2001年宇宙の旅

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テンプレート:参照方法 テンプレート:Infobox Film テンプレート:Portal2001年宇宙の旅』(にせんいちねんうちゅうのたび、英:2001: A Space Odyssey)は、アーサー・C・クラークスタンリー・キューブリックがアイデアを出しあってまとめたストーリーに基いて製作されたSF映画およびSF小説である。映画版はキューブリックが監督・脚本し、1968年4月6日にアメリカで初公開された。小説版は同年6月にハードカバー版としてアメリカで出版されている。

あらすじ

人類の夜明け(THE DAWN OF MAN)

遠い昔、ヒトザルが他の獣と変わらない生活を送っていた頃、黒い石板のような謎の物体「モノリス」がヒトザルたちの前に出現する。やがて1匹のヒトザルが謎の物体の影響を受け、動物の骨を道具・武器として使うことを覚えた。獣を倒し多くの食物を手に入れられるようになったヒトザルは、反目する別のヒトザルの群れに対しても武器を使用して殺害し、水場争いに勝利する。歓びのあまり、骨を空に放り上げると、これがPAN AM[1]のマークをつけた宇宙船に変る(人類史を俯瞰するモンタージュとされる)。

に人類が住むようになった時代。アメリカ合衆国宇宙評議会のヘイウッド・フロイド博士は、月のティコクレーターで発掘された謎の物体「モノリス(TMA・1)」(「一枚岩」)を極秘に調査するため、月面クラビウス基地に向かう。調査中、400万年ぶりに太陽光を浴びたモノリスは強力な信号を木星(小説版では土星)に向けて発した。

木星使節(JUPITER MISSION)

18か月後、宇宙船ディスカバリー号は木星探査の途上にあった。乗組員は船長のデビッド・ボーマンとフランク・プールら5名の人間(ボーマンとプール以外の3名は出発前から人工冬眠中)と、史上最高の人工知能HAL(ハル)9000型コンピュータであった。

順調に進んでいた飛行の途上HALは、ボーマン船長にこの探査計画に疑問を抱いている事を打ち明ける。その直後HALは船のAE35ユニットの故障を告げるが、実際には問題なかった。ふたりはHALの異常を疑い、その思考部を停止させるべく話しあうが、これを察知したHALが乗組員の殺害を決行する。プールは船外活動中に宇宙服を破壊され、人工冬眠中の3人は生命維持装置を切られてしまう。

唯一生き残ったボーマン船長はHALの思考部を停止させ、探査の真の目的であるモノリスの件を知ることになる。

木星 そして無限の宇宙の彼方へ

単独で探査を続行した彼は木星の衛星軌道上で巨大なモノリスと遭遇、スターゲイトを通じて、人類を超越した存在・スターチャイルドへと進化を遂げる[2]

メカニック

特筆しない限り、詳細部分に関する記述は小説版を参考としている。#小説版も参照。

ディスカバリー号
アメリカ合衆国所属の宇宙船。UNCOS登録番号01/283、コールサイン「Xレイ・デルタ1(XD1)」。映画版では「ディスカバリー1号」とも呼ばれている。2001年時点では最高速の宇宙船で、元々は2年に及ぶ木星への有人往還飛行「木星計画」の為に建造された物だったが、TMA・1の発見に伴い、TMA・1が発した電波の行き先の調査へと任務が変更された。なお、映画版と『2010年宇宙の旅』では目的地は木星のままであるが、小説版では最終的な目的地は土星の衛星ヤペタスに変更されており、木星では大気探測機の投下と重力によるスイングバイを行うのみとなっている。
全長は約120m(『2010年宇宙の旅』では約100m)。船体は前から、居住区画となる半径6mの与圧球体、長さ90mほどの棒状構造物、原子炉と低推力プラズマ・ドライブからなる推進システムの三つで構成されている。その構造上大気圏内での運用は考慮されておらず、建造は地球の軌道上で、試験飛行は地球 - 月間で行われた。乗員は5名で、彼らに加えて人工知能HAL 9000が搭載されている。なお、乗員のうち3名は目的地に到着するまで人工冬眠に入っている。
与圧球体内部にはコントロール・デッキ、生命維持システム、キッチン、トイレ、乗員5名分の私室、人工冬眠カプセルなどが存在し、球体の赤道部分に納められた直径10.6mの遠心機が10秒に一回の割合で回転することによって、地球の6分の1ほどの人工重力を発生させている。また、球体下部には3つのエアロックを有する格納庫があり、スペースポッド3機が格納されている他、小説版ではセラミック製の融除式熱遮蔽材によって防護された爆弾型の無人大気探測機を2機搭載している。
棒状構造体は居住区画と推進システムを連結するもので、中央部に地球との通信に用いられるパラボラ型の長距離メイン・アンテナが設置されており、HALが故障すると予測したAE35ユニットはこのアンテナの指向ユニットである。この他、小説版ではV字型に配置された一対の放熱フィンと4基の液体燃料タンクを装備しているが、映画版ではこれらの物は見受けられない。
推進システムは一種の原子力ロケットで、6基のスラスターを有しているが、使用するのは月軌道から発進する際のみで、通常は慣性による航行を行い、原子炉は船内の電力供給などに使用されるのみとなる。また、細かい姿勢制御には別に制御ジェットを使用する。
小説版ではディスカバリー号の旅は片道のみであり、土星軌道に到達して100日の探査活動を終えた後には、乗員は5年間の人工冬眠によって今後建造される同型船ディスカバリー2号による回収を待つ予定であったが、『2010年宇宙の旅』時点でもディスカバリー2号は未完成の状態にあり、ディスカバリー号の調査にはソ連の宇宙船コスモナウト・アレクセイ・レオーノフ号が用いられている。
スペースポッド
ディスカバリー号に搭載されている船外活動カプセル。搭乗者は宇宙服を着用する。大まかな形状は直径約2.7mの球体で、機体前部に円形の張り出し窓と4基のライト、更に「ウォルドー」とも呼ばれる二対の作業用マニピュレーターが装備されている。マニピュレーターのうち一対は重労働用、もう一対は精密作業用で、この他に各種工具を有する伸縮式のタレット台が備わっている。また、推進はメイン・ロケット、姿勢制御は飛行姿勢制御ノズルによって行う。
小説版では各ポッドに女性名からなる愛称が付けられており、ディスカバリー号に搭載されている3機の愛称は「アナ」「ベティ」「クララ」となっている。
オリオン3型宇宙機
地球と軌道上の宇宙ステーションの往還に利用されるスペースプレーン。翼幅は60mほどで、映画版では菱形翼無尾翼機だが、小説版では後退翼を持つとされている。映画版では描写されていないが、機体は本体である上段とブースターである下段の二つの部位から構成されており、下段は上昇中に切り離されて自動的に発射基地に帰投する(映画版では上段のみ登場)。また、打ち上げにはケネディ宇宙センターに設置された、多重レールを持つ発射軌条が使用されている。
乗客定員は20名で、更に操縦士、副操縦士、スチュワーデス1名が搭乗する。なお、宇宙空間では機内が無重力となるが、乗員の体の固定方法は映画版と小説版で異なり、映画版ではグリップシューズ[3]が、小説版では靴底がカーペットと噛み合うように細工されたベルクロ・スリッパが用いられている。
映画版ではパンアメリカン航空によって運行されており[4]、機体にロゴマークが描かれている他、操縦席のコンソールにはIBMのロゴマークが見受けられる。また、小説版では同種の機体として、チトフ5型スペースプレーンという機体が登場している。
宇宙ステーション5
地球 - 月間の中継点として使用されている宇宙ステーション。上記の名称は映画版のもので、小説版では「宇宙ステーション1号」となっている。直径300mのリングが二つ組み合わさった形状をしており、軸部分にドッキング・アームを有する開口部を有している。リング部は一分間に一回転し、遠心力による人工重力を生み出している。なお、宇宙機がステーション内に進入する際、映画版では宇宙機側がステーションの回転に姿勢をシンクロさせているが、小説版では軸部分がリングとは逆方向に回転し、相対的に回転を打ち消している。
宇宙ステーション内部に入る際には声紋識別装置を備えた検問口を通過する。なお、この検問口はアメリカ管区、ロシア管区などに分かれているが、これは純行政的な区分でありステーション内部にこの様な区分けは無い。
リングの縁には旅客ラウンジがあり、ソファ、小テーブル、公衆テレビ電話レストラン郵便局理髪店ドラッグストア映画館みやげもの売店などが設けられている他、映画版ではヒルトンホテルAT&Tハワード・ジョンソンズなどといった実在企業がブースを出店している。
アリエス1B型月シャトル
宇宙ステーションと月面の往還に用いられる宇宙船。「宇宙の荷馬」という渾名を持つ。船体は球形をしており、着陸時に上面になる部位に操縦席を、下面に4本の着陸用ショック・アブソーバーを備えている。
船内には座席が円形に配置された定員30名の旅客セクションや無重力トイレがあり、乗客乗員はオリオン3型と同様に、映画版ではグリップシューズ、小説版ではベルクロ・スリッパを着用している。また、小説版にはトイレの描写があり、遠心力で地球の1/4程の人工重力を発生させてから用を足すようになっている。
ムーンバス
月面上での移動に使用されている小型の宇宙船。映画版のみの登場。形状はその名の通りバスに類似している。乗員は数名程度で、船体下部に6基のスラスターと3基の着陸脚を、船体左横にエアロックを有している。
小説版での同シーンでは、8個のフレックス車輪を持つ大型の月面車が登場している。こちらの乗員は20名、移動研究所的な性格を持ち、緊急時には4基の下部ロケットを用いて跳躍することも可能。

キャスト

  • デビッド・ボーマン船長:キア・デュリア
    • 公開当時は「ケア・ダレー」と表記されていた。
  • フランク・プール:ゲイリー・ロックウッド
  • ヘイウッド・フロイド博士:ウィリアム・シルベスター
  • HAL 9000(声):ダグラス・レイン
  • 月を見るもの(ヒトザル):ダニエル・リクター
  • スミスロフ:レナード・ロシター
  • エレナ:マーガレット・タイザック
  • ハルボウセン:ロバート・ビーティ
  • マイケルス:ショーン・サリヴァン
  • 作戦管制官:フランク・ミラー
  • フロイドの娘:ビビアン・キューブリック
    • キューブリック監督の実の娘。
  • ミラー:ケビン・スコット(ノンクレジット)
  • 月面シャトル船長:エド・ビショップ

日本語吹替

役名 / 吹替役名 俳優 日本語版
デビッド・ボーマン船長 キア・デュリア 堀勝之祐
フランク・プール ゲイリー・ロックウッド 小川真司
ヘイウッド・フロイド博士 ウィリアム・シルベスター 小林昭二
HAL 9000(声) ダグラス・レイン 金内吉男
スミスロフ レナード・ロシター 坂口芳貞
ミラー ケビン・スコット 阪脩
  • 日本語版1:初回放送、1981年10月25日テレビ朝日『日曜洋画劇場』(3時間枠ノーカット放送)、翻訳:飯島永昭

スタッフ

  • 製作・監督:スタンリー・キューブリック
    • 公開当時は「カブリック」の表記だった。のちに「クブリック」となり、更に現在の「キューブリック」に落ち着いた。
  • 脚本:スタンリー・キューブリック / アーサー・C・クラーク
  • 撮影監督:ジェフリー・アンスワース / ジョン・オルコット
  • 特殊効果監督:スタンリー・キューブリック
  • SFX:ウォーリー・ビーバーズ / ダグラス・トランブル / コン・ペダースン / トム・ハワード
  • 特殊メイク:スチュアート・フリーボーン
  • 編集:レイ・ラヴジョイ
  • 衣装:ハーディ・エイミーズ
  • 美術:トニー・マスターズ / ハリー・ラング / アーネスト・アーチャー

作品解説

製作は1965年に開始し、イギリスのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー BRITISH STUDIO で撮影された。翌1966年5月までに俳優の演技シーンを撮り終えたが、SFXシーンの完成までさらに1年半以上を費やした。

映画は70mmシネラマ規格で製作された。キューブリックは映像表現にシネラマスクリーンでの上映効果を最大限に狙っている。シネラマスクリーン以外の映画館やビデオでの鑑賞は監督の意図にないため、2012年現在の日本においてはキューブリックの意図した映像表現を存分に感じられる環境にない。

視覚効果ではキューブリックの前作『博士の異常な愛情』でB-52の特撮を担当したウォーリー・ビーバーズのほか、ダグラス・トランブル、コン・ペダースン、トム・ハワードなど少人数しかクレジットされていないが、実際には巨大なプロジェクトであり、視覚効果デザインの上で科学考証に多くの科学者、研究者が参加している上、撮影でも10年を経てイギリスで特撮チームを率いることになるブライアン・ジョンソン(『エイリアン』12)、ゾラン・ペリシック(『スーパーマン』)、マット画合成を担当したリチャード・ユリシッチを含むデザイナー、撮影や現像、合成、アニメーションのスペシャリストが多数参加している。

ディスカバリー号の乗員達が食べる宇宙食は、NASAが実際に開発して本作のために提供したものである。また本作に登場するコンピュータの設定や画面はIBMが協力しており、当初は随所にIBMのロゴがあしらわれていたとされる。しかしながら製作中に「コンピュータが人間を殺害する」というストーリーであることが判明したため、IBMは手を引き、ロゴもすべて除去された。取り残されたIBMロゴが、アリエス1B型の計器盤およびディスカバリー号乗員が着用する宇宙服の左腕コンソールについている。

当初キューブリックは美術担当として漫画家の手塚治虫の協力を仰いだが、当時の手塚は連載漫画の他に、テレビアニメ番組を多数抱え、日本国外での映画製作に携わることは物理的に不可能であったため、オファーを断った。「200名もの人間を食わせなければならないので」云々と云う主旨の返信を送ると、キューブリックは「家族が200人もいるのか?!」と驚嘆したという[5]。手紙自体は紛失してしまったが、封筒の写真は手塚のエッセイ本に掲載されている。

脚本

キューブリックが異星人とのファーストコンタクトを描く映画を撮影すると決めたときに、その科学考証や共同脚本などをアーサー・C・クラークに依頼をした。

クラークはすでに、宇宙人と人類のファーストコンタクトを描いた小説『前哨』(ハヤカワ文庫の同名短編集などに収録)を1948年に発表していた。のちにクラークが発表した『失われた宇宙の旅2001』によると、キューブリックとクラークがアイデアを出し合い、まずはクラークが「小説」としてアイデアをまとめあげ、その後キューブリックが脚本を執筆している。

撮影技術

映画本作の持つ、それまでのSF映画に対する認識を根底から覆すような高品質なSFX技術は、後のSF映画全てに影響を与えていると言っても過言ではない。オープニングなどではモンタージュが駆使された。カメラマン出身で撮影技術に長けたキューブリックは、SFX撮影スタッフと共に「フロントプロジェクション」や「スリットスキャン(スリット越しに被写体を、シャッターが開いた状態で撮影する技術)」といった新たな撮影方法を考案した。

宇宙空間では大気が存在せず、遠くの物体も鮮明に見えることから、カメラのアイリスを極限まで絞り、それによって不足した光量を補うために1フレームに4秒以上の超低速度撮影が使用されている。

作中の各所にワイヤーフレームCGが登場するが、当時のCGはまだ大学研究レベルの段階であり、電卓すら黎明期で一般に普及していない時代だったため、これらの画像は計算尺で計算し、手描きにより作図された。

キューブリックは飛行機恐怖症のため猿人達のシーンをアフリカでは撮影できず、撮影班をアフリカに送って大面積のスチル写真を撮影し、スタジオでフロント・プロジェクションを使った合成を行っている。スターゲートの映像の中には色彩が加工されたモニュメント・バレーの空撮映像も含まれており、アメリカで行われるプレミアのため、キューブリックはアメリカに向かう船の中で編集作業を行った。

画像合成の簡略化を図ったため、どの宇宙船も宇宙に浮かぶ地球や月や木星を画面内で滅多に横切らない。

本作に登場する地球の姿は実際より青白くなっているが、これは撮影当時、地球の姿を正確に知ることができなかったからである。

音楽

映画版では、全篇にわたってクラシック音楽の名高い楽曲が数多く用いられている。それまで、未来的イメージの電子音楽などが用いられることが多かったSF映画で、これ以後通常のオーケストラ音楽が主流になるきっかけとなった。

ジェルジ・リゲティには一切映画についての説明や承諾もないまま、彼の曲を4曲も採用した。リゲティが印税を受け取ったのは、1990年ころになってからだという。

なお、(1)メインタイトル、(2)「人類の夜明け」、(3)ラストと合計3回使われている《ツァラトゥストラはかく語りき》の演奏はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルデッカ録音だが、デッカ(1968年当時は日本国内ではロンドン・レーベル)が演奏者名を出さないことを許諾の条件としたので、映画のエンド・クレジットでは曲名しか表示されていない。

終盤ボーマン船長が年齢を重ねていくシーンでは、BGMに《南極交響曲》を使用したバージョンもつくられた。

「入場曲」および休憩時「間奏曲」の《アトモスフェール》、「退場曲」の《美しく青きドナウ》は、ビデオソフトとしては完成25周年記念のレーザーディスクBOX発売まではカットが慣例化。休憩のクレジット自体も初期のソフト化ではカットされていた。

使用された音楽

  • 上映前の「入場曲」および休憩時の「間奏曲」(リヴァイヴァルでは黒味のまま映写)にはジェルジ・リゲティの《アトモスフェール》。
  • メイン・タイトルにはリヒャルト・シュトラウスの交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》の導入部。
  • ヒトザルたちがモノリスに遭遇する場面でのリゲティの《レクイエム》。
  • ヒトザルが骨を武器にすることに目覚めるシーンでは、再びリヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはかく語りき》導入部。
  • アリエス1B型が月へ向かう場面でのヨハン・シュトラウス2世の円舞曲《美しく青きドナウ》。
  • 月面をムーンバスが低空飛行する場面でのリゲティの《ルクス・エテルナ(永遠の光を)》。
  • フロイド博士らが発掘されたモノリスを見る場面では、再びリゲティの《レクイエム》。
  • ディスカバリー号が木星に向かう途上でのアラム・ハチャトゥリアンの《ガヤネー(ガイーヌ)》からアダージョ。
  • HAL9000が乗員の会話を読唇したところで休憩に入り、リゲティの《アトモスフェール》が再び流れる。
  • 記憶がかすれつつあるHAL9000が歌「Daisy Bell」(作曲:Harry Dacre、1892年)を歌う(1961年にIBM社のチームが電子計算機による合成歌唱を世界で始めて実演したときの曲がDaisy Bellであったことにちなむ)。
  • 木星に近い空間をモノリスが浮遊している場面では、再三、リゲティの《レクイエム》。
  • 木星空間からのめくるめく異次元への突入にはリゲティの《アトモスフェール》や《ヴォルーミナ》など。
  • ボーマン船長が到着した白い部屋ではリゲティの《アヴァンテュール》など。
  • ラストのスターチャイルドが地球を見下ろす場面では、再三、リヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはかく語りき》導入部。
  • エンド・クレジットおよびその後の「退場曲」にはヨハン・シュトラウス2世の《美しく青きドナウ》。

未使用となった音楽

キューブリックは当初、自分の監督作品『スパルタカス』の音楽を手がけたアレックス・ノースに作曲を依頼し、前半部分まで完成したスコアの録音まで完了していた(この最中にノースは過労で倒れてしまった)。しかしそれ以降は一切の連絡もないままノースの音楽を没にし、リヒャルト・シュトラウスなどの音楽に差し替えてしまう。ノースがそのことを知ったのは、試写会の会場であった。ノースはこれに激怒し、訴訟寸前にまで至った。ノースの死後、友人のジェリー・ゴールドスミスは没になった彼の音楽を録音して世に出した。日本でも1993年に『2001年〜デストロイド・ヴァージョン』としてCDが発売されている。

更に、そのアレックス・ノースのオリジナル・スコアのマスターテープが発掘され、1993年10月、Varese Sarabande レーベルから『Alex North's 2001』(VSD-5400)としてCD化、発売された[6]

公開

一般公開は当初予定の1966年から1年4か月遅れ、アポロ11号が月面着陸を果たす前年の1968年に公開された。予算は予定の600万ドルを超過し1,050万ドルに達した。

日本での公開

テンプレート:要出典範囲

更に、年末の各紙誌の高評価を受け、翌春、「凱旋興行」と銘打ってテアトル東京で全席自由席・入れ替え無しで再上映された。

その後初公開から10年後の1978年に再びロードショー上映され、折からのSFブームをフォローアップする形となった。作品の設定年である2001年にも「新世紀特別版」としてノーカット版で公開されている。このヴァージョンでは、本来35mmフィルムでアナモフィック・レンズを使用して再現されるスコープサイズのアスペクト比の1:2.35とせず、35㎜フィルムの上映で70mmのオリジナルと同一のアスペクト比1:2.20を再現している。

反響・評価

公開当時、台詞や説明を極力省き、視覚表現で観客の意識に訴えるという作風は極めて斬新であった。映像のクオリティーや「人類の進化と地球外生命の関係」という哲学的なテーマを賞賛する声の一方、抽象的な内容や非常に難解な結末を批判する意見もあり、賛否両論の渦が巻き起こった。公開直後は興行成績が悪かったが、再公開を経て評価が高まり、現在では世界映画史に残る不朽の名作のひとつとして認識されている。日本の文部科学省が「特選」に指定している、唯一のSF映画としても知られている。

初公開の年の暮れ、1968年12月、アポロ8号が史上初めて月の裏側を廻って帰還したが、その時撮影された月面入れ込みの地球の写真が本作のそれにそっくりで、改めて本作の特撮のクオリティが示された。またそのアポロ8号の船長の名がフランク・ボーマンで、本作の登場人物のふたり、フランク・プールとデヴィッド・ボーマンを合成したような名前であることが、偶然とはいえ話題になった。

公開からかなり時間が経った後も、本作品は高く評価され続けている。1991年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された。

日本での評価

テンプレート:要出典範囲筒井康隆は「大愚作」と断じた後、星新一から「退屈だったなあ(シネラマの一部を切り抜いて、のべつCMを流しておけば)もっとおもしろくなっただろうなあ」と言われたとエッセイ『欠陥大百科』に記している。興行的にはヒット作とは言えなかったが、その年の暮れ、多くの新聞・雑誌の年間ベスト10で高評価された。

ランキング

映画史上のベスト・ランキング、オールタイム・ベストなどでは、必ずと言っていいほどランクインされている。

以下は日本でのランキング

  • 1980年:「外国映画史上ベストテン(キネマ旬報戦後復刊800号記念)」(キネマ旬報12月下旬号発表)第2位
  • 1988年:「大アンケートによる洋画ベスト150」(文藝春秋発表)第7位
  • 1989年:「外国映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第1位
  • 1995年:「オールタイムベストテン・世界映画編」(キネ旬発表)
    • プロフェッショナル選出 第3位(1位は『七人の侍』なので洋画では第2位)
    • 読者選出 第1位
  • 1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・外国映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第2位
  • 2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・外国映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第7位

受賞

本作は1968年のアカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞、また1969年ヒューゴー賞も受賞した。

小説版

小説版が原作として先に書かれたものであると勘違いされることが多いが、小説は映画の公開の後に発表されている上、その小説にはアーサー・C・クラーク独自の解釈がかなり取り入れられていることからも、小説版と映画版は明確に区別する必要がある。

映画と小説版では若干ストーリーが異なっており、例としてディスカバリー号の目的地は、小説版では土星だが、の特撮が困難ということで、映画版では木星となった。小説ではクラークの意向により、木星を利用したスイングバイという設定を用い、土星と木星両方にディスカバリー号を行かせている。

HAL 9000の反乱の要因やラストの展開も、小説版は論理的に説明づけられているのに対し、映画版は謎めいた展開となっている。これは当初、映画冒頭に科学者らが人類の進化など作中の話題に関して語るインタビュー映像が予定され、また全編にわたってストーリーを解説するナレーションを入れる予定であったものが、過剰な説明が映画からマジックを奪うことを恐れたキューブリックが、インタビューもナレーションもすべて削除してしまったため、何の説明もない映像が映画全編にわたり続くことになったからである。

ヒトザルとモノリスの遭遇は小説では300万年前という設定だが、映画では400万年前とされているなど、細かな点の相違は多い。小説ではディスカバリー号には放熱板(「放射翼」)、それもかなり大きなものが付いている設定になっているが[7]映画のディスカバリー号には付いていない。ある解説[8]によれば、宇宙なのに(空気を前提とした)翼なんて、と思われるのを恐れて、映画版では付けていないのだという。

後にクラークが執筆した『2010年宇宙の旅』はパラレルワールドとされ、ストーリーの多くの部分は続編の形を取りながら、主な舞台は木星周辺となっており、そこだけは映画版と同一になっている。「宇宙の旅」シリーズは、更に『2061年宇宙の旅』『3001年終局への旅』と、計4作執筆されており、シリーズ作品全ての作中設定は前作までの多くの部分を踏襲してはいるが、基本的にはパラレルワールドであるとあとがきやまえがきで触れられている。

なお、邦訳は『宇宙のオデッセイ2001』の訳題で、昭和43年10月15日初版発行(伊藤典夫:訳、ハヤカワ・ノヴェルズ)されたが、その後、ハヤカワ文庫に入った際は、映画と同じ『2001年宇宙の旅』の表題になった。

サウンド・トラック

備考

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • スタンリー・キューブリックは、1999年3月7日に死去したので、生きて「2001年」を迎えることは、叶わなかった。
  • 宇宙ステーションでの声紋識別装置の操作卓をよく見ると、言語選択肢に「JAPANESE」がある。
  • 月面でモノリスの前を歩くシーンでは、宇宙服のヘルメットに手持ちカメラを構えるキューブリックの姿が映り込んでいる。

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目

外部リンク

テンプレート:スタンリー・キューブリック監督作品

テンプレート:宇宙の旅シリーズテンプレート:Link GA
  1. 1991年12月4日に破産運航停止。
  2. 続編の映画『2010年』冒頭によると、月のモノリス発見が1999年、ディスカバリー号内の出来事が2001年の出来事とされている。
  3. 日本語字幕では「吸盤靴」と翻訳されている他、「磁力靴」とされている場合もある。
  4. 現実世界では2001年以前の1991年に倒産している。
  5. 1988年キネマ旬報社刊『キューブリック好き!』より。
  6. 同じく93年発売で冒頭曲「ファンファーレ」を収録したエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラによるテラーク・レーベルのアルバム「ハリウッド・グレイテスト・ヒッツ Vol.II(CD-80319,1992年12月録音)」の解説ではノースの未亡人から譲り受けたスコアを演奏に用いたという記述がある。
  7. ハヤカワ文庫SF旧版(SF243)17章 p. 123より「その背後の長いすらりとしたVの字は、原子炉の余剰熱を消散させる放射翼。(略)最大の推力で加速していたときにはサクランボウ色に輝いていた巨大な放射翼も、今では黒く冷たい」、29章 p. 191より「数千平方フィートの放射翼」
  8. 『S-Fマガジン』1980年10月号の「スタジオぬえのスターシップ・ライブラリー」、『スタジオぬえメカニックデザインブック』では p.177