札幌銀行

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札幌銀行本店(2008年6月)
合併後は「北洋銀 札幌営業部」経て本店営業部に統合。2014年1月現在は、新大通ビルディングとして、商工組合中央金庫札幌支店および札幌信用金庫本店営業部仮店舗として使用されている。

株式会社札幌銀行さっぽろぎんこう英称The Sapporo Bank, Ltd.)は2008年10月まで存在し、北海道札幌市に本店を置いていた第二地方銀行。通称「札銀」(さつぎん)。統一金融機関コード0502で、合併前時点の店舗数は64店舗だった。2008年10月14日をもって北洋銀行に合併され、約58年の歴史に幕を降ろした。

沿革

創業

北海道無尽株式会社として1950年に創業。これは北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という)出身の道家斎次など有志による庶民金融機関として設立され、当時は札幌市南2条西3丁目8番地が本店で、北海道内に9支店11取次所を開設した。

それから間もない1951年10月20日で相互銀行業に転換する。社名を株式会社北海道相互銀行(通称「道相銀」)に変更し、一般の利用者に親しまれてきた。なお、ひらがなの「どーそーぎん」も通称で用いられることがあるが、ここでは「道相銀」として以下記述する。

設立時から道家が社長を務め、1969年11月28日に同じ拓銀出身の水出久雄に社長を譲った[注釈 1]。水出は1971年9月9日に東京都に東京支店を進出させているが、拓銀と北海道銀行(以下「道銀」という)が支店を進出させた実績がある青森県愛知県大阪府などには北洋銀行の合併に至る最後まで進出しなかった。時期不明ではあるが東京からも撤退し、2008年10月10日時点で支店は北海道のみとなっていた。東京まで進出を果たした水出は1995年9月4日に逝去した。

普銀転換

当該項にもある通り、潮田隆はやはり拓銀出身の役員だった。当時拓銀内で潮田の持論である「個人融資取引を進めるべきだ」で拓銀首脳陣と意見や主張が真っ向から対立し、この結果が道相銀への更迭につながった。その更迭が道相銀を大きく救うこととなり、1989年2月1日に銀行法の改正に則り、普銀転換を果たし、道相銀から札幌銀行へと名称変更した。また、この時点で潮田社長から潮田頭取へと肩書きが変わった。

潮田の持論だった「個人融資取引」で各種ローンのノウハウを生かし、1987年に50万円以内の融資なら50分以内で回答する「スピードローン50」を新設。1986年から1988年の約2年間で20億円強のローン残高だったのが20倍に膨らんだ。1989年には普通銀行転換を果たし、株式会社札幌銀行に名称変更した。個人ローンで有名な金融機関になり、今や消費者ローンのパイオニアにまで業界を引っ張るようになった。拓銀や道銀などの上位行は違い、中小零細企業向け融資・個人ローンの強みで差別化を図り、生き残りをかけた。

1990年にはディーシーカードと共同で札幌カードを設立している。

バブル崩壊後、北海道は未曾有の不況が長期化。1997年11月17日に拓銀が経営破綻した。当時の大蔵省からの打診を受け札幌銀行は拓銀の受け皿金融機関として名乗りを上げた。しかし、前述の事情から潮田頭取の復讐を恐れた拓銀首脳が札幌銀行への営業譲渡を拒否した。最終的には北洋銀行に営業譲渡した。潮田頭取は1994年にいったん頭取退任し会長に退いたものの、後継で初のプロパーとなった川西徹頭取の死去に伴い会長兼頭取となり、吉野次郎に頭取職を譲った1998年に再度会長専任を経て、2000年より2007年6月26日まで札幌銀行の相談役を務め、2011年6月19日に他界した[1]

北洋銀行との経営統合

潮田会長兼頭取の頭取職退任後、吉野次郎が頭取に就く。当時の札幌銀行ホームページによると吉野頭取は旭川の出身であり、北大出で道相銀に1966年入行とあるため、同行2人目となるプロパーである。54歳の若さで頭取就任、かつ吉野頭取が最後の札幌銀行頭取である。

札幌銀行は北洋銀行と1999年に包括的業務提携を結び、2001年に持株会社「札幌北洋ホールディングス」を設立。ATM相互開放などを行い、利便性を図っていった。

2007年1月12日。親会社の札幌北洋ホールディングスは2008年10月14日にシステム統合と同時に札幌銀行と北洋銀行を合併し「北洋銀行」とする発表を行った。一部特集記事では「吸収合併」と書かれているが、この合併は対等合併である。個人ローンの強い札幌銀行のノウハウがさらに生かされた形での北洋銀行となる。

合併後の役員人事について北洋銀行の横内龍三頭取(当時)が、合併後も同行の頭取を続けると明言されているのに比べ、札幌銀行の吉野次郎頭取は「経営陣に参加する」と述べられるにとどまっている[注釈 2]

吉野頭取は「札幌銀行の名がなくなるのは少々つらい思いであるが、将来のことを考えると顧客や行員に理解を得られるのではないか」と語っている。札幌銀行の良さとしては「まごころ」で顧客に対応したことである。

両銀行の銀行内報及びにもある通り、吸収合併ではなく対等合併である[2]

2008年10月10日に札幌銀行の本支店の営業を終え、10月14日に北洋銀行と合併[3]。体力強化を図る合併によって30億円の合併効果を実現させたいという。

旧本店窓口スペースの一部は、商工組合中央金庫札幌支店が北洋銀行札幌営業部と共用していたが、2013年に本店営業部と統合し、跡地には札幌信用金庫本店が移転した。

地方自治体との取引

北広島市および上川管内当麻町の指定金融機関とされていたが、2008年10月の合併で北洋銀行に引き継がれた。2004年までは上川町も札銀を指定していたが、同町からの支店撤退に伴い、上川中央農業協同組合に変更された。

システム統合

合併日と同時にシステム統合が行われた[4]

キャッシュカード利用提携

自動取引装置(ATM)での取引については

  • 北洋銀行において預金を払戻す場合、これらの銀行の預金者が同行を利用する場合と相互に、無料とする提携を行っていた。
無料となる時間帯は、月曜~金曜(平日)の午前8時45分~午後6時であり、時間外は手数料105円となる。
  • また、東京スター銀行において、預金払戻手数料を無料としている。時間外手数料は有料となるが、土曜日についても午前9時~午後2時が無料となっている。
  • すでに、北洋銀行の口座のキャッシュカードによる預入を無料で取り扱う提携を行っている。
    預入提携の取り扱い時間帯は、月~金曜(平日)の午前8時~午後9時、および土曜・休日の午前9時~午後5時となる。

コンビニATM

コンビニATMセブン銀行と提携していた。

利用可能時間は平日8:00~21:00、土日祝日9:00~19:00。出金・振込には平日8:45~18:00の間は105円、それ以外の時間は210円の利用手数料が必要となる。

合併後は北洋銀行のサービスに合わせられ、入金についても有料化された。

閉鎖した店舗

札幌銀行は北海道相互銀行時代を中心に東京への支店進出や札幌市内の店舗拡大と引き替えに、道北やオホーツク海側など地方部を中心に閉鎖が相次いだ。理由としては、他金融機関との過当競争によるものや、新電算機の導入が困難なこと、預金量の低迷などで業績が減退していったことなどである。

多くの店舗は拓銀が引き受けた実績がある。

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その他

移動窓口店舗トラックにATMを搭載したもの)「バンクル号」を所有。札幌競馬場場内にて営業を行っていたが、合併の準備に伴い2008年10月5日をもって営業休止された[5]

イメージキャラクター

1990年前半にテレビCMに出演。その他ノベルティグッズなどにも登場。
アルカ・X-アルカのCMなどに出演。

脚注

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注釈

  1. 道家は1974年12月25日逝去、翌1975年1月13日北海道厚生年金会館で執り行われた。道家は拓銀入行後取締役を経て北海道無尽を1950年に設立しすぐに社長に就いた。その後もHBC取締役、北海道公安委員会委員長、NHK北海道地方放送番組審議会委員、札幌ゴルフ倶楽部理事長などの役職も務めた。
  2. 2008年5月19日付で、合併行の副会長就任が呈示された。2011年に副会長を退任し北洋銀行顧問となる。HD副社長は2009年に退任。

出典

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外部リンク

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  1. 潮田隆氏死去(元札幌銀行〈現北洋銀行〉頭取)テンプレート:リンク切れ
  2. 北海道財務局長談話(2007年2月3日時点のアーカイブ
  3. テンプレート:Cite news
  4. テンプレート:Cite news
  5. 移動店舗「バンクル号」の営業終了のお知らせテンプレート:リンク切れ