栗原美和子

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栗原 美和子(くりはら みわこ、1964年 - )は、テレビプロデューサーフジテレビから共同テレビに出向中のエグゼクティブプロデューサー兼、企画担当部長。福岡県直方市出身、早稲田大学第一文学部卒業。夫は猿まわし師の村崎太郎。実家は日蓮宗の寺院。

来歴・人物

  • 1987年、フジテレビに入社。当初はバラエティ番組のADディレクターとして『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』などの制作に携わる。横澤彪に直接薫陶を受けた最後のスタッフであるという。
  • フジテレビ深夜ローカルのお笑い番組『笑いの殿堂』(ビデオ化、舞台化もされている)のAPを務める。この番組でウッチャンナンチャン内村光良が番組内で栗原の物まねを披露し「栗原スーザン美和子」でわがままな女を演じる。
  • 1992年より第一制作部に移籍し、1994年あおげば尊し』でプロデューサーデビュー。以後現在まで「ラブ」「ヒューマン」「ハートフル」の3つを軸に、数々の話題作を手がける。
  • 2002年放映のドラマ『人にやさしく』では、スタッフロールで「栗原美和子♥」と自分の名前にハートマークをつけ、物議をかもす。
  • 原夏美というペンネームで文筆活動も展開している。原夏美としてのデビューは、2004年に放映されたドラマ『東京湾景』の脚本。また、2005年には小説『スタートライン 盲目のスプリンター[1]』を著し、同年に自らのプロデュースで『スタートライン〜涙のスプリンター〜』としてドラマ化した(脚本:いずみ吉紘)。著書「せきららら」(講談社)。
  • 現役テレビドラマプロデューサーの中では恐らく最もメディア露出頻度が多く、しばしば『お台場明石城』などバラエティ番組に出演する。「明石城」では奉行(企画の品評役)の一人として出演しているが、さんまや企画を持ち込むスタッフに対して容赦なく批評しており、同じ出演者で容赦ない毒舌を吐く村上真理子とは壮絶なライバル関係とも言われている(ただしさんまは栗原に「村上は入社してきた頃のお前とそっくりやで」と話している)。なお、他の奉行が座布団に正座しているのに対し、栗原はただ一人「正座がダメ」という理由で椅子に腰掛けている。
  • 2007年、猿回しコンビ「太郎次郎」の村崎太郎と結婚。この件で1年9ヶ月ぶりに『サンデージャポン』の突撃インタビューを受けるが、「初インタビュー時(前述)のサンジャポに比べて、今のサンジャポに言いたいことは?」との問いに対し、番組の山中秀樹(元フジテレビアナウンサー)に対する扱いに苦言を呈していた。また2008年10月には、自身と村崎の2人を元にした私小説『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舎)を発表している。
  • 2008年12月28日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)のプロデューサー(当時)竹本輝之宛に手記を寄せている。フジテレビ社員としてではなく一個人として書いたと前置きしたこの手記で栗原は、同番組の差別問題を特集した回の第1弾(11月16日放送)を自身の母が観たことに触れた。母は被差別部落出身者との結婚に反対していたが、この放送を観て考えを改めたという。手記の内容は差別問題特集の第2弾(2008年12月28日放送)で公開され、また夫の村崎がゲスト出演した。
  • 2008年10月出版の『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舎刊)は、「平成の”破戒”」と評され話題を呼んだ。それに続いて、2010年6月に『橋はかかる』(ポプラ社刊)を、村崎太郎と夫婦共著で出版。同著は全国図書館協議会の選定図書に認定されている。夫婦共に、全国の人権問題を勉強するセミナーなどの講師として活動中。
  • 2009年、フジテレビから子会社の共同テレビに出向していたが、2011年8月、LaLa TVのエグゼクティブプロデューサーに就任。
  • 2013年いっぱいで、LaLaTVとの契約を終了し、2014年1月~共同テレビ企画担当部長兼エグゼクティブプロデューサーに就任。

著書

  • 赤裸ララ―オンナ33歳ゾロ目の告白(1998年)
  • せ・き・ら・ら・ら―生意気プロデューサーの告白(2003年)
  • おとなり婚(2007年)
  • うつ恋(2008年)
  • 太郎が恋をする頃までには...(2008年)
  • 産まない女(2009年)
  • 40女が電撃結婚するレシピ(2009年)
  • 40女と90日間で結婚する方法(2009年)
  • 橋はかかる(2010年)

人物

AD時代のエピソード

  • 酒席で当時上司だった荻野繁(現:株式会社おぎの屋CREATIVE Mix代表取締役)とキスをして、翌日から上司にもかかわらず荻野を「オギリ~ン」と呼ぶようになった。この事実を知った明石家さんまは「上司に対して、何やその口のきき方は!」と注意したところ、荻野は「ゴメン、昨日彼女(栗原)とキスしちゃって…今日から彼女にとって僕はオギリンなの。」と弁明。この弁明にさんまは呆れて注意をあきらめ、ひょうきん族のレギュラーを本気で降板しようかと考えたという。
  • 明石家さんま曰くボディコンで勤務していた唯一のAD[2]
  • 1年9ヶ月ぶりに『サンデージャポン』のインタビューを受けるが、そのVTRを見た爆笑問題太田光は、「僕らが初めて出た番組で(栗原が)ADをしていたが、あんなに生意気なADとは思わなかった! 反省という言葉がこれほど似合わない女はいない。フジテレビで絶対に結婚できないと言われるほど、とんでもない女!! ウチのマネージャーをアッシー代わりに使ったんだから! 多分、これからの結婚生活は、うまくいかないと思いますね!」と逆に毒づいていた。
  • 明石家さんま曰く、プロデューサーや大御所にもかまわず「ちゃん」付けで呼んでおり、田中裕二も「入社2年目で、さんまさんやたけしさんを“ちゃん付け”で呼んでいたんですから」と証言している。
  • よく社員同士が結婚する事が多いという事で、さんまが、「フジテレビの社員と結婚したらどうや」と聞くと、「所詮、サラリーマンだから」と言い放ち、凄いと感心したという。

プロデュース作品

連続ドラマ

単発ドラマ

脚注・出典

  1. テンプレート:Cite book
  2. 2008年7月30日放送「明石家さんちゃんねる

関連項目

外部リンク