同和鉱業片上鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
片上鉄道から転送)
移動先: 案内検索
テンプレート:UKrail-headerテンプレート:BS-datenテンプレート:BS-tableテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS

|} 片上鉄道(かたかみてつどう)は、かつて岡山県備前市の片上駅から久米郡柵原町(現美咲町)の柵原駅までを結んでいた同和鉱業(現:DOWAホールディングス)の鉄道路線である。1991年6月30日まで営業を行っていた。

概要

吉井川の川舟(高瀬舟)に代わり柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を片上港まで輸送する目的で建設され、1923年1月に片上 - 和気間が開業した。次いで8月に和気 - 備前矢田 - 井ノ口(貨)間が開業。1931年2月、井ノ口 - 柵原間が開業し(井ノ口駅は廃止)全線開通した。柵原鉱山からの鉱石輸送のほかに旅客営業も行われ、沿線住民の足にもなっていた。

鉱石輸送が主体であったため交換駅有効長は長く、しかもPC枕木を使用するなど地方鉄道としては高い規格の線路を有していた。その高規格の線路の上を戦前生まれの旧型気動車が闊歩する姿はユニークでもあった。特に、現在も整備・動態保存されているキハ303(旧番号キハ3003←国鉄キハ41071)は、気動車としては現役最後の国鉄キハ41000形としてその名が知られており、動態で保存されている気動車の中で日本最古である(また、唯一動態で保存されているキハ41000形でもある)。また、キハ702(旧番号キハ07 5)は流線形の原型を保った貴重な国鉄キハ42000形である。原型を保ったキハ42000形は現在、全国的に見ても現存車両が2両しかなく、一部を改造(前照灯のシールドビーム化・液体変速機化)されてはいるが、原型で動態のものはキハ702のみであり、動態で保存されている気動車の中では日本で2番目に古い。また、自社発注でキハ41000形に似た形態で張上げ屋根・正面2枚窓のキハ312も動態で保存されている。

和気以北では吉井川に沿い、客車列車(主に混合列車)も運転されていた。地元や鉄道ファンはその客車の色から「ブルートレイン」と呼んでおり、自社発注のホハフ2000形(昭和25年・ナニワ工機製)と国鉄から購入したホハフ3000形(旧オハ35)が使用されていた。乗客が多かったのは和気駅・周匝駅であった。 また、1931年(昭和6年)7月20日に開業した杖谷駅(開業時より無人駅)は、民家の庭先に待合小屋とホームがあるという大変珍しい駅であった。

円高などによる柵原鉱山の鉱石産出量減のため、収入の多くを占めていた鉱石輸送はトラックに切り替えられ、経営が成り立たなくなってしまった。会社側は肥料輸送や旅客列車の減便などで生き残りを図ったが、沿線は人口が希薄で過疎も進みつつあったため乗客は減り続け、万策尽きる形で1991年7月1日に全線が廃止された。末期には、観光業者が経営を引き継ぎ観光鉄道として再生させるプランが持ち込まれたが実現しなかった。

廃止後は日生運輸(備前バス)による代替バスに転換された(ただし、和気駅前は狭隘なため、和気始発便のみ駅前から発車し、それ以外は少し離れたところにある富士見橋バス停に発着する)。備前バスは、1972年7月に同和鉱業片上鉄道のバス部門が日生運輸に譲渡されたものである。片上鉄道の代替バスルートのみが「備前片鉄バス」として運行されている。片上鉄道廃止後は片鉄片上 - 和気駅前 - 矢田 - 周匝 - 高下 - 吉ヶ原 - 柵原病院前で運行され、月曜日 - 金曜日は5往復程度、土曜日は2往復である。2007年4月1日より、備前片鉄バスの運行は日曜・祝日・年末年始は全便運休となっている。2011年10月1日からは同バス沿線の美咲町(旧柵原町)が2011年9月をもって同バスに関する補助金を打ち切ったのに伴い、周匝 - 高下 - 吉ヶ原 - 柵原病院前間が廃止となった[1]。同区間廃止後は、美咲町が柵原病院前 - 吉ヶ原 - 高下 - 周匝間に備前片鉄バスに接続する連絡バスを2011年12月28日までの期間限定で試験運行を行ない、現在は柵原病院 - 周匝連絡バスとなっている。

路線データ(廃止時)

  • 路線距離:
  • ダブル・チェイン[2]:3か所(9k800m付近、31k000m付近、33k800m付近)
  • ブレイク・チェイン[3]:1か所(11k300m付近)
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:17駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:単線自動閉塞式 (ARC)
  • 軌条:37kgレール 98.3%、30kgレール 1.7%
  • 踏切:108か所(うち特殊信号発光機設置踏切 27か所)
  • 橋梁:98か所(総延長 1k244m484)
  • 最小勾配:0.9(28k585m97 - 29k068m78 周匝駅付近)
  • 最大勾配:28.6‰(0k603m05 - 1k750m16、2k031m08 - 3k218m69 片上 - 清水間)
  • 最小曲線:半径240m 4か所
  • 最大曲線:半径300m 18か所
  • 隧道:3か所 (総延長:270m061)
  • 陸閘:1か所 河本 - 備前矢田間 (17k535m - 17k541m)


歴史

ファイル:Masubara STN.jpg
益原駅(1990年)
ファイル:Bizen Yata STN.jpg
備前矢田駅(1988年)
ファイル:Mimasaka Yuka STN.jpg
美作飯岡駅(1991年)
ファイル:Katakami kiha802.jpg
同和鉱業小坂鉄道から移籍したキハ802
  • 1919年大正8年)3月24日 片上 - 三石(片上 - 和気 - 吉永 - 三石)間の軽便鉄道(軌間762mm)の免許を鉄道大臣に出願
  • 1919年(大正8年)7月16日 片上 - 三石間の軽便鉄道の免許取得(片上軽便鉄道)[4]
  • 1919年(大正8年)11月27日 片上鉄道設立[5][6]
  • 1921年(大正10年)6月17日 片上恵比寿神社にて起工式
  • 1921年(大正10年)12月28日 和気 - 三石間の免許失効[7]
  • 1922年(大正11年)4月17日 軌間1067mmに変更の上、和気 - 井ノ口間の免許取得[8]
  • 1923年(大正12年)1月1日 片上鉄道により、片上 - 和気間が開業[9]
  • 1923年(大正12年)8月10日 和気 - 備前矢田 - 井ノ口間が開業。旅客営業は片上 - 備前矢田間のみ[10]。柵原鉱山からの鉱石輸送用索道と井ノ口で連絡
  • 1924年(大正13年)8月31日 本和気駅、天瀬駅開業[11]
  • 1929年昭和4年)2月14日 井ノ口 - 柵原間の免許取得[12]
  • 1931年(昭和6年)2月1日 井ノ口 - 柵原間開業し全通。全線で旅客営業開始。井ノ口駅廃止[13]
  • 1931年(昭和6年)7月20日 杖谷駅開業
  • 1950年(昭和25年)6月20日 藤田興業が片上鉄道を合併。「藤田興業片上鉄道海運事務所」に改称
  • 1957年(昭和32年)8月1日 同和鉱業が藤田興業を合併。「同和鉱業片上鉄道事業所」に改称
  • 1965年(昭和40年)10月 動力車のディーゼル化に着手
  • 1967年(昭和42年)12月 (片上鉄道線)和気駅運転業務を直営化[14]
  • 1967年(昭和43年)3月1日 美作飯岡・備前福田駅業務を外部委託
  • 1968年(昭和43年)9月10日 蒸気機関車全廃
  • 1971年(昭和46年)2月1日 片上 - 天瀬間単線自動閉塞式 (ARC) 化。清水駅無人化実施、本和気駅業務を外部委託
  • 1971年(昭和46年)6月1日 美作飯岡駅無人化実施
  • 1971年(昭和46年)10月1日 天瀬 - 備前塩田間単線自動閉塞式 (ARC) 化。天瀬・苦木駅無人化実施
  • 1972年(昭和47年)9月1日 備前塩田 - 柵原間単線自動閉塞式 (ARC) 化。備前塩田駅業務と、片上駅構内の「西片上浜踏切」の看守業務を外部委託
  • 1972年(昭和47年)10月 合理化により、車両整備・保線業務を同和工営に委託
  • 1973年(昭和48年)10月1日 周匝駅業務を外部委託
  • 1978年(昭和53年)11月 国鉄と廃車車両の解体工事を請け負う契約が結ばれ工事開始。翌1979年3月頃までにキハ80系10両とスロ54形やマニ60形などの客車20両を片上駅構内にて解体
  • 1983年(昭和58年)1月19日 国鉄コンテナの輸送営業を開始
  • 1984年(昭和59年)2月1日 郵便輸送を廃止
  • 1984年(昭和59年)4月1日 本和気・河本・備前塩田・備前福田の4駅の業務委託を解消し、無人化実施
  • 1986年(昭和61年)3月 日祝日ダイヤ(一部列車の運行休止)を導入
  • 1986年(昭和61年)11月1日 国鉄連絡車扱貨物輸送を廃止
  • 1987年(昭和62年)8月18日 同和鉱業より鉄道廃止の方針が正式発表
  • 1987年(昭和62年)11月1日 鉱石輸送をトラック輸送に切替
  • 1988年(昭和63年)1月 柵原駅無人化実施
  • 1988年(昭和63年)3月13日 JRコンテナの輸送営業を廃止
  • 1988年(昭和63年)6月 岡山県・沿線町村存続対策協議会・同和鉱業の3者による「片上鉄道の運営に関する覚書」締結。3年間の「存続試行期間」制定
  • 1988年(昭和63年)7月1日 貨物営業廃止
  • 1991年平成3年)1月18日 鉄道事業廃止申請書を同和鉱業より運輸大臣に提出
  • 1991年(平成3年)3月8日 代替バス路線準備の遅れのため廃止申請を取り下げ、廃止予定の4月1日より3か月間の廃止延期を発表
  • 1991年(平成3年)5月10日 鉄道事業廃止申請書を再度、運輸大臣に提出
  • 1991年(平成3年)6月30日 最終運行
  • 1991年(平成3年)7月1日 全線廃止

駅一覧

所在地名などは廃止時点のもの(井ノ口駅廃止時の所在地は和気郡山田村)。全駅岡山県に所在。

駅名 読み 営業キロ
(建設キロ=駅中心)
接続路線・備考 所在地
片上駅 かたかみえき 0.0 (0k281m64) 西日本旅客鉄道:赤穂線西片上駅:徒歩5分) 備前市
清水駅 しみずえき 4.1 (4k355m29)   和気郡和気町
中山駅 なかやまえき 5.7 (5k934m46)  
和気駅 わけえき 8.6 (8k872m21) 西日本旅客鉄道:山陽本線
ダブル・チェイン (9k808m856-9k803m444 +5m412)
本和気駅 ほんわけえき 10.1 (10k392m34)  
ブレイク・チェイン (11k312m60-11k314m10 -1m51)
益原駅 ますばらえき 11.6 (11k882m99)  
天瀬駅 あませえき 14.5 (14k816m02)   和気郡佐伯町
(現・和気町)
河本駅 こうもとえき 16.3 (16k590m32)  
備前矢田駅 びぜんやたえき 18.3 (18k567m81)  
(貨)井ノ口駅 いのくちえき 19.4 1931年2月1日廃止
苦木駅 にがきえき 22.2 (22k526m79)  
杖谷駅 つえたにえき 24.2 (24k482m15)  
備前塩田駅 びぜんしおたえき 25.5 (25k793m28)  
備前福田駅 びぜんふくだえき 27.2 (27k439m32)   赤磐郡吉井町
(現・赤磐市
周匝駅 すさいえき 28.5 (28k775m07)  
美作飯岡駅 みまさかゆうかえき 29.6 (29k873m45)   久米郡柵原町
(現・美咲町
ダブル・チェイン (31k024m773-30k981m944 +42m829)
吉ヶ原駅 きちがはらえき 32.5 (32k689m80)  
ダブル・チェイン (33k807m348-33k798m517 +8m831)
柵原駅 やなはらえき 33.8 (33k997m39)  
線路終点 34k257m18 柵原駅構内

廃線後の施設と車両の状況

ファイル:KICHIGAHARA Station in Yanahara mine park.jpg
柵原ふれあい鉱山公園の旧吉ヶ原駅舎
ファイル:Yanahara mine park train.jpg
柵原ふれあい鉱山公園に保存されている車両群

廃止後、1998年11月15日に開園した柵原ふれあい鉱山公園に12両の車両が保存されている。そのうちの10両(ディーゼル機関車1両、気動車3両、客車3両、貨車3両)は片上鉄道保存会の手により整備・動態保存され、毎月第1日曜日に旧吉ヶ原駅付近の約300mの区間で展示運転されている[15]。2011年5月より、ワム1807(旧番号ワム184740)が動態保存車両として登場。この車両は、元は国鉄から購入した国鉄ワム80000形貨車で、以前は片上駅跡地にてワム1805(旧番号ワム184036)、ディーゼル機関車DD13-552と共に静態保存されていた。 また、柵原ふれあい鉱山公園の開園時より静態保存されている貨車3両(トラ840・トム519・ワフ102)のうち、トラ840が整備され、2013年9月より、動態保存車両として登場している。

旧吉ヶ原駅舎は、1931年2月の井ノ口 - 柵原間の開業時に建設されたもので、廃止後はバスの待合室として利用されていたため、損傷はほとんど無かった。このため、柵原ふれあい鉱山公園の開園に先駆けて改修され、展示運転で実際に駅舎として使用されている。以前は片上鉄道の資料館にもなっていたが、展示品の一部に盗難が発生したため、現在は一般開放されていない。2006年3月2日には、登録有形文化財に登録された。

片上 - 吉ヶ原間の線路跡は、サイクリングロード(岡山県道703号備前柵原自転車道線、通称「片鉄ロマン街道」)として整備され2003年11月24日に開通した。運転上の要であった和気駅にはホームの痕跡がわずかに残っているほか、片上駅跡地では駅前のロータリーと起点を示す0キロポストの2つの施設だけが今でも生き残っている。また、旧天瀬駅と旧苦木駅は、駅舎は解体されずに残っていたが、「片鉄ロマン街道」開通に伴い改修され、休憩所および鉄道史跡として保存されている。

静態保存車両は柵原ふれあい鉱山公園内の貨車2両のほかに、片上駅跡地にDD13-552、和気町の和気交通公園横にワム1805、国道484号沿いの菊ヶ峠ドライブインにキハ311、備前市久々井生崎の備前市浄化センターにキハ801の計6両が静態保存されている。また、2006年3月頃までは佐伯町役場(現・和気町役場佐伯総合支所)にホハフ3001(旧番号オハ35 1058)が保存されていたが、解体された。菊ヶ峠ドライブインのキハ311、備前市浄化センターのキハ801は共にだいぶ荒廃が進んでいる。

小坂鉄道には片上鉄道から譲渡されたディーゼル機関車1両 (DD13-556) が予備車両として在籍していたが、2009年4月1日付で小坂鉄道は廃止されたため、今後のDD13-556の去就が注目される[16]。また、小坂鉄道からは余剰となったキハ2100形2両(キハ2108、2102)が1981年に譲渡され、キハ801、802となっている。キハ801は前述の通り静態保存されているが、キハ802は1995年に片上駅跡地にて解体された。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister テンプレート:Multimedia

外部リンク

  • 周匝 - 柵原病院前間は、備前片鉄バス以外にも周匝 - 高下間は宇野自動車(美作線)、高下 - 吉ヶ原 - 柵原病院前間は中鉄北部バス(高下・吉ヶ原 - 津山 - リージョンセンター - スポーツセンター線)の路線バスがそれぞれ運行されていて、補助金打ち切りで路線廃止となった場合の代替交通機関が確保されていることも、美咲町が補助金を打ち切った一因となった。
  • 鉄道事業法施行規則第12条二にいう距離更正点のうち、更正距離が正の地点。この地点以降(終点方向)の実際の起点からの距離は、距離標で示されるキロ程より更正距離の絶対値だけ長くなる。
  • 同じく距離更正点のうち、更正距離が負の地点。この地点以降(終点方向)の実際の起点からの距離は、距離標で示されるキロ程より更正距離の絶対値だけ短くなる。
  • 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1919年7月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 『日本全国諸会社役員録. 第28回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  • 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  • 「鉄道免許失効」『官報』1921年12月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 「鉄道免許状下付」『官報』1922年4月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年1月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年8月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 「地方鉄道駅設置」『官報』1924年9月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 「鉄道免許状下付」『官報』1929年2月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年2月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • これ以前は国鉄が(片上鉄道線)和気駅運転業務を行っていた。
  • 老朽化した保存車両の保守、および鉄道保存施設の改修工事に伴い、2008年11月から2009年9月まで展示運転を休止していた。2009年10月4日より展示運転再開。
  • 片上鉄道廃止後に軌道モーターカーおよびマルチプルタイタンパーも小坂鉄道へ譲渡されている。