ポラリス (恒星)

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ポラリス (Polaris) は、こぐま座α星こぐま座で最も明るい恒星で2等星。現在の北極星である。

概要

バイエル名はα星だが、フラムスティード名でも、こぐま座1番星、「プトレマイオス星表」でも「ティコの星表」でも、それぞれこぐま座の最初に掲げられていた。

ポラリスは、北極距離が2000年分点で約44天の北極に非常に近い位置にあり、最も天の北極に近付く2102年の前後数世紀間は北極星となっている。

特徴

ポラリスは三重連星で、黄色輝巨星(または超巨星)でケフェイド変光星でもあるポラリスAと、薄黄色の主系列星であるポラリスBとが約2700天文単位離れて回り合う実視連星となっている。ポラリスBは中口径の望遠鏡でも見ることができ、1780年ウィリアム・ハーシェルによって発見された。

1929年に分光観測によって、ポラリスAにもう1つ非常に距離の近い伴星(ポラリスPポラリスaポラリスAbなどと呼ばれる)が存在することが明らかになった。2006年1月にアメリカ航空宇宙局ハッブル宇宙望遠鏡でポラリスを撮影し、3つ全ての星を直接撮影することに成功した。ポラリスAに近い方の伴星は主星であるポラリスAからの距離が約20天文単位しか離れていないため、主星の光に埋もれてほとんど見ることができない[1]

ファイル:Polaris 3.jpg
ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したポラリス

ポラリスAbはポラリスAのすぐ近くを公転する矮星である。最近の観測で、ポラリスはA,F型の恒星からなる集中度の低い散開星団の一部である可能性も示唆されている。

ポラリスAは古典的な種族Iのケフェイド変光星である(銀緯が高いため、かつては種族IIであると考えられたこともあった)。ケフェイド変光星は距離測定の標準光源として用いることができる重要な天体であるため、地球から最も近いケフェイドであるポラリスは詳しく研究されている。1900年頃の観測では、ポラリスは約3.97日の周期で平均光度から約±8%の振幅で変光していた。しかし20世紀半ばになるとこの星の変光の幅は急速に減少した。1990年代半ばには変光幅は1%にまで減少し、現在も低い水準が続いている。またこの約100年間で平均光度は約15%明るくなり、変光周期は1年に約8秒の割合で延びている。

名称

ポラリスは肉眼で確認しやすい星の中で最も天の北極に近いため、16世紀頃から北極星として機能しており「極の星」や「北の星」という意味合いの名前で呼ばれていた。紀元前に同様の意味で呼ばれていた星は、この星ではなくこぐま座β星である。以後、世界各国では自国語で「北極星」という意味合いの名前で呼ばれることがほとんどである。ただし、英語圏では近年、固有名の Polaris と呼ばれるようになってきている。

固有名としては、ラテン語起源のポラリス (Polaris)、ナヴィガトリア (Navigatoria)、ギリシア語起源のキノスラ (Cynosura)、フォエニケ (Phoenice)、アラビア語起源のアルルッカバー (Alruccabah) といったものが代表的である。

北極星として使える星は歳差によって時代とともに変わることが予測されているため、北極星の固有名としては北極星という意味を持たないギリシア語のキノスラを使用すべきであるといった意見テンプレート:要出典や、2.02等級程度の星なので固有名で呼ばず、こぐま座α星と呼ぶべきといった意見テンプレート:要出典がある。ただし、実際に北極星が他の星に移り変わるのは数千年後と予測されており、国際天文学連合などにおいて当面の問題とは認識されていない。

昔の中国での名称

天の北極付近にある勾陳(こうちん)という星座の1星であり、勾陳第一星(勾陳一)とか勾陳大星と呼ばれていた。中国の天文学において、この星は何の変哲もないその他大勢の星の一つに過ぎず、全く注目されていなかった。日本の保井春海星図では北極という星座の第五星・天枢と同定される。ただし、春海は独自に観測して星図を作成しているので、中国本土の伝統的な星の同定とは異なる場合もある。

日本での名称

日本各地でさまざまに呼ばれた。

  • キタノオオボシ(北の大星)
  • キタノヒトツボシ(北の一つ星)
  • キタノホシ(北の星)
  • キタノミョウジン(北の明神)
  • キタノミョウジョウ(北の明星)
  • キタボシ(北星)
  • シンボシ(芯星):回転の心棒
  • ネノホシ(子の星):方角、北に当たる
  • ヒトツボシ(一つ星)
  • ホウガクボシ(方角星)
  • ホクシン(北辰)
  • ホッキョクサマ(北極様)
  • ミョウケン(妙見)
  • メアテボシ(目当て星)
  • ニヌファブシ(子の方星)- 沖縄(沖縄方言

ポラリスに関する伝承

地球から見て北極星はほとんど動かないという特殊な性質があるため、世界各地では一般的に不動の星として認識されており、様々な伝承が残っている。ところがその中にあって、日本においてはポラリスも僅かだが動くことが、民間伝承として伝えられている。伝承とは次のようなものである。

江戸時代大坂に、日本海の北回り航路で交易をしていた桑名屋徳蔵という北前船の親方がいた。ある夜留守を預かる徳蔵の妻は、機織りをしながら時々夫を思っては北の窓から北極星を見ていた。すると北極星が窓の格子に隠れる時があり、彼女は北極星は動くのではないかと疑いを持った。そこで次に彼女は眠らないように水をはったたらいの中にすわって一晩中北極星を観察して、間違いなく動くことを確かめた。帰ってきた徳蔵に彼女はこのことを告げ、この事実は船乗りたちの間に広まっていった。
ファイル:Diurnal motion of polaris and northern starts over half a day.jpg
2013年末におけるポラリスの日周運動直径はおよそ1.4°であるが(写真)、過去はもっと大きな日周運動を描いていた。

この伝承は、ポラリスの可動性を説いたものの一つである。伝承は瀬戸内海沿岸を主として広く分布しており、当事者の名前、苗字、職業、妻の作業内容やポラリスの可動性を発見したシチュエーションなどに様々なバリエーションがある。また、名前の類似から天竺徳兵衛とされたり、職業から紀伊国屋文左衛門とする地方もある。

ただし、ポラリスが北極星として認識されるようになったのは、ヨーロッパでも大航海時代となった16世紀(1500年代)になってからのことである。この伝承は1800年代のことになるが、当時のポラリスの北極距離は2度に満たず、ポラリスの可動性に気付いたのは北極距離が3度近くあった1600年頃だと推定されている。 なお、これはあくまで民間での話であって、歳差は(その原因についてはともかく)古くから知られていたので、学問的には、北極星が遷移することは洋の東西を問わず常識であった[2]

ポラリスに由来するもの

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脚注

注釈

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出典

  1. Evans, N. R.; Schaefer, G.; Bond, H.; Bono, G.; Karovska, M.; Nelan, E.; Sasselov, D. (January 9, 2006). "Direct detection of the close companion of Polaris with the Hubble Space Telescope". American Astronomical Society 207th Meeting.
  2. 浪速の名船頭:徳蔵の伝承 - 星と人と暮らしの事典

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関連項目