立川キウイ

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テンプレート:Amboxテンプレート:DMC テンプレート:Notice 立川 キウイ(たてかわ きうい、1967年1月11日 - ) は落語家。本名、塚田 洋一郎(つかだ よういちろう)。東京都板橋区出身。落語立川流所属。立川談志直門。2011年7月1日に真打昇進[1]

略歴

入門まで

中学・高校時代は「無頼な表現者」として太宰治檀一雄に憧れ、下駄で登校し笑われるなどのエピソードを持つ。漫才ブーム到来で「芸人こそ現代の無頼」と考え、ブームの立役者であるビートたけしが立川錦之介として所属する落語立川流と、その家元である7代目立川談志の存在を知る。専門学校卒業後に弟子入りを志願するも「100万円貯金してからこい」と追い返され、4年かけて100万円貯めて再訪する。しかし談志はそのこと自体をすっかり忘れていた。

1990年12月、立川談志門下に入門し、2代目立川キウイを名乗る。(初代は故団鬼六である)談志はキウイフルーツを「毛の生えた気持ち悪いもの」[2]、「フグリ(陰嚢)に似た果物」(高座での枕)と認識しているようであるが、これが命名の由来になっているか否かは定かではない。キウイ自身は由来について「入門当時、よしもとばななや、トマト銀行などが流行っていたからでは」など諸説を挙げている。[3] 談志からは「談の文字が欲しければ、‘談キウイ’と名乗ってもよい」と言われたこともある。

前座時代の紆余曲折

前座生活は足掛け16年にも及ぶ。これは二つ目に厳格な昇格試験を課すために、前座修行期間が長くなる傾向にある立川流の中でも極端に長い。同一門下における前座修行期間としては戦後最長記録とされる。弟弟子の真打昇進パーティに前座の身分で裏方に回るという前代未聞の珍事も引き起こした。また、後述するように前座時代に度々破門されており、明確な形で破門状態に追い込まれただけでも3回を数える。

  • 1999年ごろ、談志が石原慎太郎都知事の会合に前座を連れて行こうとしたところ、連絡ミスで集まらず激怒、 破門(1週間で復帰)。
  • 2000年に上納金の未納が発覚。月1万円を1年半も納めておらず、即座に破門。 未納分18万円の3倍の約50万円を納入後1カ月半で復帰。
  • 2002年5月、談志より「二つ目への昇進意欲が感じられない」として他の前座(談修、志加吾、談号、談大、談吉)とまとめて破門される。2003年5月、談志により一門復帰試験と二つ目昇進試験が行なわれるが不合格(談修のみ復帰と二つ目昇進が認められる。これを機に志加吾と談号は立川流から脱退し、名古屋の雷門小福門下に移籍し、雷門獅篭雷門幸福に改名)。
  • 2004年1月、一門の新年会席上で再度復帰試験が行なわれる。しかし師匠について稽古した踊りは真打の兄弟子から「ラジオ体操」と評されるレベルであり、窮した談志は判断を真打達に委ねる。当初は厳しい意見が相次いだが、二つ目ではなくあくまでも前座としての復帰を認めるかどうかであるとの条件提示が談志からあり、談志の意を汲んだ立川志の輔の音頭取りで、ようやく立川談志門下復帰を許される。

前座という立場ではあったが、真打がトリや独演会で掛ける「紺屋高尾」などの大根多を勉強会の高座にかける(一般には前座が真打のネタを高座に掛けるのは禁じられている)。しかし寄席がない立川流のために、高座の機会は極端に少ない。破門期間中は一度も勉強会などを開かなかった。本人の弁によると、勉強会の日と復帰試験の日が重なってはいけないからとの配慮からであったと述べている。

二つ目昇進

2007年4月10日に実施された二つ目昇進試験で談志より「昇格内定」を言い渡される。しかし、以前から朝令暮改の傾向がある談志はキウイを含む合格者全員の内定を取り消し、音曲歌謡を中心とする追試を課すと発表。しかしこれも間もなく中止となり、正式な二つ目昇格が決まった。

これまでの立川流の厳しい昇進基準と全く異なった昇進に「在庫一掃」処分ではないかという声があがっている。二つ目昇進試験は、参加した前座や野末陳平立川流顧問の証言によって、飲酒によって酩酊した談志が数名に課題の踊りや歌をランダムに演じさせ、必ずしも全員が落語に加えて歌舞音曲や講談などの項目を試験されたわけではなく、旧来の二つ目昇進試験に比較してかなり甘い内容であったことが知られるようになる。これに対してはブログで「家元が認めた二つ目である」ことを強調し、兄弟子である談春さえも俎上に上げている[4]。もっとも、談志自身は昇進基準である歌舞音曲が不十分であっても、自らの余生が長くないことを理由に前座を全て昇進させたことを明かしている。[5]

真打昇進

真打昇進が決まった時期は2011年7月1日である[6]。その決定は2010年3月17日頃なされた。キウイの著書『万年前座』を師の談志が褒め、「よく書けている、偉い。褒美に真打昇進させてやる」と言った。この一言はシャレかも知れない。言われたキウイ自身も「師匠に真打ち昇進を言われたときはとっさに意味が分からなかった」と振り返るが、ためらわず『ありがとうございます』と受けた[7]。これで真打ち昇進はあっさりと決まった。その後、談志は「あの時は気が弱っていた」と後悔しており、昇進への反対意見を募集していたという[8]

本人も認めるとおり、落語界でおそらく初となる「本で真打ちになった男」となる。反面、真打ち昇進試験は行っていない。しかしこれは立川流内で先行して真打になった者たちの事例と同様である。談志はキウイに対して「まともな芸は期待していない。落語をぶっ壊してやってみろ。求めるのはうまいやつじゃなく面白いやつ」と言葉を贈った[9]。二つ目から真打まで約4年と、極めてスピード出世となる[10]。ただし、真打昇進記念パーティーは「ビン・ラーディンの喪に服するため」欠席、また、真打昇進披露に立川談志が出演すると広告していたが、いずれも出席しなかった(咽頭癌が進行し、発声ができなかったためと推測される)。

真打ち昇進後の主な活動の場は、上野広小路亭で月一回開催される「立川キウイの会」と、落語立川流の一門会となっている。

人物

現在は実家で暮らし、サラリーマンの父親の扶養家族という立場である。母親と喧嘩して家出するが、公園で一泊して帰宅したこともあった。主な収入源は、立川流の若手が代々引き継いでいる、師匠・談志が懇意にしている銀座にあるクラブでのバーテンダーのアルバイトである。ただしカクテルを作ることはない。また、このアルバイトは真打昇進後も後輩、弟弟子に譲らない。

近所の映画館の料金が割引になるレイトショーを中心に、年間200本前後の映画を鑑賞していると豪語し、実際に自身の旧ウェブサイトや現在の公式ブログでその感想を投稿している。また、映画館の鑑賞以外にも、レンタルビデオもかなりの数を借りて鑑賞している。劇辛料理やラーメンの食べ歩きをほぼ毎日し、料理の感想を店名を出し料理の写真とともにブログに投稿している(店の許可を取っているかは不明)。飲酒による失敗談が多いが、落語の稽古や落語に関する内容がブログで書かれることは殆どない。

また、ブログに師匠談志とのツーショット写真や著書『万年前座』の表紙を何度も掲載している。

雷門獅篭が談志門下所属中に立川志加吾の名前でモーニングで連載していた漫画『風とマンダラ』で、個性的な兄弟子として描かれたことにより、知名度は全国区になる。また、快楽亭ブラック (2代目)の新作「イメクラ五人廻し」にも実名で登場し、サゲの決定的な要素となっている。

立川志の輔原作の映画「歓喜の歌」(2008年2月2日公開)に出演しており、ロールにも名を連ねている。

公式ブログでは、自己の都合の良いように事実を歪曲して掲載することが少なくない。例えば、雷門獅篭が自分を慕って楽屋に顔を出したかのように掲載するも[11]、遠来の客が来るからとキウイに懇願されただけであったと反論されている。[12]また、後輩を激辛で有名なラーメン店に連れて行った際に、後輩が自発的に最も辛いメニューを注文したかのように掲載しているが[13]、後輩の公式ブログによれば逆らうことのできないキウイの指示によるもので、無理に美味しそうに振舞った挙句に全て嘔吐した[14]

2011年3月11日のブログでは「今回の地震は『大山詣り』と洒落こみたいね」とのタイトルで「今回の地震は『大山詣り』と洒落こみたいね 「皆さん、お毛が(怪我)なくってお目出度い」[15]東北地方太平洋地震被災者への配慮に欠けたブログを更新。

評価

兄弟子の立川談春から、その著書『赤めだか』[16]において「十五年近く弟子をやっている直門の男」とほぼ名指しで、何度も昇進試験を受ける心構えが甘すぎると痛烈に批判されている。キウイ側からは、『赤めだか』をブログに取り上げながらいっさい言及がなかったが、「談春兄さんの、師匠批判に受け止められかねないかと思った」と発言し、師匠が決めた昇進に異を唱える談春の態度は師匠批判と取られかねないので、言及しなかった旨を記述する[17]。しかし、談春は二つ目昇進それ自体を批判したのではなく、それ以前の昇進試験でのキウイ(と思われる弟子)の態度を批判したのであって、昇進そのものに関しては談志批判となるような記述はしておらず、「『赤めだか』は必読本ですよ!」などとブログのタイトルにしておきながら、本書を正しく読み込んでいるのか、疑問が持たれる。談春はこのようなキウイ批判と合わせて、自分の弟子の二つ目昇進試験は一回勝負とする旨を、同書の中で宣言している。

快楽亭ブラックは自らの著書で、「『万年前座』はキウイの書いた文章があまりにも稚拙で(中略)奴を贔屓にしている名古屋のラーメン屋店主が(中略)書き直したため、世に出た本」「キウイを真打にしたことで家元、晩節を汚した」と批判している[18]

2009年3月23日付の産経新聞の紙上の署名記事[19]にて、ある大臣が挨拶で使ったギャグを安易に流用する姿勢について、「さらに面白くして使うなら許せるが、政治家のほうが面白かったら仕方がないじゃないか、という言葉がノド元まで出かかった」と批判される。キウイは公式ブログにてある大臣が甘利明であることを明らかにした上で、反論を掲載している[20]

ウィキペディアへの批判

ウィキペディアに関しても批判的であり、「ネットの在り方には、かなりの問題があるように思います」[21]や「それは匿名の怖さというか、匿名の力を良い方にではなく、悪い方に使ってしまっているみたいです。」[22]と公式ブログで述べている。

ウィキペディアへに対して「どっから赤ペンひいて直せばいいのか分からないほどのもん」[23]とし、キウイの公式サイトの管理人が交代したという記述は事実無根であると批判する。また、「ウイキペディアを見て、本当に内容が公平ではなく偏っていて酷いから、せめてもと思い、色々と確認のとれた事実を訂正したら、それすら呆気なく元に戻されてしまいました」というメールの内容を紹介する[24]

ウィキペディアの誤記として、談志がキウイフルーツをフグリ(陰嚢)に似た果物と発言したという記述に対して、これをフグ(河豚)と誤読した上で、「うちの師匠がキウイを河豚と認識って何?」「多分、師匠はそんな認識はないと思うよ。」「一度もそんなの耳にしたことないもん、少なくとも当人の僕はね。」「多分、師匠に聞いても、「知らない」って答えると思うな。」と書き、ウィキペディア批判を展開する[25]。ブログの記述を読む限り、談志がキウイ・フルーツが陰嚢に似ているという発言をしたことを、立川キウイが陰嚢に似ていると発言したと二重に誤読していることが読み取れる。命名の由来に関しては前述引用文がすべて推測系であることからもわかるように、談志に確認したものではなくキウイの主観であり、また命名の由来について談志に確認したという報告は現在なされていない。

その後突然「河豚利」という当て字表現でフグリを陰嚢と認識した前提の日記[26]を書く。自分の誤読に対する謝罪や訂正もいっさいないまま、「所謂ネット上での、師匠はキウイを河豚利との認識はデマであると思います」と、再びウィキペディア批判を展開する。ウィキペディアの記述は、あくまでも談志の高座での余談・ギャグとして記述された物であり、キウイ命名の由来としては記述されていないのだが、キウイの思い込みによる誤読からの見当外れな批判と思われる。

著書

  • 『万年前座 - 僕と師匠・談志の16年』新潮社 2009年11月27日 ISBN 978-4103199113

DVD

  • 『落語対決DVD 快楽亭ブラックVS立川キウイ 「~断罪!立川キウイ 腐った果物~」』Cat Panic Entertainment 2014年1月25日

脚注

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関連項目

外部リンク

  1. 前座記録保持の立川キウイ、来春真打昇進。師匠談志が認める 日本テレビ前座16年立川キウイ真打ちにスピード昇格 日刊スポーツ前座16年半 キウイ真打ちへ 産經
  2. 高田文夫・笑芸人編 『落語ファン倶楽部 Vol.5』 白夜書房 ISBN 978-4861914027
  3. 公式サイト『立川キウイの小屋』内プロフィール
  4. 『『赤めだか』は必読本ですよ!』2008年10月30日の公式ブログ
  5. 桂吉坊 『桂吉坊がきく 藝』 朝日新聞出版 ISBN 978-4022505392
  6. 前座記録保持の立川キウイ、来春真打昇進。師匠談志が認める 日本テレビ前座16年立川キウイ真打ちにスピード昇格 日刊スポーツ
  7. 前座16年半 キウイ真打ちへ 産經 ここで逡巡(しゅんじゅん)したり遠慮したりするのは実は大変危険なことで、ご祝儀の現ナマを出された芸人と同様に有無をいわさず飛びついて受け取ることだけが正解であった。前述の志加吾(獅篭)は破門騒動の直前に、談志より「二つ目にしてやる」といわれ大いに喜んだが、「そのうち正式に昇進の発表が談志側からあるだろう」と期待し、そのまま放置した。その直後、「二つ目への昇進意欲が足りない」という理由でキウイら他の大勢と共に破門され、講談社での売れっ子漫画家と東京落語のスター候補生という二つの地位を永久に失った。 
  8. 高田文夫のラジオビバリー昼ズ』2010年4月5日オープニングにおける高田文夫の発言より
  9. 日刊スポーツ記事より。「落語界に必要なのはうまいやつよりも面白いやつ」というのは談志が若いころから一貫して持っていた理念である。
  10. 円楽一門会のうち数名、あるいは戦前の何人か(例えば春風亭柳枝 (4代目)春風亭柳枝 (6代目)春風亭柳橋 (6代目)など)は、二つ目から真打の昇進という点では、キウイより速い出世である(2年など)。落語の昇進の基準はあってないようなもので、例えば三遊亭金馬 (4代目)が二つ目に昇進した理由は「太平洋戦争で日本が負けたから」(当時、日本人のかなり多くは「敵国改め占領軍米国によって、日本女性は全員強姦され、日本男性は全員殺害される」と本気で信じていた。「こいつ(4代金馬)を前座のまま死なすのは可哀そうだから、昇進させてやろう」という師・三代金馬の温情であった。四代目金馬は自著でこれを「ポツダム昇進」と自嘲している)、古今亭圓菊の真打昇進は「師・志ん生の介護をしたから」であり、他にも「親孝行だから」などわけのわからない理由で真打ちになった落語家はかなりいた。
  11. 『毎日が飲み会』2009年6月10日の公式ブログ
  12. 『何しに来たんだ?』2009年6月10日の雷門獅篭公式ブログ
  13. 『蒙古タンメン中本の定食』他2009年7月18日の公式ブログ
  14. 7/182009年7月20日の快楽亭ブラ淋公式ブログ
  15. 今回の地震は『大山詣り』と洒落こみたいね2011年3月11日の立川キウイ公式ブログ
  16. 立川談春 『赤めだか』 扶桑社 ISBN 978-4594056155
  17. 『『赤めだか』は必読本ですよ!』2008年10月30日の公式ブログ
  18. 快楽亭ブラック『立川談志の正体』彩流社、154ページ、155ページ。
  19. 【戯言戯画】立川キウイ 政治家のネタをそのまま…」産経新聞 平成21年3月23日
  20. 『「キウイさん優しすぎ」』2009年4月29日の公式ブログ
  21. 『ネットの面白半分な書き込みについて思ったこと』2009年1月31日の公式ブログ
  22. 『それでも僕はやってない』2008年10月29日の公式ブログ
  23. 『長文日記』2009年1月26日の公式ブログ
  24. 『ウイキペディアの掲示板化』2009年5月2日
  25. 『長文日記』2009年1月26日の公式ブログ
  26. 『師匠のお言葉 1』2009年4月15日