F-8 (戦闘機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年6月12日 (木) 17:35時点におけるQuark Logo (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 航空機

ファイル:Uss midway crusaders.jpg
ミッドウェイで発艦準備をする2機のF-8(1963年)

F-8は、アメリカ合衆国航空機メーカー、チャンス・ヴォート(現ヴォート・エアクラフト・インダストリーズ)社が開発し、アメリカ海軍アメリカ海兵隊を中心にフランス海軍フィリピン空軍で使用された艦上戦闘機である。愛称はクルセイダー(Crusader、十字軍の戦士)。

開発当初の機種名はF8Uであるが、1962年の機種名整理で命名規則が変更されたため、F-8となった。

開発

開発は1952年にアメリカ海軍が超音速制空戦闘機を要求したことから始まった。この要求に応じたチャンス・ヴォート社は数々の新機軸を盛り込んだ機体を開発した。試作初号機XF8U-1は1955年3月25日初飛行および超音速飛行に成功し高性能を示したため、海軍に採用されることとなった。直ちに量産が開始され、生産型F8U-1は1955年9月に初飛行している。艦上機としては世界初の超音速戦闘機である。

F-8は当時の陸上機をも凌ぐ高性能を誇り、また極めて信頼性が高く、扱いやすかった。例えば同じエンジンを搭載する空軍F-100戦闘機が最高速度マッハ1.3だったのに対し、本機はマッハ1.7に達した。これはインテークの上から前方に突き出した機首コーンが偶然にもショックコーンの役目を果たし、エンジンの性能を最大限に引き出した事による。B型以降は機首コーンはレーダーを搭載したレーダードームとなり大型化しているが、はからずもショックコーンとしての能力も向上している。

特徴としては極めて視界に優れている事が挙げられる。コックピットは視界を確保するため胴体の先端に配置された。インテークも機首下面にあり視界を妨げないようにしている。また離着艦の際の機首上げ角を抑えるため、前桁に取り付けられた油圧アクチュエータと後桁のピボットによって、高翼配置の主翼の仰角を動かす唯一のシステムを持ち、運用時の安全性を大幅に向上させた。これは視界不良に悩まされたチャンスボート社の前作F7Uカットラスの反省があったためだが、むしろ過剰装備だったと評されることもある(またカットラスは飛行性能を追求し新機軸を盛り込み過ぎ離着艦性能が極端に悪く、前述の視界の悪さとあいまって着艦時の事故が多発し、同様の問題を抱えた僚機F3Hディーモンと共に「未亡人製造機」と称された)。なお後に本機を母体に開発された亜音速艦上攻撃機A-7 コルセアIIでは、主翼ハードポイント(重量強化点、パイロンを取り付けられる場所)追加のため可変仰角装置は省かれている。

1957年から部隊配備が開始され1965年までに各形式合わせて1,259機生産された。のちにアメリカ海軍の空母機動部隊の運用方針が変化し、艦載戦闘機にも多用途性が求められるようになった。ジェット戦闘機の実用化以降のアメリカ海軍は、ジェット戦闘機を純戦闘機として、レシプロ戦闘機を戦闘爆撃機として運用しており、チャンス・ヴォート社は1950年代までF4U戦闘機の生産を続行していたのだが、さすがにレシプロ機は性能的に限界に達し、ジェット戦闘機に戦闘爆撃機としての能力が要求されるようになったのである。この趨勢の中、同時期に採用されたF11F タイガーはこの要求に対応出来ずに短命に終わってしまったのとは対照的に、F-8は一定の汎用性も兼ね備えていたため大量に生産された。また離着艦能力に優れていた事により、アメリカに比べて小型の空母しか保有しないフランス海軍においても採用された。

活躍

ファイル:F-8U Crusader.jpg
カリフォルニア州サンタローザのパシフィックコースト航空博物館で屋外展示されているF-8。アクチュエータで主翼を僅かに上げている点に注目

部隊配備は1958年3月から開始された。その後、F-8はベトナム戦争に投入された。アメリカ海軍は他に最新のF-4 ファントムIIを投入していたが、ミサイル万能論の影響で航空機関砲を搭載せず空対空ミサイルのみに頼り、爆撃能力を重視し機動性をある程度犠牲にしていた。こうした中、軽快な運動性と4丁の20mm機関砲を搭載していたF-8は「最後のガンファイター」と呼ばれ、多数のMiG-17等の敵機を撃墜し、一時期はF-4の撃墜数を上回ったこともあった。そのことから「ミグ・バスター」とも呼ばれた。ただし、機銃のみによる撃墜は無かった(2機をミサイル、ロケット弾との併用で撃墜。なお、F-8に搭載されたコルトMk.12は信頼性に乏しかったともされる)。

ベトナム戦争全体を通し、アメリカ空海軍海兵隊機種で最高のキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)、8:1を持つ。また撃墜数はF-4の半分(18機)であったものの、作戦および空中戦への延べ参加機数は遥かに少なかったことを勘案すると、大変効果的に敵戦闘機を抑えたと見ることができる。

ただし本機がF-4と共に1960年代のアメリカ海軍の主力たり得たのは、本機が、第二次世界大戦当時から使い続けられていたエセックス級航空母艦において運用可能(F-4は運用不可能)であったからである。ベトナム戦争が無く、エセックス級空母がもっと早くに退役していたならば、本機も早々に退役していたものと想像される。

ベトナム戦争の終結後、エセックス級空母の退役により戦闘機型のF-8は1976年までに現役を退いたが、偵察型のRF-8Gについては、RA-5Cの退役~F-14偵察兼務型の配備までのつなぎ役としてその後も長期間配備され、アメリカ海軍から最後の機体が退役したのは1987年であった。最後までF-8を第一線に配備し使用していたフランス海軍クレマンソー級航空母艦に搭載されていた機体も、1997年の「クレマンソー」退役、2000年の「フォッシュ」退役(ブラジル海軍に売却)に伴い退役した。

外国での採用は他に、フィリピン空軍がアメリカ海軍からの退役した機体を修繕して用いていた。防空任務の他に、機銃・通常爆弾・ロケット弾による対地攻撃にも従事していた。しかし、エドゥサ革命の混乱にともなう禁輸措置やスペアパーツ不足(晩年はチャンス・ヴォート社の在庫自体が底をついていた。革命後、同社による現地でのオーバーホールにおいては現地で調達したベニヤ板アルミ箔を用いて木製の部品を作り、損耗した金属製の純正部品の代用とするなど苦肉の策がとられた)、資金不足がたたって稼働率は次第に低下。1991年のピナトゥボ山噴火によりダメージを受けたのを機に廃棄された。

事故

1964年4月5日 嘉手納飛行場から厚木基地へ向っていた同機が、東京都町田市中心部に墜落、炎上。死者4名。 テンプレート:Main

スペック

  • 全幅: 10.72 m
  • 全長: 16.61 m
  • 総重量: 12,700 - 15,400 kg
  • 最大速度マッハ 1.8
  • 航続距離: 2,260 km
  • エンジン: P&W J57エンジン × 1
  • 武装
    • 固定武装: 20mm機銃(コルトMk.12) × 4
    • ミサイル
    • ロケット弾ズーニー × 8
    • 爆弾: 2,000 kg(翼下2ヶ所のハードポイント)
      • 250 lb (110 kg)爆弾 × 12 又は
      • 1,000 lb (450 kg)爆弾 × 4 又は
      • 2,000 lb (900 kg)爆弾 × 2

派生型

XF8U-1
試作機。新呼称XF-8A。
F-8A
初期生産型。旧呼称F8U-1。311機生産。昼間戦闘機型。
F-8B
旧呼称F8U-1E。130機生産。APS-67レーダーを装備。
F-8C
旧呼称F8U-2。187機生産。エンジンをJ57-P-16に換装。ベントラルフィンの追加。
RF-8A
旧呼称F8U-1P。非武装。機首に5基のカメラ搭載。144機製造。
DF-8A
旧呼称F8U-1D。レギュラス潜水艦発射巡航ミサイルの空中誘導母機。20機改装。
F-8D
旧呼称F8U-2N。エンジンをJ57-P-20に換装。FCSをAWG-4に更新、AIM-9C SARHMの運用能力獲得。152機生産。
F-8E
旧呼称F8U-2NE。レーダー換装、翼下にハードポイントの追加など。
F-8E(FN)
フランス海軍向け。同海軍運用の空母の小ささを考慮して、STOL性などで改良が施されている。42機製造。'90年代に電子機器を更新。
F8U-3
全天候戦闘機化計画に基づき、J75-P-6に換装、折畳式ベントラルフィンの追加など、胴体をほぼ全面的に再設計した発展型。5機のみ完成。より大型のF4Hとの競争試作に敗れ米海軍には不採用になったが、NASAの高速試験機として運用された。実際には表皮温度制限(熱の壁)から実現しなかったものの、低抵抗と高推力重量比によってマッハ2.9級の速力を出すポテンシャルを有していた。[1]
RF-8G
RF-8Aよりの改装。構造強化など。73機改改装。
F-8H
F-8Dよりの改装。構造強化など。89機改装。フィリピンに一部輸出(F-8Pと呼称されることも)。
F-8J
F-8Eよりの改装。構造強化など。F‐8E(FN)の経験を還元。136機改装。
F-8K
F-8Cよりの改装。構造強化など。
'F-8L
F-8Bよりの改装。構造強化など。
V-1000
F-8の大幅な改良型で、J79エンジン搭載。1970年のアメリカ空軍による海外供与機の審査に応募した機体。性能面では高く評価されたが、コストの面でノースロップ案のF-5E/Fに敗れた。
F-8 SCW
NASAのスーパークリティカル翼実用試験機。
F-8 DFBW
NASAのデジタルフライ・バイ・ワイヤ実用試験機。

登場作品

漫画・アニメ
F-8Eが風間真の初期搭乗機として登場。
映画
RF-8Gが真珠湾の「変容」を偵察する。
RF-8Aがキューバのミサイル基地を強行偵察する。機体はフィリピン空軍のF-8Pを元に合成したもので、実機とは一部の形状に差異が見られる。

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:アメリカ海軍の戦闘機 テンプレート:アメリカ軍の固定翼機 (呼称統一以降)