紀三井寺
テンプレート:日本の寺院 紀三井寺(きみいでら)は、和歌山県和歌山市紀三井寺にある仏教寺院。正式名は紀三井山金剛宝寺護国院。西国三十三所第2番札所。
目次
概要
寺号は詳しくは紀三井山金剛宝寺護国院と称し、宗教法人としての公称は「護国院」であるが、古くから「紀三井寺」の名で知られる[1]。宗派はもと真言宗山階派に属したが、1948年に独立して救世観音宗総本山を名乗る。本尊は十一面観音で、西国三十三所観音霊場の第2番札所である。
伽藍は山の中腹にあって、境内から和歌山市街を一望できる。山内に涌く三井水(吉祥水・清浄水・楊柳水)は、「名水百選」に選ばれている。また、境内は関西一の早咲き桜として知られており、観桜の名所として名高く、日本さくら名所100選にも選ばれている。
歴史
伝承によれば、宝亀元年(770年)、唐僧の為光が、日本各地を行脚していた時、名草山山頂から一筋の光が発せられているのを見た。光の元をたどって名草山に登った為光は、そこで金色の千手観音を感得した。為光は自ら観音像を彫刻し、胎内仏としてその金色千手観音像を奉納し、草堂を造って安置したのが紀三井寺の始まりであるという。名草山に三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)があることから「紀三井山」という山号になったといわれるが、『紀伊続風土記』では付近の地名「毛見(けみ)」が転じたものとされている。
真言宗山階派勧修寺の末寺であったが、昭和23年(1948年)3月20日、救世観音宗を開創して本山より独立した。
御詠歌
- ふるさとを
- はるばるここに
- 紀三井寺
- 花の都も
- 近くなるらん
伽藍
JR紀三井寺駅から徒歩10分ほどのところに境内入口の楼門が建つ。そこから231段の急な石段を上りきったところが境内の中心部で、正面に六角堂、右手に2002年建立の新仏殿、左手には本堂、鐘楼、大師堂などが建つ。本堂脇の石段をさらに上ったところには多宝塔、開山堂がある。
本堂(和歌山県指定文化財)
- 江戸時代、宝暦9年(1759年)の建立。観音堂とも称す。入母屋造本瓦葺き、柱間は正面側面とも五間で、千鳥破風を付し、正面には唐破風形・三間の向拝を設ける。虹梁形の貫を用い、頭貫に木鼻を付し、台輪を乗せ、組物は三手先詰組とするなど、細部には禅宗様が用いられている。秘仏本尊の十一面観音像、千手観音像などは、現在は裏手の大光明殿に移されている。
- 大光明殿
- 本堂の裏手に棟続きに建つ耐震耐火の収蔵庫(原則非公開)で、昭和58年(1983年)に完成した。殿内中央の厨子内には向かって左に十一面観音像、右に千手観音像が安置される。紀三井寺の本尊とされるのは十一面観音像だが、千手観音像も本尊と同様に崇敬されている。両像とも50年に一度開扉の秘仏である[2]。厨子外の向かって右には梵天像と本尊とは別の十一面観音像、左には帝釈天像と毘沙門天像を安置する(毘沙門天像を除く5体は重要文化財)。
- 十一面観音立像 - 像高161.5センチメートル[3]。当寺の秘仏本尊。一木造、素地仕上げ。頭部のプロポーションが大きく、素朴な彫法の像で、平安時代、10世紀頃の作と推定される。
- 千手観音立像 - 像高183.0センチメートル。平安時代、10 - 11世紀の作。本尊とともに安置される秘仏で、一木造、素地仕上げとする。千手観音の彫像は42手をもって千手とみなすのが通例だが、本像は奈良・唐招提寺像などと同様、大手42本の他に多数の小手を表す「真数千手」像である。
- 梵天・帝釈天立像 - 像高163.9及び161.2センチメートル。平安時代、10 - 11世紀の作。本尊の両脇に安置され、「梵天・帝釈天」と称されているが、条帛(じょうはく)、天衣、裳を着けた像容は菩薩像のそれであり、本来観音菩薩像として造られた可能性が高い。梵天像は彫法が素朴で、彩色はほとんど剥落し、頭上には円筒形の冠があるのに対し、帝釈天像は衣文の彫技が細かく、彩色がよく残るなど、両像の作風には明らかな相違があり、元来一具ではなかったとみられる。
- 十一面観音立像 - 像高156.7センチメートル。平安時代、10 - 11世紀の作。一木造、彩色はほとんど剥落。大光明殿内の向かって右端に安置。衣文の彫りが簡略で、素朴な作風の像である。
仏殿
- 鉄筋コンクリート造3階建の新仏殿で、建物全体の形は五輪塔に擬している。2000年に起工し、2002年に竣工。高さ25メートル。内部には高さ12メートルの木造千手観音立像(寺では「大千手十一面観世音菩薩像」と呼ぶ)を安置する。この観音像は仏師松本明慶の工房の作品で、京都の工房で制作した寄木造の像を現地で組み上げたものである。耐震性を考慮して、内部には鉄製の心棒を立て、枠木で像を固定している。寺では、寄木の立像としては日本一のものであるとしている。像は2002年から制作を開始し、2007年に完成、2008年5月21日に入仏落慶供養が行われた。
その他の建物
- 楼門(重要文化財) - 参道正面、境内への入口に建つ楼門(2階建門)。室町時代中期の建立で、寺伝では永正6年(1509年)の建立という。
- 鐘楼(重要文化財) - 安土桃山時代の建築。寺伝では天正16年(1588年)の建立という。
- 多宝塔(重要文化財)- 室町時代の建築。史料により文安6年(1449年)の建立と推定される。和様を基調としつつ、唐戸、花頭窓などを用いている。
- 六角堂
三井水
紀三井寺の寺名のもととなったとされる「清浄水」「楊柳水」「吉祥水」の3つの湧き水である。紀三井寺の三井水として(1985年〈昭和60年〉選定)[4]名水百選に定められている。清浄水は参道石段の途中右側にある小滝である。楊柳水はそこから小道を入った突き当たりにある井戸。吉祥水は境内からいったん楼門を出て右(北)へ数百メートル行ったところにある井戸である。楊柳水と吉祥水は荒廃していたのを20世紀末に復旧整備したものである。
文化財
重要文化財
- 楼門
- 鐘楼
- 多宝塔
- 木造千手観音立像 - 秘仏
- 木造十一面観音立像
- 木造十一面観音立像
- 木造梵天・帝釈天立像
重要文化財の仏像はいずれも平安時代中期~後期の作品である。
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楼門(重要文化財)
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六角堂
年中行事
- 1月18日 - 初観音
- 4月第1土曜 - 文塚(迷子郵便)供養
- 4月18日 - 春会式
- 7月7日 - 七夕祇園まつり
- 8月9日 - 千日詣
- 8月15日 - 灯篭供養
- 11月13日 - 開山忌
- 12月18日 - しまい観音
前後の札所
交通アクセス
- JR西日本 紀勢本線 紀三井寺駅から徒歩10分。南海和歌山市駅から和歌山バス紀三井寺行きなどで31分、JR西日本 和歌山電鐵 和歌山駅からは16分、紀三井寺下車。
- 国道42号の紀三井寺交差点で山側へ。阪和道からは和歌山ICより南下、または海南ICから42号へ出て北上。
周辺情報
脚注
- ↑ 楼門前の石柱には「紀三井山護国院」、本堂前の石柱には「紀三井寺」とある。「紀三井山金剛宝寺」「金剛宝寺護国院」ともいう。
- ↑ 2008年から2010年にかけて、花山法皇の一千年忌を記念して西国三十三所の全札所寺院の結縁開帳が実施されるのにあわせて、これらの像も特別開扉された。開扉期間は2008年10月10日 - 10月20日、2009年10月10日 - 10月20日、及び2010年3月1日 - 3月10日。
- ↑ 像高は久野健編『仏像巡礼事典』新訂版(山川出版社、1994)による。以下も同じ。
- ↑ テンプレート:Cite web