杉山神社 (横浜市緑区西八朔町)

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テンプレート:神社 杉山神社(すぎやまじんじゃ)は神奈川県横浜市緑区(旧武蔵国都筑郡)西八朔町にある神社。横浜市内唯一かつ旧武蔵国の式内社である「杉山神社」の有力論社の一つとされる。また、武蔵国六宮として大國魂神社の「くらやみ祭」に参列しており、武州六大明神[注 1]の一つともされている。

祭神

神道集』によると、当時は椙山大明神(すぎやまだいみょうじん)と称し、本地仏を大聖不動明王としている。また『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代には神体が不動明王の立像であったという。1910年明治43年)に付近の無格社神明社など4社を合祀している

境内

構成神社

  • 本社 - 入母屋造の拝殿と流造本殿を持つ。
  • 小祠) - 本社の向かって左側にある。流造の小祠が萱葺きの変わった覆屋に納められている。
  • 稲荷神社) - 本社の向かって右の小高いところにある。流造の小祠が切妻妻入りの覆屋に納められている。

その他

由緒・歴史

続日本後紀』に「枌山神社」(すぎやまじんじゃ)とあり、延喜式神名帳には「武蔵国都筑郡唯一の官社」として杉上神社の記述がある(ただし後述のように論社が複数存在する)。また、大國魂神社の六所明神の一所として祀られている。

創建時期は不明であるが、当社に残る棟札別当寺である極楽寺(現在も隣地に所在)の墓碑年号より当社は延宝年間(1673年 - 1681年)に現地へ遷座したものと考えられており、これ以前には西北方300mの山麓に鎮座していた[2][3]

新編武蔵風土記稿によると、慶安2年(1649年)8月には徳川幕府より朱印状朱印領5石6斗が与えられている[2][4]。この他、当社は江戸時代に「六ノ宮」とも称されていた[2]

1873年(明治6年)12月に郷社に列格し、1910年(明治43年)には付近の無格社神明社など4社を合祀している。さらに1920年大正9年)9月、神奈川県告示第三六二号により神饌幣帛料供進神社に指定されている。1953年昭和28年)8月には神奈川県指令第三九九○号により、「宗教法人杉山神社」として認証された。なお、現在の社殿は1982年昭和57年)11月に改築されたものである[2][5][6]

式内社の論社として

西八朔杉山神社が前述の続日本後紀、あるいは延喜式神名帳(式内社)のそれであると説いたのは、幕末に大國魂神社の宮司であった猿渡盛章である。また、栗田寛『神祇志料』や『大日本史神祇志』などでも有力とされている[7]。しかし、杉山神社(あるいは杉山社、椙山神社)という名前の神社は都筑郡(横浜市北部)と周辺に数十社あり、いずれが正しいかは必ずしも明らかでなく、有力な論社としては当社の他に港北区新吉田町、都筑区茅ケ崎中央、都筑区中川六丁目などの社も挙げられている(「#関連項目」および「鶴見神社 (横浜市)#杉山神社の論社」も参照のこと)。

新編武蔵風土記稿』(1810年 - 1830年)によると、関東地方四郡に七十数社在ったという。それらの多くは、日本武尊五十猛命のいずれかまたは両方を祭神としている。

当社も他の多くの論社と同じく、鶴見川水系恩田川)沿いの高台に鎮座している。

祭事・年中行事

上記の他、大國魂神社東京都府中市)で5月3日6日にかけて催される「くらやみ祭」に武蔵国六宮として参列している。

所在地・交通

神奈川県横浜市緑区西八朔町字宮前208

備考

ギャラリー

脚注

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注釈

  1. 小野神社東京都多摩市一之宮)、二宮神社(東京都あきる野市二宮)、氷川神社さいたま市大宮区高鼻町1丁目)、秩父神社埼玉県秩父市番場町)、金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮)、杉山神社の六社を指すとされる。

出典

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関連項目

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外部リンク

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  1. 境内石板「力石の由来」より
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 杉山神社(緑区西八朔町)(延喜式神社の調査)
  3. 神社本庁「全国神社祭祀祭礼総合調査」(平成7年)
  4. 杉山神社(西八朔)(古今宗教研究所)
  5. 杉山神社 (西八朔町)(あかね台.net)
  6. 境内の社頭掲示板(改築記念碑/杉山神社宮司 志村文雄、昭和57年11月)
  7. 港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北 2003年4月号):第52回 杉山神社の有力候補(公益財団法人 大倉精神文化研究所 )
  8. 琴平神社(神奈川県神社庁)