鳴瀬川橋梁

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テンプレート:Mboxテンプレート:橋 鳴瀬川橋梁(なるせがわきょうりょう)は、宮城県東松島市野蒜字下山ノ坊と牛網字下西を結ぶ鉄道橋東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線野蒜駅陸前小野駅の間にあり、一級河川 吉田川鳴瀬川を跨ぐ[1]単線電化の橋梁である。2000年(平成12年)6月完成。プレストレスト・コンクリート構造下路桁のフィンバック形式という珍しい構造をしている。

1999年(平成11年度)土木学会田中賞日本コンクリート工学協会作品賞、2001年(平成13年度)土木学会デザイン賞優秀賞を受賞している。

沿革

仙石線は、1944年(昭和19年)戦争遂行のための戦時買収私鉄指定により買収された宮城電気鉄道が敷設した路線である。現地は東を鳴瀬川、西を吉田川が平行して流れ、その川幅は合わせて約430mあった。宮城電鉄は1928年(昭和3年)、ここに3径間の吉田川橋梁、22径間の鳴瀬川橋梁を建設した。どちらもデックガーダー形式といい、鉄桁の上を列車が通る、いわゆる鉄橋である。

時は流れ、建設省(現国土交通省)による河川改修事業により、吉田川及び鳴瀬川の堤防等は着実に整備されたが、この橋梁周辺は未着手の状態が続いた。そのため、河川幅の狭隘部となっており、洪水の危険性が高まる地点となっていた。そこで河川改修事業の一環として吉田川・鳴瀬川橋梁の架け替えが決定し、約200m下流に新橋梁を建設してルートを変更することになった。

また、橋梁付近は強風が吹きやすい地点であり、デックガーダー形式は吹きさらしの構造のため、鉄道の運休・遅延もたびたび発生した。そのため、新橋梁には、強風対策が求められた。

諸元

フィンバックについて

フィンバックとは背びれのことである。橋桁中央部では低く橋脚の上でとんがった形をしていることからこの名がついている。[1]その内部にはPCケーブルが集中的に埋め込まれて橋桁を支持している。

この形式の特徴は以下の通り。

鳴瀬川橋梁ではこの方式を世界で初めて採用した[1]。なお、国内でこの形式を採用しているのは北海道森町の歩道橋望景橋と当橋のみである。事業計画中は仙台市地下鉄東西線広瀬川橋梁や北陸新幹線姫川橋梁で、この形式が候補に挙がっている。ほかには、スイスアルプスを背景とした位置にこの形式の橋があるとのこと。

なお、フィンバックが橋梁断面の両側についているため、その部分は防風用の柵の代用となる。鳴瀬川橋梁は、フィンバックが低い箇所にも別途防風柵を取り付け、強風による鉄道の乱れを大幅に減少させた。

東日本大震災による影響

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、コンクリート構造物に直接の被害は無かったが、支承の一部が石巻寄りに変形した[1]2015年(平成27年)に予定される仙石線の全線復旧時には、陸前大塚駅から当橋梁までの区間が移設となる予定である[2]テンプレート:節stub

アクセス

脚注

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関連項目


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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 テンプレート:PDFlink34・35ページ目
  2. テンプレート:Cite news