日産・プレセア
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プレセア(Presea )は、日産自動車が1990年から2000年まで製造・販売していた乗用車である。製造は初代は座間工場、2代目は村山工場が担当した。
概要
耽美的なスタイリングを重視した4ドアハードトップである。1990年6月に登場し、その柔和なスタイリングが特に女性からの支持を集めた。優雅なスタイリングと引き換えに車高が低いこともあって後席居住性をかなり犠牲にしていたため、その後の日本国内のユーザーの価値観の変化に伴い徐々に販売成績が低下し、2000年8月に製造を終了し2代・10年の歴史に幕を下ろした。
歴史
初代(R10型、1990年-1995年)
- 1990年6月登場。ローレルスピリットの後継車種として、B13型サニーの基本コンポーネンツを流用して開発された。初代トヨタ・カリーナEDの影響を受けた4ドアピラードハードトップ車である。1.5L、1.8L、2.0Lの3種のエンジンを搭載。インバース形状のヘッドランプ、フロントグリルのないフロントマスク、ライトを点灯するとマリンブルーに発光するメーターパネルなどを特徴とする。桐島かれんを起用した見返り美人のCMやトパーズ・ゴールドのテーマカラーなど、どことなく和風を感じさせるモデルであった。当初は国内専用車の位置づけであったが、登場2年目には香港・タイ・マレーシア・シンガポールでの販売を開始した。国内仕様からの変更扱いであることから、プレセアのフロントエンブレムマークが日産CIに変更され、なおかつメーターも200km/h仕様とした。中文は「日産派羅」である。
- 1991年5月 スポーツグレード「ブラックスター」追加
- 1991年12月 エクセーヌのシート表皮や運転席パワーシート、本革巻ステアリングを採用したラグジュアリーグレード「ポーラスター」追加
- 1992年6月 マイナーチェンジ。フロントバンパーにコーナリングランプを内蔵し、大型化することで全長を25mm延長した。また、スポーツグレードのCt.Sを追加した。
- 1993年6月 全車のエアコンを新冷媒化。同時にバニティミラーやイグニッションキー照明などを一部グレードに設定した。日産自動車の創立60周年を記念しシート&トリムなどが専用装備の特別仕様車、1500Ct.II セレクションV60thアニバーサリーを設定。
2代目(R11型、1995年-2000年)
- 1995年1月 初のフルモデルチェンジ。同時に生産を村山工場に移管した。B14型サニーをベースに開発。マルチリンク・ビーム式のリアサスペンションが採用された。搭載されたエンジンは全てツインカムのSR20DE型、SR18DE型、GA15DE型の3機種。スタイリングは初代ほどの支持を集めることができず、ボディデザインが全体的に丸みを帯びており、特徴的なリアコンビネーションランプに楕円形のフロントライトと異形グリルが遮光器土偶を思わせる造形で、評価が分かれることとなった。
- 1995年9月 「ブラックスター(1.8、2.0)」追加
- 1997年8月 マイナーチェンジ。フロントとリアを中心に意匠変更。
- 2000年8月 日産リバイバルプランの一環として抜本的な車種構成の見直しが行われ、生産・販売が終了した。
車名の由来
- 「プレセア(Presea)」は、スペイン語で「宝石」や「かけがえのない大切なもの」を意味する。社内の女性デザイナーが名付け親である。グレード名は車名にちなんだ「Ct.(カラット)」を使用していた。ボディカラーも全て宝石の名前を冠していた。
備考
- 警察では、2代目が捜査用覆面パトカーや機動隊の連絡車として使用されていることもある。
- いわゆる国内専用車であったが、海外販売が目立つようになり、香港やシンガポールなどの東南アジア諸国、ニュージーランドへの輸出が多かった。
関連項目
外部リンク
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