東急バス下馬営業所

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東急バス下馬営業所(とうきゅうバスしもうまえいぎょうしょ)は、東京都世田谷区下馬1-3-2に位置する東急バスの営業所。主に下馬・野沢祐天寺周辺の路線を管轄する営業所である。営業所の略号はSI

沿革

  • 1953年7月22日:観光営業所として開設。車両3両および乗務員を目黒営業所から移管。
  • 1986年(月日不明): 名称を観光バスセンターに変更。
  • 1994年9月30日:観光バスセンター廃止。28両を減車した上で、名称を大橋営業所下馬支所に変更。 
  • 1998年7月28日:東急トランセの営業所開始に伴い、観光バス事業を高津へ移管。
  • 1999年8月1日:東急トランセ下馬営業所に隣接する営業所として新設、大橋から野沢線を移管させる。

1999年8月1日東急バスが100%出資子会社の東急トランセへ路線の運行委託を開始するにあたり、東急トランセ下馬営業所に隣接する営業所として新設された。

現在は、新設時に東急バスの路線であった路線の全てが東急トランセ下馬営業所として運行(委託)しており、2001年3月に弦巻営業所管内で同じように委託運行が始まるまでは、東急トランセ委託路線を持つ唯一の営業所であった。このため当初、委託路線は各営業所からこの営業所に移管するかたちで進められ、その結果、所管路線は都内の広範囲に及び、接続する鉄道駅もさまざまとなっている。営業所の敷地は、かつて東急バスの観光部門の営業所として使われていた。観光バス事業の縮小に伴い、1994年9月30日、観光バスセンターは大橋営業所下馬観光支所に格下げとなっていた。

1998年7月28日に東急トランセが営業を開始するにあたり、観光バス事業は高津営業所に移管された(観光バス事業は更に瀬田営業所に移管)。

1999年8月1日に大橋営業所から野沢線を移管されたのに続き、同年度中に渋谷・環七の両路線が移管、現在はこれにエビス・三軒茶屋・洗足の各路線を加えた計6路線を受け持っている。

なお、代官山循環線、富士山方面の高速バスの車両も当所に所属するが、これは東急トランセ直営の路線である。詳細については東急トランセ#代官山循環線東急トランセ#高速バスを参照のこと。

現行路線

野沢線

  • 黒09:目黒駅中目黒駅 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬一丁目 → 中目黒駅 → 目黒駅(右回り)
  • 黒09:目黒駅 → 中目黒駅 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬営業所
  • 黒09:目黒駅 → 中目黒駅 → 下馬一丁目 → 下馬営業所
  • 黒09:下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬一丁目 → 中目黒駅 → 目黒駅
  • 中目01:中目黒駅 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬一丁目 → 中目黒駅 → 目黒駅(右回り)
  • 中目01:下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬一丁目 → 中目黒駅

テンプレート:Main2

1952年(昭和27年)4月15日に、渋谷駅と下馬・野沢地区の連絡を目的として開通した。開通後1年半は渋谷駅から鉢山・南平台付近を通り、西郷橋の下を経由して野沢龍雲寺に向かっていたが、1953年10月16日に渋谷駅東口発着に変更され、代官山・中目黒を迂回する経路となった。その後、1956年(昭和31年)2月1日より都営バスとの共同運行で東急初の新宿乗入れ路線として明治通り経由で新宿駅東口まで至るようになり、都営に合わせて3ケタの系統番号、129系統を名乗った。テンプレート:Main

ところが、渋谷駅から自衛隊中央病院公務員共済三宿病院への足としてほぼ同時に開設された三宿線、その後に展開された下馬線や渋谷線の登場で、宿山・下馬地区から渋谷駅へ向かうにはそちらの方が便利となる。テンプレート:Main

渋滞等による遅延のため新宿への直通利用が少なくなり、1977年(昭和52年)12月16日に共同運行を解消すると、その後は徐々に勢いを失っていく。渋谷駅直通も下馬線にその役目を譲る方向性が決められ、1984年(昭和59年)2月16日の駒沢営業所閉鎖に伴うダイヤ改正の際に中目黒駅発着の折返便(中目01)が設定された。そして、1988年(昭和63年)2月15日限りで渋谷駅発着便(渋70)を廃止。その後は中目黒 - 野沢龍雲寺を結ぶ短距離の路線として運行していた。1993年には野沢折返所の廃止に伴い一部経路を変更し循環路線となり、1999年(平成11年)8月1日には東急トランセへの委託第1号路線に選ばれて大橋より移管された。

2003年(平成15年)、中目黒駅近くの旧・千代田生命ビルが目黒区総合庁舎となったことを受け、同年1月16日に庁舎との連絡を目的に目黒駅へ延伸、黒09が新設された。2004年(平成16年)5月17日には平日の中目01が全て黒09となり、中目01は土曜・休日の朝の出庫→中目黒駅始発1便のみとなった。現在は1時間に2本前後が運行され、原則として中型車を使用している。

渋谷線

  • 渋32:渋谷駅 → 大橋 → 三宿 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 渋谷駅(淡島と共管・深夜バスあり)
  • 渋32:渋谷駅 → 大橋 → 三宿 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬営業所(深夜バス)
  • 渋33:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 - 都立大学駅前 - 奥沢駅 - 雪が谷 - 多摩川駅瀬田と共管)
  • 渋34:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 - 都立大学駅北口 - 東京医療センター
  • 渋34:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所
  • 渋34:下馬営業所 - 都立大学駅北口 - 東京医療センター

1959年(昭和34年)5月1日に渋谷駅 - 都立大学 - 雪が谷 - 下丸子 - 池上駅 - 大森駅の運行が開始(のちに大森操車所まで延長)されたのが始まりで、当時は淡島池上が担当した。ただし、これ以前に池上担当で大森駅 - 雪が谷を結ぶ路線があり、渋谷線はこれを延長する形で成立している。この経緯から、池上側より渋谷へ向かう路線ということで「渋谷線」の線名が付いた。その後、定時性の低下に伴う長距離路線分断の流れの中で、1981年(昭和56年)5月26日に渋谷駅 - 丸子橋(淡島が担当し、渋谷線の線名と渋33の系統番号を継承)と田園調布駅 - 大森操車所(池上担当、森10)に分割された。テンプレート:Main

なお、渋33の北側は三宿線(渋31)・下馬線(渋32)などの並行路線があり、南側は東急電鉄の路線がすぐ近くを走っていることから渋33の独自性は低く、1988年に渋34(渋谷駅 - 都立大学駅北口、都立大学駅北口付近は右回り経路)が運行を開始し、更なる運用効率化が図られた。1989年平成元年)12月16日、丸子橋折返所の廃止に伴い渋33の発着が多摩川園(現・多摩川駅)に変更され、1999年(平成11年)8月24日をもって下馬に移管され、東急トランセへの委託路線となった。

2002年(平成14年)10月16日には、トランセ委託後初の大規模な改正があり、多摩川駅からの折り返し便に相当する多摩01が運行を開始、渋34も発着点が東京医療センターに変更された。これにより、渋谷駅 - 多摩川駅を通し運行する渋33は朝のみの運行に縮小されている。

2003年(平成15年)6月16日のダイヤ改正により、渋32の深夜バスが新設され、深夜バスおよびその直前の便を下馬が受け持つようになった。

2011年(平成23年)3月1日のダイヤ改正では渋33が平日のみの運転となり、渋33の一部と多摩01が瀬田に移管されて雪が谷線となっている。

ちなみに、雪が谷と大森駅の間には渋谷線とは別に、池上営業所と京浜急行電鉄(現・羽田京急バス)の共管路線、空港線(園11)が存在した。空港線の運行ルートは洗足池 - 大田区役所前(現・大田文化の森)が池上単独の大森線(森05)と重複し、洗足池では乗客を載せたままバス転回所で折り返していた。東急が撤退し共同運行を解消した後も京急はそのまま園11として運行を継続。1993年(平成5年)には羽田空港国内線ターミナルが移転するも国際線ビル打ち切りで残ったが、1998年(平成10年)、大田区役所の蒲田駅前移転で存続の意味を失ったとして廃止された。テンプレート:Main


エビス線

  • 恵32:恵比寿駅 - 目黒区総合庁舎 - 三谷 - 東京医療センター前 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 用賀駅瀬田営業所と共管)
  • 恵32:恵比寿駅 → 目黒区総合庁舎 → 三谷 → 東京医療センター前 → 深沢不動前 → 中町五丁目(深夜バス
  • 恵32:五本木 → 三谷 - 東京医療センター前 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 用賀駅
  • 恵32:五本木 → 目黒区総合庁舎 → 恵比寿駅
  • 恵32:用賀駅 → 中町五丁目 → 深沢不動前 → 東京医療センター前 → 三谷
  • 恵32:恵比寿駅 → 目黒区総合庁舎 → 守屋図書館

駒沢通りにはかつて、渋谷駅東口発着(渋谷駅東口 - 恵比寿間は渋72・恵比寿駅からは分断前の恵32と同一経路)の渋74系統と、東京駅直通で桜新町打ち切りの駒沢線こと東80系統が運行されており、このうち東80は不動前から弦巻を経て最後は駒沢が担当した。その後、東80系統は恵比寿駅を境に分断され、恵比寿以西が恵33系統として運行される。渋74も渋谷駅と恵比寿駅の間が廃止され、恵比寿駅から用賀・農大前・千歳船橋を経由して祖師ヶ谷大蔵駅を結ぶ路線となった。しかし、駒沢線はエビス線に吸収される形で1981年(昭和56年)に廃止となる。テンプレート:Main

1994年(平成6年)1月17日付で再編成が行われ、用賀駅を境に恵32(恵比寿駅 - 用賀駅)と用01(用賀駅 - 祖師ヶ谷大蔵駅)に分断された。これは駒沢通りでの慢性的な渋滞によって発生する折返便の遅延を減らすことが狙いだった。祖師ヶ谷大蔵駅にバスターミナルが新設されるまでは一つ手前の祖師谷大蔵(祖師ヶ谷折返所→現・山野小学校)で発着していたが、駅前バスターミナルの新設で祖師ヶ谷大蔵駅まで延伸されている。

2001年(平成13年)3月1日、瀬田営業所より移管された。ただし下馬営業所の位置が路線の途中で早朝・最終バス間際に全線通しで運行がしにくいことから、同年3月16日よりその時間帯に限って瀬田担当便が復活。同営業所の用賀線の一部として運行している。時刻表にも瀬田担当便である記号が記載されている。テンプレート:Main

2014年6月1日のダイヤ改正により、翌2日の運行から[1]平日のみ恵比寿駅→中町五丁目の深夜バスが設定された。同改正により、恵比寿駅 - 守屋図書館の区間便が土曜日に1便だけ復活している。

三軒茶屋線

  • 黒06:目黒駅 - 元競馬場前 - 祐天寺駅 - 五本木一丁目 - 学芸大学付属高校 - 日大生物資源科学部 - 三軒茶屋駅

戦前は、目黒営業所の前身となる目黒自動車運輸品川駅 - 目黒駅 - 祐天寺駅に路線を持っていた。このうち、目黒駅と品川駅の間は陸上交通事業調整法による営業地域調整の結果、1942年(昭和17年)2月1日付で東京市電気局(現・東京都交通局)に引き渡され、現在の都営バス品93系統となる。テンプレート:Mainテンプレート:See also

戦後、東急電鉄になってから目黒駅 - 祐天寺駅間を復活させる際に、東京学芸大学付属高校や獣医学校[2]をつなぐ形で三軒茶屋まで延長したもの。開通日は世田谷区史によると1950年3月1日である。

開通後、現在に至るまで2区間において経路変更を行っている。1つは、祐天寺裏 - 祐天寺駅のショートカットが目黒区役所(現・水道局目黒営業所)経由となったこと、もう1つは、三軒茶屋駅付近において住宅前経由が中里経由の循環線になったことである。開通以来一貫して目黒が担当してきたが、2002年7月16日に下馬に移り、トランセ委託路線となった。下馬営業所への出入庫のため、目黒駅側からは五本木一丁目発着、三軒茶屋側からは祐天寺駅(朝のみ)、五本木二丁目発着がある。

下記の洗足線とともに中型車限定使用の路線である。

洗足線

  • 渋71:渋谷駅東口 - 代官山駅入口 - 祐天寺 - 清水庚申 - 洗足駅
  • 渋71:渋谷駅東口 - 代官山駅入口 - 祐天寺
  • 渋71:洗足駅 - 清水庚申 - 目黒中央中学校

1952年(昭和27年)6月25日東急百貨店(渋谷駅東口)- 清水が開通し、1954年(昭和29年)7月25日に洗足まで延長、1957年(昭和32年)7月13日からは大岡山経由で洗足池に至る便も運行されていたが、1970年代に現行経路となった。なお円融寺前 - 洗足駅間は、戦前に目黒蒲田電鉄が運行した路線と重複する。テンプレート:See also

祐天寺二丁目交差点以降の目黒中央中学校 - 洗足駅は、清水(清水庚申)付近で目黒通りを横断する以外は専ら住宅街を通行する。沿線には実相山正覚寺・明顕山祐天寺・経王山円融寺といった著名な寺院・仏閣があり、目黒区役所(総合庁舎)への足としての重要な役割を担う路線でもある。

水道局目黒営業所前 - 清水庚申は交通規制(一方通行)により、洗足方面と渋谷方面で通行経路が異なる。そのため中央町二丁目は洗足方面のみ、清水は渋谷方面のみ停車となり、中央町はそれぞれの停留所が約200m離れている。この区間は狭隘路のため当路線は中型車限定運用となっている。開通当初、この付近では五本木から目黒通りへと直進するルートで往復とも運行されていた。出入庫時には渋谷駅側から祐天寺発着、洗足駅側から目黒中央中学校発着が運転される(いずれも下馬営業所への回送時でも祐天寺駅まで運転しない)。渋谷駅→祐天寺行きは土曜夜1便しか運転されない。サービスプロバイダ(運転士)交代は水道局目黒出張所前で行う。

東急目黒線洗足駅のホームは地下にあり、ホーム直上に駅舎と東急ストアが建てられている。バスのりばは駅舎と東急ストアの間にあり、駅改札の裏側にあたる。

2007年(平成19年)3月16日より、目黒営業所から下馬営業所へ移管した。

若林百貨店循環線

  • 若01:若林折返所 → 淡島 → 駒場 → 青葉台四丁目 → 東急百貨店本店前 → 道玄坂上 → 青葉台四丁目 → 駒場 → 淡島 → 若林折返所

2013年(平成25年)8月30日に新規開設した路線。平日、土曜・休日とも日中のみ概ね30分間隔の1日17本が運転される。若林折返所 - 青葉台四丁目間は淡島営業所所管の渋51と同一経路だが、道玄坂上は復路のみ停車となり、往路は旧山手通り・松濤二丁目交差点を経由し東急百貨店本店前に停車する。また、経路の関係で渋谷駅前を通るものの停車しない。 なお、この路線は、東急百貨店本店の店内放送アナウンサーが車内アナウンスを担当している。

東急百貨店本店前は2002年5月31日の運行を以て渋61が撤退して以来11年ぶりの東急バスの路線開設となった。

歩行者天国実施時には、渋谷駅付近の交通規制のため迂回ルートで運行される。 迂回ルートは、東急百貨店本店前を出て左折し、一周する形で松濤二丁目方面へ戻り、松濤二丁目交差点を左折し 旧山手通りを経由して、青葉台四丁目から正規ルートに復帰する。

移管路線

渋谷線

  • 多摩01 東京医療センター - 都立大学駅前 - 緑ヶ丘駅 - 雪が谷 - 多摩川駅

2011年3月1日のダイヤ改正から瀬田所管になり(渋33の一部を含む)、の路線名が渋谷線から雪が谷線に変更された。

環七線

  • 森91:大森操車所 - 大森駅山王口 - 馬込駅前 - 長原 - 洗足駅入口 - 野沢交番前 - 野沢龍雲寺 - 上馬 - 駒留 - 若林駅前 - 新代田駅前
  • 森91:大森操車所 → 大森駅山王口 → 馬込駅前 → 長原 → 洗足駅入口 → 野沢交番前 → 野沢龍雲寺
  • 森91:新代田駅前 → 若林駅前 → 若林交番
  • 森91:野沢交番前 → 上馬 → 若林駅前 → 新代田駅前
  • 森91:柿の木坂二丁目 → 洗足駅入口 → 長原 → 馬込駅前 → 大森駅山王口 → 大森操車所

1967年6月25日都営バスとの相互乗り入れにより大森操車所 - 代田橋 - 東高円寺駅 - 新宿駅を結ぶ路線として開通したが、1984年(昭和59年)2月16日に路線分断・短縮され、森91となった。テンプレート:Main

新代田以北では都営・宿91へ乗り継ぎの便宜を図るため、同じ91の番号をつけている。都営バスは新代田駅前から南、駒沢陸橋(森91は通過。分断当初は野沢銀座)まで運行することでこの区間で重複していた[3]が、2013年4月から新代田駅前発着に短縮されたことで完全に分断される形となった。テンプレート:Main

所管は駒沢だったが、分断時に大橋へ移管された(駒沢は移管直後の1984年3月16日廃止)。1999年10月16日に下馬へ移管され、東急トランセ管理委託路線となった。下馬営業所への出入庫のため、下馬営業所 - 野沢交番前 - 新代田駅、下馬営業所 - 野沢龍雲寺 - 大森操車所の出入庫系統があったが、2014年4月1日のダイヤ改正で下馬営業所発着系統の下馬通り部分はすべて廃止・短縮され、新代田駅 → 若林交番、野沢交番前 → 新代田駅前、大森操車所 → 野沢龍雲寺となった。

2014年6月1日のダイヤ改正で、下馬営業所から弦巻営業所へ移管された。

車両

56台のバスを配置。三菱日野UDトラックスの3メーカーを配置している。2012年5月現在は大型車、中型車ともノンステップバスに統一されているが、かつては各営業所から経年車がかき集められ、特に富士重工5Eボディ車の最終形全車両(旧SI800~SI807)が配置され教習用車両として運用していたのが特徴だった。その後教習施設は高津に移管された。現在では中型車の割合が大きいのが特徴で、大型車は原則エビス線と渋谷線(渋32系統)、中型ロング車は原則環七線、中型車は野沢線・渋谷線(渋33・渋34系統)・三軒茶屋線・洗足線を中心に使用する。中型車のうち、日野自動車製のSI1126号車は東急バス創立20周年を記念し、観光バス初代塗装となっている。

脚注

  1. 2014年6月1日が日曜日であるため。
  2. 「獣医学校」は日本大学生物資源科学部の前身である。
  3. 停留所標識は東急バスが設置・管理。

関連項目

テンプレート:TokyuBus