WEST SIDE

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テンプレート:Infobox Musician WEST SIDE(ウエストサイド)は、日本ダンスユニット。 吉本興業所属のお笑いコンビであるランディーズロザンキングコングの3組で結成された。 島田紳助が初めてプロデュースしたユニットである。

概要

関西テレビ(KTV)で放送されていた「紳助の人間マンダラ」の企画で、吉本興業所属の若手芸人の中から「男前」を基本とし、「歌って踊れる芸人を発掘しよう」という島田紳助の発案のもとオーディションを行った。合格コンビはランディーズ、ロザン、ライセンスの3組。

しかしライセンスが東京進出を決断したためにグループへ加入しなかった。その空き枠に当時吉本総合芸能学院(NSC)卒業1年の人気コンビ・キングコングが加入。結成当初はランディーズの二人は24歳、ロザン菅が23歳、宇治原は24歳、キングコングの二人は19歳であった。3組でスタートした時の名前は「男前組」。その後、沖縄アクターズスクール大阪校でダンスレッスン、沖縄での公演参加。CDデビュー時に作曲を担当したBros.KORNとの初対面の時に彼が直感でひらめいたポーズ(両手を顔の前で広げ、薬指と中指を交差させ、片手でアルファベットのWの形を作る)の名前を取り、グループ名を“WEST SIDE”と決定する。初代プロデュースは、元シブがき隊の布川敏和が行なった。

シングル「WEST LOVE SHINE」(東芝EMI)で2001年1月にCDデビュー。プロモーションビデオの撮影では井筒和幸が監督を務めた。この1stシングルが、関西オリコンで初登場2位を記録する。その人気は関西圏ではジャニーズ事務所のタレント達を上回る勢いで、漫才中にも歓声が止まないため、梶原が客席に怒鳴ったことがある、という逸話も。その後2ndシングル「Right Here,Right Now」、アルバム『WS』(ともにR&C Japan)、写真集(角川書店)、DVDなどを発売し、Zepp Osakaでのライブも行った。2001年11月23日には、ルミネtheよしもとでもライブを行った。

テレビでは「- 人間マンダラ」のほか、「大阪発元気ダッシュ!DOYAH」(NHK衛星第二)や「ゲンキ王国 〜GENKING〜」(関西テレビ)などにレギュラー出演。2002年8月には主演ドラマが放映された。

2003年9月12月に特別公演「〜ゲンキ王国外伝〜ウエストサイド・コメディ」を開催。 base SUMMER SMILEで2002年、2003年に「WEST LOVE SHINE」を歌っている。

2003年10月9日放送の「アリ×アリ」(関西テレビ)内で「WEST SIDEの同窓会」を開催している。

それ以降は“WEST SIDE”としての活動は無く、3組それぞれの仕事に専念している。なお、「笑っていいとも!増刊号」でキングコング西野が、「月刊コント増刊号」でランディーズとロザンがダンスを披露している。

2010年4月で結成してから10周年になる。

2010年12月30日に行われたランディーズ高井とテンダラー白川らが主催する音楽イベント「ミュージックアワー音人〜年末スペシャルinBIGCAT〜」で、1夜限りの復活を果たした。

お笑いとアイドル

当時のグループ内でも、ランディーズ高井のように、「この活動を積極的やりたい」メンバーがいた中で、キングコングのような、「この活動をしたくない」メンバーがいたのも事実である。梶原に関しては、WEST SIDEの中では実力がトップクラスであるにもかかわらず、このグループの活動に対して積極的ではなかった。当時のWEST SIDEのメンバーはbaseよしもとやテレビ・ラジオ(ほとんどが関西)に出演し、しかも漫才やコント、トークの実力も十分にあったが、WEST SIDEで活動中の時はファンから芸人ではなくジャニーズ同様アイドル目線で見られており、当時の梶原は「ファン(当時)は今まで(WEST SIDE加入前)は真剣に漫才を聴いていたのにもかかわらず、WEST SIDE加入後、俺らが漫才をする為にステージに立った瞬間、キャーキャーと声援をし、(梶原は)一旦は注意するが、漫才を開始しても一向に声援を止めないので『うるさい!』と注意し、静かになってから漫才を始めていた」と証言している。つまり、この当時のキングコングのファンは、「漫才・コントが面白いから劇場に行く」のではなく、「かっこいいWEST SIDEのメンバーであるキングコングを見る為に行く」という客が大半を占めていた。

またWEST SIDEが活動を始めた2001年はちょうどM-1グランプリが始まった年でもあり、その頃からストイックなまでに漫才の完成度を高める芸人が評価される傾向が強くなっていく。そのタイミングでのアイドルユニットとしての活動は多くの漫才ファンから反感を持たれ、舞台に上がったと同時にブーイングを受けることも珍しくなかった。その傾向は当時ほどではないとはいえ、現在も変わっていない。

WEST SIDEの活動を見ていた先輩芸人や後輩芸人が、あまりWEST SIDEの活動を良く思っていなかった。オフィス北野所属(当時)の東京ダイナマイトは「もし麒麟や千鳥、笑い飯がいなければ(アイドル化する一方の)大阪の笑いは終わっていた。」と語っており東京でも決して好意的には受け止められていなかった。しかし、同じbaseよしもとのメンバーだったフットボールアワーブラックマヨネーズは「羨ましかった」と言っている。

しかし時間が経つにつれ、両者の意識が変わってきている。キングコングの2人は自身の出演する大阪のラジオにて、「今やったらもう1回してもいい」とWEST SIDE復活を示唆するような発言をした事がある。特に、WEST SIDEを嫌がっていた西野は積極的に「やってもいい(やりたい)」と言っている。そして梶原も「今やったらキャーキャー言われたい」と発言しており、両者ともキャーキャー言われるのが芸人人気が分かる一つの手段だった、と話している。

メンバー(解散後)

詳細は各メンバーの項目などを参照。

ランディーズ

吉本新喜劇で活動中。本業以外でもテレビドラマや映画にそれぞれが出演。高井はTHE★RED STARというバンドに所属している。

高井俊彦
WEST SIDE時代は、リーダーとして活躍していた。解散後もWEST SIDE復活を狙っている。吉本のイベントでは「ウエッサ〜イ!」と叫んで笑いをとる事がある。
中川貴志
WEST SIDE時代は、ダンスは下手ながらもおじさんキャラで周りから好かれていた。WEST SIDE時代はモテたといっている。しかし、現在は体がおっさん化(体重が激増)してしまい、見る影が無くなっている。(この件は、いろいろな番組でネタにされている)

ロザン

関西を中心に活動し、「ちちんぷいぷい」など関西の人気番組などに出演中。2008年頃からは頭の良さを生かし、東京のクイズ番組等にも出演。

宇治原史規
WEST SIDE時代は、顔は悪いと残念がられながらも、歌や踊りもしっかりとこなしていた。
菅広文
WEST SIDE時代は、イケメンキャラとして人気を集めつつも、多少不器用なためダンスが苦手で何度も練習していた。

キングコング

いち早く東京進出を果たし、「はねるのトびら」を中心に若者の人気者に。

西野亮廣
WEST SIDE時代は、菅と並びイケメンキャラとして扱われていたが、ダンスと歌唱力は良くなく、特にダンスに関しては、ロザン菅やランディーズ中川のように、「ダンスが追いつけなくて、苦手のように見える」ではなく、練習中はあまりにも特徴的なダンスを披露していたため、「彼のダンスはおかしい」と言われていた。解散後「WEST SIDEが吐き気がするほど嫌いだった」と自身のブログで語っているが、ラジオ等では、「もう一度やりたい」と発言する事も多々ある。他メンバーとの仲は良い様子。
梶原雄太
WEST SIDE時代は、持ち前の運動神経で見事なダンスを披露し、歌唱力もグループ1でWEST SIDEの歌の中では、特にラップを中心に歌っている。

ディスコグラフィ

シングル

WEST LOVE SHINE
2001年1月24日発売のデビューシングル。
Right Here, Right Now
2001年11月7日発売の2ndシングル。

アルバム

W・S
2001年12月12日に発売された唯一のアルバム。シングル表題となった2曲の他、アルバムオリジナル曲8曲を収録。

DVD・ビデオ

関連商品

グッズ

  • WEST SIDE(写真集)
  • ビニールバッグ
  • ポストカード(10枚セット)
  • カンバッジ(54mm)
  • カンバッジ(31mm)(高井、中川、菅、宇治原、梶原、西野)
  • ファスナーアクセサリー(高井、中川、菅、宇治原、梶原、西野)
  • 爆笑オンエアバトル2(WEST SIDEのインタビューあり)

WEST SIDEとして出演した番組

テレビ

ラジオ

  • WEST SIDEのヒミツの穴
  • AM808。マジッすよ!

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