奈良県立高田高等学校

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テンプレート:日本の高等学校 奈良県立高田高等学校(ならけんりつたかだこうとうがっこう、英語表記:Nara Prefectural Takada High School)は、奈良県大和高田市にある公立高等学校

概要

歴史
1921年大正10年)創立の「奈良県立高田高等女学校」を前身とする。1948年昭和23年)4月の学制改革により新制高等学校となり、同年9月に男女共学を開始した。2010年平成22年)に創立90周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 普通科(1学年あたり360名)
  • 一般選抜(320名) - 人文探究型(文系総合・人文科学)と自然探究型(理系総合・自然科学)に分かれる。
  • 教育コース(40名、特色選抜)
校訓
「自彊・和敬・創造」
校章
羽根を左右に広げたの絵を背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
校歌
1954年(昭和29年)に制定。作詞は、土岐善麿早稲田大学教授)作曲は平井康三郎による。歌詞は2番まであり、最後に校名の「高田高校」が登場する。
高大連携(教育コース)
奈良教育大学京都女子大学同志社女子大学佛教大学畿央大学

沿革

高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
  • 1920年(大正9年)7月31日 - 北葛城郡立奈良県高田高等女学校の設立が認可される。
  • 1921年(大正10年)4月8日 - 「北葛城郡立奈良県高田高等女学校」が開校。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 奈良県への移管により、「奈良県立高田高等女学校」と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。
    • 高等女学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校、名称:奈良県立高田高等女学校併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し、その4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われる。
    • 高等女学校が廃止され、新制高等学校奈良県立高田高等学校」(女子校)が発足。
    • 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
    • 併設中学校は新制高校に継承され(名称:奈良県立高田高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
新制高等学校(男女共学)
  • 1948年(昭和23年)
    • 9月1日 - 高校三原則に基づく公立高等学校の統合・再編により、総合制の「奈良県立高田高等学校」(男女共学)が発足。
      • 通常制普通課程と商業科を設置。
    • 11月20日 - 定時制夜間課程を併設。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
  • 1950年(昭和25年)6月 - 女子の制服を制定。
  • 1954年(昭和28年)2月13日 - 校歌・校旗を制定。
  • 1965年(昭和40年)3月31日 - 商業科を廃止。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 校訓(自彊・和敬・創造)を制定。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 学区制が廃止される。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 全日制課程普通科に教育コースを開設[1]
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 奈良県立畝傍高等学校に定時制課程を移管。
  • 2010年(平成22年)3月31日 - 定時制課程を廃止。

交通

学園祭

  • 「群鳩祭」と呼ばれる。毎年9月上旬に開催。

著名な出身者

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. この時、奈良県立高田高等学校と奈良県立平城高等学校の2校に教育コースが設置された。