元良勇次郎
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元良 勇次郎(もとら ゆうじろう、安政5年11月1日(1858年12月5日) - 大正元年(1912年)12月13日)は、日本最初の心理学者である。
人物
「元良」は勇次郎が結婚した後の姓である。現在、一般に、元良勇次郎と呼ばれている。なお船舶工学者の元良誠三と物理学者の高橋秀俊は勇次郎の孫にあたる。 勇次郎の生まれた杉田家は、伝承によると九鬼守隆の学友であった杉田市郎右衛門の末裔とされているテンプレート:Sfn。 父親は三田藩の儒学者であったが、勇次郎が若いころ(1972年)に死去されたテンプレート:Sfn。 勇次郎は、同志社英学校最初の学生(全8名)で、開校当初に中島力造、上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけたひとりだった。同志社英学校では当時としてはめずらしい性理学(現在の心理学)の授業が行なわれており、ここでの心理学との出会いが彼の一生を決定付けた。性理学の講義を担当していたJ・D・デービスが蔵書していたテンプレート:仮リンク『精神生理学の原理』テンプレート:Harvに感化されるテンプレート:Sfn。
経歴
- 儒学者であった父の縁で、7歳より三田藩藩校の造士館にて儒学や洋学を学ぶテンプレート:Sfn。
- 1869年、英蘭塾に入塾し、川本幸民らに教えを仰ぐテンプレート:Sfn。
- 父の死後に、宣教師デービス(1838年生 - 1910年没)の説教を聞く機会をもちキリスト教の影響を受けた後に、神戸に住むデービスの元で下宿することとなる。テンプレート:Sfn
- 明治12年(1879年)春、津田仙から学農社農学校の教員に招かれ退学(同志社には3年余り在学した)。その後、東京英和学校(青山学院の前身)の設立にも参画する。
- 明治16年(1883年)、渡米しボストン大学の哲学科に入学するものの、教授のテンプレート:仮リンク(1847年-1910年)の保守的なキリスト教の哲学と進化論をめぐって対立してしまい後に依願退学するテンプレート:Sfn。
- 1885年、ジョンズ・ホプキンス大学の生物学教室に転向するテンプレート:Sfn。ジョン・デューイの講義を受ける。倫理学等も含めて学び、実験心理学の実験方法を体得した。ジョンズ・ホプキンス大学でPh.Dの学位を修める。(ただし心理学専攻ではなく哲学専攻で学位を取得したらしいことが最新の調査で明らかになりつつある)。
- 明治21年(1888年)、日本へ帰国し、東京英和学校の教員を務めた。また帝国大学文科大学にて精神物理学の講義を担当する。
- 明治22年(1889年)、外山正一(元東大総長)、神田乃武(元一橋大教授)と共に、正則予備校設立。後に正則高等学校となり現在に至る。
- 明治23年(1890年)、帝国大学文科大学教授に就任する。
- 明治26年(1893年)、心理学・倫理学・論理学第一講座担当となる(後に第2講座を中島力造が担当した)。
- 明治27年(1894年)、高等師範学校(現、筑波大学)において心理学を講じる教授を兼任。
- 明治39年(1906年)、帝国学士院会員に任命。日本における近代心理学の礎を築く。
- 大正元年(1912年)、カリエスがもとで死去した。従三位・勲二等瑞宝章。
功績の概要
それまで日本において、心理学の知識は英語など外国語で書かれた書物だけであった。つまり心理学という学問は日本に入ってきてはいたが、実際の具体的な手法(実験法、調査法、観察法)は誰も体験しておらず、日本では心理学は存在しなかったと言える。 勇次郎はクリスチャンの人脈を活かし海外に学び、そこで心理学の実験手法などを体得し、心理学を日本に持ち帰り、それを根付かせた[1]。
元良の提供した心理学の背景
元良が提供した心理学は、(ある意味当然のことであるが)当時の一流の学問を反映したものである。その学問的背景とも言えるものを簡潔にまとめると、例えば、
、と言うこともできる[1]。
具体的な研究内容、テーマの例
元良による心理学上の研究を、初期・中期・後期と大分して説明する。
初期の段階でもすでに様々なテーマについて実験を行っているが、ひとつ挙げると、「注意」について研究したことが挙げられる。このテーマは一貫して持ち続け、1907年には、児童の注意力とその訓練についての実験へとつながった。そして、学習がうまくできない児童について、能力が無いというわけではなく、「集中」のしかたを知らないからなのだ、という説明および訓練方法を示し[注釈 1]、当時の教育関係者から評価され、それなりに問題解決に貢献することになった[1]。
中期・後期のそれを挙げると次のようになる[1]。
- 円覚寺の塔頭である帰源院で禅を体験した(1894年)。[注釈 2]
- 横読み、縦読みの利害の実験(1895年)
- 白内障者の視覚に関する実験(1896年)
- 神経伝達の実験(1903年)
- 片仮名・平仮名の読み書きの難易の実験(1904年)
- 児童の注意力とその訓練についての実験(1907年)
- 心元 (簡単に言うと精神化したエネルギーのこと) (1909年)
- 顕心儀 (人の自我と、外界との関係の理解を助けるモデルの一種)(1909年)
著書
- 『教育新論』中近堂、1884年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『心理学』金港堂、1890年。テンプレート:全国書誌番号。(日本において、『心理学』という書名のものとしては最初のものである)
- 『児童学綱要』(高島平三郎らと共著)洛陽堂、1890年。
- 『万国史綱』(家永豊吉と共著)三省堂、1892年-1893年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『倫理学』 小野英之助・共著、1893年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『心理学十回講義』 富山房、1897年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『教育と宗教との関係』 光融館、1900年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『倫理講話 中等教育』 右文館、1900年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『倫理及宗教 現今将来』 勉強堂書店、1900年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『元良氏倫理書 中等教育』 成美堂、1902年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『心理学綱要』 弘道館、1907年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『論文集』 弘道館、1909年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『英独仏和哲学字彙』(井上哲次郎、中島力造と共編)丸善、1912年。テンプレート:全国書誌番号。
- 『教育病理及治療学』(榊保三郎らと共著)榊保三郎、1912年。テンプレート:全国書誌番号。
登場する作品
翻訳
- ヴィルヘルム・ヴント、ほか。『心理学概論』(中島泰蔵と共訳)富山房、1898-1899年。テンプレート:全国書誌番号。
- スタンレー・ホール(Hall, Granville Stanley)『青年期の研究』(中島力造らと共訳)同文館、1910年。テンプレート:全国書誌番号。
指導学生
参考文献
注釈
出典
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