適塾

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適塾(てきじゅく)は、蘭学者医者として知られる緒方洪庵江戸時代後期に大坂船場に開いた蘭学私塾。正式には適々斎塾(てきてきさいじゅく)という。また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来。

幕末から明治維新にかけて活躍した人材を多く輩出し、現在の大阪大学医学部の前身とされている。

歴史

適塾

閉塾後

関係者

1869年(明治2年)、後藤象二郎大阪府知事参与小松清廉の尽力により、東成郡東高津村八丁目寺町(現在の大阪市天王寺区上本町四丁目)の大福寺浪華仮病院および仮医学校が設立される[1]。院長は緒方惟準(洪庵の次男)、主席教授としてオランダ軍医ボードウィンを招き大福寺の施設の提供を受けて、一般の病気治療と医師に対する新治術伝習のために開かれた。半年で鈴木町(現在の大阪市中央区法円坂二丁目)の河内県庁跡(もと大坂代官所。のち南司農局。現在の大阪医療センター付近)に移転した。緒方惟準緒方郁蔵(義弟)、緒方拙斎らがこれに参加。浪華仮病院および仮医学校は、改組・改称を経て現在の大阪大学医学部となっている。緒方家と大阪大学医学部とは深い繋がりがある。

建物等

適塾の建物等は、現在、大阪大学が管理している。

  • 1901年(明治34年) 「洪庵文庫」が門弟らにより設立される。
  • 1915年大正4年) - 1920年(大正9年) 道路の拡張のため、建物の北側が2mほど軒切りされた。
  • 1940年昭和15年) 建物が大阪府の史跡に指定。
  • 1941年(昭和16年) 建物が国の史跡に指定。
  • 1942年(昭和17年) 建物が緒方家から大阪帝国大学に寄贈
  • 1952年(昭和27年) 適塾記念会創立。
  • 1964年(昭和39年) 建物が国の重要文化財に指定。
  • 1972年(昭和47年) 大阪大学・適塾管理運営委員会が発足。
  • 1976年(昭和51年) - 1980年(昭和55年) 文化庁により建物が解体修理された。
  • 1980年(昭和55年) 一般公開開始。
  • 1981年(昭和56年) 適塾周辺史跡公園化事業により東側隣接地に公園が完成。
  • 1986年(昭和61年) 西側隣接地に公園(公開空地)が完成。
  • 2013年平成25年) - 2014年(平成26年) 建物の耐震改修工事が行われた。この間一般公開は休止されていたが、工事終了後一般公開を再開。

門下生

門下生の自筆による姓名録が残っており、1844年(弘化元年)から1862年(文久2年)までの636名の姓名・入門年・出身地が記載されている。現在の都道府県で出身地を分けると、山口県が56名で最も多く、洪庵の出身地の岡山県が46名で2番目。その他、大阪府は19名、鹿児島県は7名となっている。また、青森県沖縄県を除いて、北は北海道から南は鹿児島県まで全国から入門している。

主な門下生

所在地

大阪府大阪市中央区北浜三丁目3-8

脚注

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参考文献

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関連項目

外部リンク

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  1. (大阪市)東区史 4 文化篇 (p136)