近く調査総会を開いて確定 読売新聞 1921年10月8日朝刊5ページ
- ↑ 大本教の神殿を全部取払へ 床次内相厳命を発す 読売新聞 1921年10月8日朝刊5ページ
- ↑ 神道天津教の本部 閉鎖を命ぜらる 警視庁の邪教退治愈よ峻烈 読売新聞 1933年8月12日夕刊2ページ
- ↑ 大本教再び邪教の本体暴露 不敬事件の確証あがり、断乎!内務省が弾圧の命 読売新聞 1935年12月8日号外 1ページ
- ↑ 断乎邪教取締り 内務省の積極策決る 読売新聞 1935年12月9日朝刊7ページ
- ↑ [社説] 淫祠邪教の掃討を期せ 読売新聞1935年12月10日朝刊3ページ
- ↑ 治維法も適用 邪教根絶へ 更に大々的家宅捜査
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 総監、宮内庁を訪問 邪教事件報告 読売新聞 1936年9月1日夕刊2ページ
- ↑ 淫祀邪教の正体へ 鋭き学術のメス 読売新聞 1936年9月9日朝刊7ページ
- ↑ 三木清 淫祀邪教の蔓延 読売新聞 1938年9月21日第二夕刊1ページ
- ↑ 戦争の時に多い 邪教や迷信の禍ひ 愈よ法律で取締り 読売新聞1939年2月28日朝刊5ページ
- ↑ 新興宗教にお目付役 キツい法令でどしどし追放 読売新聞1950年8月29日朝刊2ページ
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 東亜日報襲撃さる 暴露記事怒った新興宗教徒 読売新聞 1960年12月11日朝刊2ページ
- ↑ 教祖に懲役14年の判決 スイス邪教事件 読売新聞1979年5月23日夕刊10ページ
- ↑ 満月の夜 人肉儀式ミンダナオの邪教集団 読売新聞 1979年7月15日朝刊 22ページ
- ↑ カルト教団の教祖を銃殺刑 読売新聞 1999年10月14日朝刊6ページ
- ↑ 全人代「邪教摘発」可決「法輪功」根絶狙う 当局に法的根拠 読売新聞1999年10月31日朝刊7ページ
- ↑ 中国でカルト教団撲滅作戦 教義に政権打倒 全国規模の組織も 読売新聞 1999年4月28日朝刊7ページ
- ↑ 中国、「地下教会」創始者に死刑判決 香港の人権団体が報道 読売新聞2001年12月31日朝刊6ページ
- ↑ 中国「邪教」信者800人拘束「世界滅亡」21日控え摘発強化 読売新聞 2012年12月21日朝刊7ページ