赤倉温泉 (新潟県)
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テンプレート:日本の温泉地 赤倉温泉(あかくらおんせん)は、新潟県妙高市(旧国越後国)にある温泉。スキー場が有名で、この地域では随一の温泉街を形成する。
泉質
- 硫酸塩泉
- 炭酸水素塩泉
- 毎分2,042リットルの湧出量
温泉街
妙高山の山腹に位置する。江戸時代の湯治場から、明治以降はスキーリゾートとして本格的に開発された。日本でも有数の規模を誇る赤倉温泉スキー場を抱える。民宿や山荘などのリーズナブルな宿から、老舗旅館や高級リゾートホテルといった、幅広い宿泊施設を有する。
立ち寄り施設としては、滝の湯という露天風呂が存在する。開湯170年を記念して1986年に造られた。足湯に入れる足湯公園もある。宿泊施設によっては、入浴のみの利用も可能なところがある。
歴史
江戸時代
長らく、霊山妙高山の一角として一般の入山は禁じられて来た。1814年(文化11年)に地元民が開発を高田藩に願い出し、翌1815年(文化12年)に開発が許可。1816年(文化13年)に実際の開発に着手、引湯に成功した[1]。運営を高田藩が担当する、日本唯一の藩営温泉であった。 開湯から数年で10軒ほどの温泉街が形成された。
明治以降
明治、大正期を通じ発展していく。 尾崎紅葉、岡倉天心、与謝野晶子らの文人も赤倉を訪れた。尾崎は自著「煙霞療養」で赤倉を絶賛した。岡倉は赤倉をこよなく愛し、この地につくった別荘で永眠した。
アクセス
脚注
- ↑ 当時は「越後一本木温泉」と呼ばれており、1820年(文政3年)に蜀山人(大田南畝)は温泉開設の経緯を述べた随筆のなかで歌も詠んでいる。 「民草をめくむこころの一本木 もものやまひも除く温泉。 蜀山人」 江戸期の随筆(大田南畝「半日閑話」吉川弘文館(日本随筆大成 巻4)1927年,385頁)より。