JIRO
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JIRO(ジロウ、1972年10月17日 - )は、日本のミュージシャンで、GLAY兼THE PREDATORSのベーシストとして知られる。本名、和山 義仁(わやま よしひと)。
北海道函館市出身。函館大谷高等学校卒業。身長169.5cm。
目次
人物
- 最年少メンバーにして[1]、GLAYの副リーダー的存在。また、the pillowsのトリビュート・アルバムにも参加経験あり。
- メンバーの芸名では唯一本名に由来していない(TAKUROとHISASHIは下の名前をそのまま、TERUは本名の照彦の略称である)。由来は、GLAY加入前に所属していたバンド「ピエロ[2]」のボーカリストに名前を聞かれ、とっさに「JIRO」と答えたため[3]。本人も、何故自分が「JIRO」と言ったのかまったく分からないらしい。
- GLAYのメンバーを呼ぶ際は、表立った場所では「くん」付けだが、TAKUROを除き、それ以外では、HISASHIなら「トノくん」、TERUなら「てっこくん」と呼んでいる。
- ギターのように大きく腕を振って弾く、独特な奏法でベースを弾いている。ベースはギターと違い、和音ではなく単音を的確に弾く必要があるため、弾かない弦をミュートしている。また、影響を受けたベーシストに、元ガンズ・アンド・ローゼズのダフ・マッケイガンとZIGGYの戸城憲夫を挙げている[4]。
- その端正な顔立ちから、女性に非常に人気があり、芸能人でも武井咲や佐々木希がJIROのファンを公言している。実際にメンバー曰く、GLAYの中で一番モテるのはJIROで、TAKUROは女の子からJIROのことについての相談も多々あったという。
- 優れたファッションセンスの持ち主で、衣服にあまりこだわらないTAKUROから相談されるほど。代官山でJIROとは気付かれずに「雑誌のオシャレ選手権に出ないか」とスカウトされたこともある。
- 趣味はカメラとスノーボード。特にカメラは、空や風景などを撮るのが好きで、GLAYの会報内でコーナーも設けられている。このコーナーでは、ファンからの投稿も採用しその時々の季節感やテーマにそっている。また、シングル「Precious」では、JIROが撮影した写真がCDのジャケットに用いられている。
- GLAYでもTHE PREDATORSでも、稀に作曲をする。自身が作曲したGLAYの楽曲「SHUTTER SPEEDSのテーマ」は、特にライブでも盛り上がる楽曲となっている。
- GLAYではTERUに次いでメインボーカルを担当することがあり、「SHUTTER SPEEDSのテーマ」「ストロベリーシェイク」「THE BIRTHDAY GIRL」などで自ら歌っている。なお、2005年からは、THE PREDATORSのベーシストとしても活躍。
- HISASHIとは、なぜか2人きりになると気まずいムードになってしまう事が多いとのこと。ただ、決して仲が悪いわけではない。メジャーデビューから10年経ってようやく2人きりで飲みに行った、とのこと。
- 印刷会社の営業のアルバイトをしていたことがある。
- TAKUROから新曲を聴かせられた際、TAKUROに対し「古いよ」と意見した事がある。TAKUROはこれまでにない自信作としてメンバーに新曲を聴かせたが、JIROだけが頭を抱えており、TAKUROが歩み寄り「この歌は俺自身なんだよね」と言いかける寸前に「TAKUROくん、こういうのって古いんだよね」と言われ、TAKUROは「俺は古いのか〜」とJIROに気付かされたとのこと。このエピソードは、TAKURO自身が「音楽活動をしていて一番辛かったこと」として語っている。
- レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レディオヘッド、ニルヴァーナ、チャットモンチーのファン。
- TAKUROと同じ幼稚園に通っており、小学校もTAKUROが転校するまでは一緒だった。
経歴
出生〜小学校時代
- 頑固な職人の父を持ち、母、そして姉が1人、妹が2人いる。
- 子供の頃、JIROの家では父親の言う事は絶対に従わなければならず、口答えをすれば殴られ、テレビのチャンネル優先権も父親が握っており、まさに"亭主関白"であった。
- JIROは小さいながらも力があり、父親が仕事に出て行くのに付いて行こうとしたのを、とめようとした母親に抑えられ、肩を脱臼したこともある。
中学時代
- バスケットボール部に入部するが1年程で退部する。時間的に余裕があったJIROは音楽に興味を持ち、エレキギターをもっている友人にギターを借りる。しかし、母親に「そんな高価なものはすぐに返しなさい」と叱られ、渋々ギターは返したがこのことがJIROに「何が何でもギターを買う」という決心をもち、新聞配達のアルバイトで貯めたお金でギターを買った。その後、友人と「ネクストビート」というバンドを結成。
高校時代
- 高校入学後に「セラヴィ」というバンドにギターとして加入。高3の頃にベースに転向、「ピエロ」に加入した。理由は「ピエロに入れるならベースでもいい。」ということから。友人の持っているベースと自分の持っているギターを交換した。
- 1年早く上京していたGLAYが帰郷した際に対バンする。その打ち上げでTAKUROに東京へ行くことを薦められ、高校卒業後はピエロのメンバーと上京することになった。
上京〜インディーズ時代
- 上京したものの、「ピエロ」は解散。その後はいくつかのバンドを渡り歩く。
- 1992年
- 8月 - TAKUROに誘われ、GLAYに加入。当初は「社交辞令程度の軽い気持ち」だったようだ。しかし、持ち前の積極的な行動力によりGLAYの人気は次第に上がっていた。
メジャーデビュー以降
- 1994年
- 1999年
- 2月 - 音楽雑誌『WHAT's IN?』で連載していたものをまとめた、初の単行本『キャラメルブックス』を発売。
- 2000年
- GLAY ARENA TOUR 2000 ”HEAVY GAUGE”の頃、精神的に参っていた時期があった。ライブ中もずっと下を向くなどの行為が目立ち、ファンからも心配の声が上がった。TAKUROも「解散してもいいからJIROを休ませてあげたい」と発言するほどであったが、その時期を乗り越え現在に至る。その時期を支えてくれた、JIROが毎月連載していた音楽雑誌『WHAT's IN?』の編集者と同年12月に結婚。
- 2001年
- 7月 - 『キャラメルブックス』の続編、『キャラメルパビリオン』を発売。
- 2004年
- 2005年
- the pillowsの山中さわおとストレイテナーのナカヤマシンペイと共にTHE PREDATORSを結成。
- 7月6日 - インディーズレーベルよりミニアルバム『Hunting!!!!』を発売。
- 7月19日 - 横浜BLITZでのフリーライブを皮切りに、『FM802 MEET THE WORLD BEAT 2005やRISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in Ezo』に出演した。
- 2006年
- THE PREDATORSとして『ARABAKI ROCK FEST. 06』に出演。
- 2008年
- THE PREDATORSの活動を再開。
- 10月15日-セカンドミニアルバム『牙をみせろ』を発売。
- SHOOT THE MOON TOURを開催。
参加作品
- SPEED BALL / D.I.E. (1996年3月15日)
- 「CLOCKWORK LOVE #1」「CLOCKWORK LOVE #2」にベースで参加。
- Mind Drum / TOSHI NAGAI (1996年11月30日)
- 「Inguz」にTERUがドラム、HISASHIがギター、JIROがベースで参加している。
- FRAGILE / D.I.E. (1998年4月1日)
- 「ANGEL'S BACK」にベースで参加。
- D.O.S.Drum / TOSHI NAGAI (1999年7月21日)
- 「Laissez-moi Tranquille!」にTAKURO、HISASHIがギターで、JIROがベースで参加。
- 明日に架ける橋 / JUNKO (1999年7月31日) (VHS)
- 「明日に架ける橋」にTAKUROがギター、オルガンで、HISASHIがギター、サウンドプロデュース、ミックス、JIROがベース、TOSHI NAGAIがドラム、D.I.Eがピアノ、キーボードで参加。
- SYNCHRONIZED ROCKERS / V.A. (2004年9月16日)
- Hunting!!!! / THE PREDATORS (2005年7月6日)
- メンバーとして参加。
- IN THE MOOD / 氷室京介 (2006年10月20日)
- 「SAY SOMETHING」にTAKURO、JIRO、Toshi Nagaiと共に演奏で参加。TERUもコーラスで参加している。
- 牙をみせろ / THE PREDATORS (2008年10月15日)
- メンバーとして参加。
- THIS WORLD / THE PREDATORS (2010年8月8日)
- メンバーとして参加。
使用ベース
テンプレート:雑多な内容の箇条書き GLAYのプロデューサー佐久間正英が立ち上げたブランドTopDogより提供されたものをメインとして使用。
- TopDog JRO-01 JB Type
- JIROのメインベース。'95年(アルバム「BEAT out!」の頃)に入手して以降愛用し続けており、JIRO自身「初号機の代わりになるベースは絶対にありえない」と語るほど。
- 佐久間が自身の所有する1972製のフェンダー・ジャズベースを手本として製作したもの。シリアルナンバー#008。
- ボディはアルダー製で、カラーはシースルー・ロイヤル・ブルー・フィニッシュ(佐久間の手塗りによる)。ピックガードはパーロイド板。
- ネックはメイプル製で、指版もメイプルの21F 864mm ロングスケール。ピックアップはフロントがセイモア・ダンカン SJB-1n(From SGCraft BBS 1781)、リアはセイモア・ダンカン SJB-1b。ペグはゴトー(Gotoh) GB-2、ナットはGraph Tech TASQ #1000-00。ブリッジはゴトー GEB201。
- TopDog JRO-02 PB Type
- TopDog JRO-03 JB Type
- 3種類所有しており、シリアルナンバー#000003のもの、#000068のもの、フレットレスのものがある。
- #000003は、元々青色だった物をシルバーフレークに再塗装した。その際、ピックアップをリンディー・フレーリン製からセイモア・ダンカン製に変更している。ライブ中に投げて落とした事によりボディを破損。修理したものの音が変わってしまったため、内部サーキット等はそのままでボディのみを新しくした。新しいボディは、ラメが大粒に変更されている。
- TopDog JRO-04-Silver PJ Type
- TopDog RD Type
- G&L SB-2
- G&L L2000 (CUSTOM MODEL)
- Gibson Thunderbird Ⅳ ノンリバース
- 1960年代に作られたヴィンテージのベース。アルバム「THE FRUSTRATED」ではこのベースを使用し、今までは自分が嫌いだった、バックでサポートするような目立たない音でレコーディングを行ったという。X-ratedツアーで主に使用。
- メジャーデビューシングル「RAIN」のレコーディングで初めてロサンゼルスを訪れた際に購入したベース。'72年製。TopDogよりも初期から使用している。
- コントロール部の大きなツマミはバリトーン・スイッチで、音色を4つのモードに切り替えが可能。また、低音弦(4・3弦)の音が大きいということで、全弦のバランスを取るべく各ピックアップの高さは2・1弦側を高めに設定されている。
- Stud-B Electric Woodbass Excel
- エレクトリック・アップライト・ベースだが、ウッドベースのフィーリングで使用できる。ピエゾ・ピックアップとマグネット・ピックアップを搭載している。
連載
- キャラメルBOX(ワッツイン(ソニー・マガジンズ))
書籍
- キャラメルブックス(1999年、ソニー・マガジンズ)
- 音楽雑誌『ワッツイン』での連載の初の書籍化。
- キャラメルパビリオン(2001年、ソニー・マガジンズ)
- 音楽雑誌『ワッツイン』での連載の書籍化第2弾。
- ビンゾー&ジロゾーのウォーカー・ブラザーズ東京(2003年、角川書店)
- MAYA MAXXとの共著。「友だちが来たら、連れていってあげたい、見せてあげたい東京」をテーマに、MAYA MAXXとJIROがビンゾー&ジロゾーに扮し、東京の各所を紹介するガイドブック。
- JIRO/GLAY(2008年、ベース・マガジン編集部)
- 音楽雑誌『ベース・マガジン』の増刊号。
出演
ラジオ
- BUGGY CRASH NIGHT(FM802)毎週土曜22:00~23:00