日産・サニー

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テンプレート:Infobox 自動車基本情報 サニーSUNNY )は、日産自動車1966年から2004年まで製造・販売していた自動車大衆車)。本項目ではサニーシリーズの基本型となるセダンを中心に記述する。

また、この項目では以下のモデルについても便宜上記述する。

  • サニークーペ(4代目まで、ただし6代目はサニーRZ-1名義)
  • サニーバン(4代目まで、ただし5代目はサニーADバン名義)
  • サニーエクセレント(2代目、および3代目のみ)
  • 以下、ハッチバック系。
    • サニーハッチバック(5代目のみ)
    • サニー303/305/306(6代目のみ)

なお、2010年より中国を皮切りに発売されている新型サニー(日本名・ラティオ(2代目)、米国名・ヴァーサセダン(2代目)、タイ国名・アルメーラ)は、マーチなどと同じVプラットフォームを使用した、主に新興国向けの海外専売4ドアセダンである。

仕向地によって名称が異なるが、型式がB17であることからB15以前からのサニーの正式な後継車と言える(B15以前の時代も仕向地によって名称が異なっていた点は変わりない)[1]

車名の由来は「太陽光」や「晴れた天候」を表す英単語「Sunny」より。

概要

1960年代初頭、日産自動車では「ダットサン・110/210型系」の堅調な人気を反映し、その後継となる1,000cc - 1,200cc級の小型乗用車、初代「ブルーバード」310型系が大成功を収め、続く2代目モデルの410型系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。しかし、410型系ブルーバードが1,200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、それより若干小型で700cc - 1,000cc級のベーシックカーが空位となった。

当時最大のライバルであったトヨタ自動車は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し、一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc - 1,000cc級の小型車で市場参入を進めていた。日産社内ではこれを危惧し、ダットサンの小型モデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車社長であった川又克二[1]は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で、「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。開発陣は商用車開発などの名目で川又社長を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。

サニーは日産の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度経済成長期からバブル経済期までのベストセラーカーとなった。日本の大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には「CS戦争」ともいわれる、販売台数の熾烈な争いを繰り広げたことで知られる。 ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペピックアップトラック、2ドアライトバン、3ドアクーペ、4ドアライトバン、ステーションワゴンカリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在した。

ライバルのカローラ同様に実用性と経済性、信頼性に優れた大衆車として市場の地位を長い間保っていた。しかし1990年代中期以降、日産車全体のシェア低迷と小型セダン離れ、そしてユーザー層の高年齢化などから、市場での存在感も次第に希薄となり、2004年を以って日本国内での当ブランドの消滅を迎えた。以後そのポジションはティーダラティオ(現・ラティオ)が担う事となった。

歴史

初代 B10型系(1966年 - 1970年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 当初、セダンから発売。大型プレス材を有効に用い、少ない部品点数で組み上げられた軽量モノコックボディのデザインは、サイズや横置きリーフスプリング使用の前輪サスペンション構造ともども、1962年開発された西ドイツ(当時)の大衆車オペル・カデット(そのバッジエンジニアリング版にあたるイギリスボクスホール・ヴィーヴァを含む)の影響が非常に強いものであった。アメリカ資本欧州メーカー製小型乗用車からの影響は、後輪駆動時代のサニー、カローラ双方において非常に色濃い。

ボディタイプは順次追加され、2ドア / 4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドア/4ドアライトバントラックの計6種類のラインナップとなる。また、この初代サニー用に開発された直列4気筒の「A型エンジン」は、実用上好成績をあげ、その後改良を受けつつ30年にわたって作り続けられ、傑作エンジンの評価を得た(当初、1,000cc ハイカムシャフトOHVA10型)。軽量、簡潔でバランスの良い経済型エンジンであるだけでなく、低回転域の柔軟性と高回転まで軽快に回る良好な特性を備え、レーシングエンジンとしてのチューニングのポテンシャルも高かった。クランクシャフトは当初3ベアリング仕様だったが、後に5ベアリングとなって強化されている。

発売されると市場で好成績を収めたものの、続いて発売されたトヨタ・カローラのデラックスさをアピールする販売戦略の前に後塵を拝し、以後長年にわたる両車の販売競争が勃発することになった。

モータースポーツ

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2代目 B110型系(1970年 - 1973年)

ピックアップトラック(B120)のみ:1971年 - 1994年 テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、ライトバンの4種類。フロントサスペンションに本格的なマクファーソン・ストラット独立懸架を採用するとともに、車体はスクエアな形態を保ちつつ若干大型化され、初代モデルの簡素で華奢な印象を払拭した。1,000ccエンジンを搭載していた初代サニーに対し、1,100ccエンジンを搭載して「プラス100ccの余裕」のコピーを掲げた初代カローラを意識した発売時の広告コピーである「隣のクルマが小さく見えます」は、良くも悪くもこの時代のメーカーと大衆双方が持っていた上昇志向を象徴するものとして、後年まで広く伝えられている(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社68頁参照)。

エンジンは直列4気筒OHV A12型1,200ccエンジンで、高回転化に適した5ベアリング式へ変更され、当初から5ベアリング4気筒を採用していたカローラのK型エンジンに対抗し、それを凌駕することを目指して改良された。更には、より排気量の大きいモデルを追加したカローラに対抗するため、ブルーバード1400のL14型を搭載した上級シリーズの「エクセレント」を中途追加している。

この代にもピックアップトラック型のサニートラック B120型[5]が設定されたが、このモデルは乗用車系のB110型生産終了後もマイナーチェンジを繰り返し、日本国内向けは1994年3月までの23年間、海外向けにいたっては2008年9月まで37年間の長きにわたり生産が続けられ、NP200の発売後に至っても在庫分が併売されていた。後継モデルのB210型系がピックアップトラック化を考慮していないスタイルであったことが理由であるが、B120型の設計が優れていたことも一因である。B120型系列は「サニトラ」の愛称で広く親しまれている。

北米市場では当時の市販車中、最良の省燃費車であることが燃費テストによって判明し、市場から評価され、日産車の販売実績向上に貢献した。

  • 1970年1月 - B110型にモデルチェンジ。
  • 1970年4月 - セダン、クーペにSU型ツインキャブを搭載するスポーティグレード「GX」追加。
  • 1971年2月 - トラックもフルモデルチェンジでB120型へ。
  • 1971年4月 - 4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ」を追加。オリジナル車に対してホイールベースが40mm、フロントオーバーハングが130mmそれぞれ延長された。当初このシリーズの目玉とすべく開発が続いていたロータリーエンジンは間に合わず、レシプロのみでのスタートとなったが、サニーとしては初となる、SOHCエンジンである、直列4気筒 SOHC のL14型・1,400ccを搭載。同時期のE20系カローラが1,400ccのT型エンジンを搭載して性能面でアピールしていたことに対抗したものである。
  • 1972年1月 - マイナーチェンジ。内外装の小変更。フロント / リヤのフェイスリフトとメーターパネルの枠を丸型から角型に変更。
  • 1972年8月 - 1200GXシリーズに5速MT搭載車「GX5」を追加。この56A型トランスミッションは1速が左手前に来るシフトパターンで、5速もオーバードライブでは無く、1.0:1.0となるクロースレシオであり、「5速直結」、「GXミッション」などと通称される。
  • 1972年10月 - 第19回東京モーターショーロータリーエンジン[6]搭載車を参考出品。
モータースポーツ

日本では、ツーリングカーレース(TSクラス)のベース車としても大きな成功を収めており、生産中止後も非常な長期に渡ってレースフィールドで強豪モデルとしての地位を保ち続けたことでも知られる。110型系の生産中止後、その重量と寸法の増大から後継の210型系での開発・出走を嫌った多くのユーザーからの「請願」により、数度のホモロゲーション延長が行われているが、これは車両の進化が速いレースの世界にあっては極めて異例の措置である。レース用にチューニングされたA型エンジンは、燃料噴射装置の効果もあり、自然吸気OHV1,300cc から、その末期には175馬力/約10,000rpmを搾り出しており、何の変哲もない実用向けの原設計からは想像しがたいほどの驚異的なポテンシャルを見せた。また軽量で運動性が良く、空気抵抗の少ない車体や、旧態依然としたリーフスプリングに吊られたリジッドアクスルながら、高いトラクションとコーナリング性能を発揮する足回りなどとの相乗効果で新鋭のDOHCマシンを下す場面もあった。前述のとおり210型系では積極的なレース活動は行われていないが、310型系のツーリングカーにこの資産は引き継がれている。

  • 1970年11月23日 - 「全日本富士ストックカー200マイルレース」TS1300クラスでレースデビュー。優勝。ドライバーは鈴木誠一。鈴木誠一が設立者の一人である東名自動車からのプライベートエントリー。
  • 1973年5月 - 「'73日本グランプリ」TS aクラスにて「エクセレントクーペ」優勝。ドライバーは北野元。その後、B210型の登場後もB110型は1982年までレースで活動を続けた。
  • 1974年5月 - 「74全日本選手権鈴鹿フォーミュラレース」SS1クラスにて「サニークーペ」優勝。
  • 1974年11月 - 「74 JAFグランプリ」SS1クラスにて「サニークーペ」1 - 2位獲得。
  • 1975年5月 - 「75日本グランプリ」TSクラスにて「サニークーペ」2位獲得。
  • 1977年6月 - 「JAF富士グランプリ」TSクラスにて「サニークーペ」2位獲得。

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3代目 B210型系(1973年 - 1977年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 1973年5月 - B210型にモデルチェンジ。ひと回り大きくなり、同社のチェリー610型系ブルーバードU710型系バイオレットなどにも通じる、北米市場を意識した曲面要素の多い、アクの強いスタイルとなる。
    ホイールベースは各型共通で、エクセレントシリーズのみフロントオーバーハングを若干延長している。ボディタイプは2ドア/4ドアセダンとクーペ、2ドア / 4ドアバンの5種類。この型からクーペは大型のハッチバックを持つ形状になった。エクセレントのクーペはテールランプを丸型3連としたことから、ユーザーからはロケットの噴射口になぞらえて「ロケット・クーペ」、「ロケット・サニー」と呼ばれた。
    また、先代同様、1,200ccのA12型エンジンとエクセレント用1,400cc・L14型エンジンの2種の排気量を持ち、それぞれにシングルキャブ仕様(GXを除く全車)とツインキャブ仕様(GX)を設定。引き続きツインキャブのGXグレードには5速ミッション車も用意されていた。エクセレントにはサーボ付ディスクブレーキが全車に標準装備。ただし、サニー1200ではデラックス以下はドラムブレーキとなる。
  • 1976年2月 - マイナーチェンジが行われ、エクセレント用のエンジンが1,400cc・SOHCのL14型から1,600cc・SOHCのL16型に変更された。また、1,400ccエンジン車にはかわりにF10型チェリー用のOHV・A14型エンジンが搭載された。1,200ccのA12型は引き続き搭載。
  • 1976年7月にはA14 型エンジンにツインキャブレターを装備した1400GXツイン (GX-T) が登場した。

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4代目 B310型系(1977年 - 1983年)

バンを除き:1977年 - 1981年 テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 1977年11月 - B310型にモデルチェンジ。同月、国内登録累計300万台達成。オイルショック後のベーシックカーとして、華美に傾き過ぎたB210系での反省から先々代のB110型を彷彿とさせる機能的で簡潔な直線的造形へと原点回帰した。エクセレントシリーズは廃止され、全車OHV・A型エンジン搭載車(1,200ccのA12A型と1,400ccのA14型)のみとなった。また、このモデルは(トラックはB120型)サニーとしては最後の後輪駆動車である。北米市場ではダットサン・210として販売された。
  • 1978年2月 - 電子制御噴射装置を搭載する「1400GX-E」及び「1400SGX-E」を追加。
  • 1978年5月 - セダンに「CITY DX」追加。
  • 1978年8月 - 輸出累計200万台を突破。
  • 1978年12月 - 一部改良が行われ、フロンドディスクブレーキが拡大採用され、衝撃吸収バンパーが新設された。また、バンに「CITY DX」及び「SUPER DX-A」を追加し、バンのスタンダード仕様はこの一部改良でさらに廉価仕様となる。
  • 1979年1月 - バックドアを大きく寝かせた、バンとは異なるシルエットを持つステーションワゴン[7]の「サニーカリフォルニア」を追加。
  • 1979年10月 - マイナーチェンジ。バン以外のフロントノーズのスラント化と同時にリヤナンバープレートの位置がバンパー上に移動され、当時流行の角型ヘッドランプなどを採用(バンを除く)した。バンは従来顔のまま54年排ガス規制適合でB311型へ。
  • 1980年11月 - マイナーチェンジ。1200を1300(1,300ccのA13型)に、1400を1500(1,500ccのA15型)にそれぞれ変更し、外装は、フロントグリル中央横方向に一本、カラーラインが入った。また、フロントグリルはファミリータイプには横バーグリルに青い「S」バッジ、スポーティタイプにはハニカムグリルに赤い「S」バッジが採用されていた。
  • 1981年10月 - セダン・クーペ・ワゴン生産終了。バンはマイナーチェンジしB312型となる。
  • 1982年10月 - ADバンの登場で4ドアバン生産終了。2ドアバンは継続。
  • 1983年7月 - ADバン2ドアの追加により2ドアバン生産終了。

最後のFR駆動モデルであり、B110型同様にTSレースや富士フレッシュマンレースといった下位クラスのレースで活躍した。 テンプレート:-

5代目 B11型系(1981年 - 1985年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。SOHCへ移行、カムシャフトもサニー初のタイミングベルト駆動となる。それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に正式車名を「日産 サニー」へと切り替える[8]。ボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアワゴン[9](カリフォルニア)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは国内向け廃止。輸出仕様のセントラには継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用したADバン[10]として独立している。日本国外への輸出ではこれまでのダットサン210から北米のセントラとメキシコのツル以外では「日産サニー」となった。

  • 1981年10月 - B11型にモデルチェンジ。
  • 1982年2月 - 米環境保護庁より北米向けサニーである「セントラ」の1,500cc 5速MT仕様が43mile/galでガソリン車No.1の燃費効率と発表される。
  • 1982年9月 - 4ドアセダンと3ドアハッチバッククーペに1.5Lとしては国産初となる[11]ターボチャージャー付 E15ET型搭載の「TURBO LEPRIX(ターボ ルプリ)」が追加された。鏡文字で「TURBO」ロゴが入るフロントグリルを特徴とする。同時に小変更の実施(1,300ccのタイヤサイズを12→13インチに拡大、一部グレードのメーター文字盤意匠の変更、チルトステアリング採用、一部グレードのホーンをシングルからダブルに等)。
  • 1982年10月 - 4ドアセダンおよびカリフォルニアにサニー初のディーゼルエンジン車が設定され、直列4気筒SOHC・1,680ccのCD17型を採用した。最高出力はグロス値で61馬力を発生した。
  • 1983年1月 - 日産創立50周年記念限定車 「サニー50スペシャル」を発売(限定3000台)。
  • 1983年10月 - マイナーチェンジ。3代目B210型より続いてきた6ライトウィンドウ&ファストバックスタイルの3ドアハッチバッククーペと、初代より続いていたサニーの"S"の字をモチーフとしたサニーエンブレムが廃止された。さらにコンパクトカーで世界的に主流となっていた2BOXスタイルの3ドアハッチバックを追加。搭載エンジンはE15SとE15ETの2種。同時にカリフォルニアのE15Eエンジン搭載車も廃止となったため、E15Eエンジン搭載車は4ドアセダンのみとなった。さらにこれと同時に「NISSAN」のロゴが同年の創立50周年を機に導入されたフォントに変更され、廃止された"S"をモチーフとしたサニーエンブレムに代わってフロントグリル右側に付くようになった。
  • 1983年秋 - 第25回東京モーターショーにはB11型サニーをベースとした「ニッサン NRV-II」が参考出品された。樹脂材料を活用した軽量化、E13型エンジンをベースにしたメタノールターボエンジンを搭載する等、数多くの技術が盛り込まれていた。
  • 1984年2月 - 特別仕様車GLエクストラ発売。
  • 1984年5月 - 特別仕様車GLスペシャル発売。
  • 1984年7月 - 3ドアバッチバック特別仕様車発売。
  • 1984年10月 - 「4ドアセダン1300 GL EXTRA」を追加。この年、国内販売がカローラに次いで2位となる。
  • 1985年1月 - 特別仕様車「αシリーズ」発売。ターボ車のターボチャージャーが油冷式から信頼性と耐久性に優れる水冷式に変更された。

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6代目 B12型系(1985年 - 1990年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 デザイン、構造において1984年から日産でライセンス生産を行っていたVWサンタナの影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。ボディタイプは2/4ドアセダン、3ドアハッチバック(1.3L:303, 1.5L:305)、5ドアワゴン(カリフォルニア)。2ドアセダンは国内仕様のラインナップにはない。さらに、ボディ一体型のウレタンバンパー(上級モデルはカラードバンパー)を採用し、直線・平面基調の独特なデザインとなる。B11後期で一度消滅したサニーエンブレムが、丸円にSの文字をモチーフにした形に変わって復活。B13型前期まで踏襲された。車重はやや増加したが、ボディ剛性や品質面を改善した。この代から高張力鋼板および亜鉛ニッケル合金メッキを用いた防錆鋼板[12]が用いられるようになった。この点ではデザインともどもVWサンタナの影響が強い。また、サニー初の4WDはパートタイム方式で、唯一セダンのみに設定されており、リアサスペンションも逆Aアームを用いた独立懸架となっている。海外でも前作B11型同様、北米は「セントラ」、メキシコでは「ツル」として販売。アジア圏でもタクシーなどで使われることも多く、香港・マレーシア・インドネシアでもタクシー車として重宝していた。

  • 1985年9月 - B12型にモデルチェンジ。トラッド・サニーの愛称で呼ばれた。
  • 1986年2月 - クーペのRZ-1」(アール・ズィー・ワンが追加された。シャシはセダン / ハッチバックと共通だが、外板の約70%は専用設計となり、鋭角的な独特のフロントマスクを与えられた。
  • 1986年8月 - サニー初のDOHCエンジン搭載グレードであるセダン の「SUPER SALOON TWINCAM」、ハッチバックの「306 Rt」及び「306 TWINCAM NISMO」、RZ-1の「TWINCAM Type A / TWINCAM Type B」及び「TWINCAM NISMO」が新設定された。エンジンはCA16DE型。
  • 1986年9月 - 4ドアセダンおよびカリフォルニアに、フルオート・フルタイム式4WD車、および「セダン1500スーパーサルーンE」を追加。
  • 1987年5月 - 4ドアセダンに「ELEGANT SALOON」を追加。
  • 1987年9月 - マイナーチェンジが行われ、外装ではフロントマスクと特にリアコンビネーションランプやナンバー取付け位置などが変更された。また1,500ccガソリン車のエンジンが「スーパー・インテークエンジン」と呼ばれる直列4気筒SOHC・12バルブのGA15[13]に変更された。1,300cc車は従来どおりキャブレター仕様のE13S型のみ。これに伴いE15ETターボエンジン車はモデル廃止。グレードは「1300 GL / 1500 GL」が「1300EX SALOON / 1500 EX SALOON」に改名。また、「1500 SGL」に代わって新たに「1500 SX SALOON」を設定。セダン / カリフォルニアの「1500 SUPER SALOON」系の「フルオートフルタイム4WD」(センターデフの代わりにビスカスカップリングを利用)車にはメカニカル式ABSがメーカーオプションで設定された。
  • 1988年1月 - セダンスーパーサルーン系に「ツインエアロルーフ仕様」[14]およびモータースポーツ向けの「1600 VR TWINCAM」をそれぞれ追加。エンジンは5速クロスミッション付きのCA16DE型を搭載した。同時に、マニュアルエアコンを標準装備した特別仕様車「1300 / 1500 EX SALOON G」発売。
  • 1988年6月 - トリプルビスカス式4WD車を追加。同時に「1500 SUPER SALOON」及び「1500 SUPER SALOON E」をベースにオートエアコンとマットガード、専用ホイールカバー、フロントサイドオーナメント、ゴールドエンブレム等を標準装備した特別仕様車「1500 SUPER SALOON TRAD」と「1500 SUPER SALOON E TRAD」を発売。車体色はクリスタルホワイトのみ。
  • 1989年1月 - セダンを中心に一部改良。「1600 SUPER SALOON NISMO」および「1500 SUPER SALOON E NISMO」を追加。「SUPER SALOON」シリーズは装備の追加およびシート表皮等の変更に伴い「SUPER SALOON SPLEND」シリーズに改名。
  • 1989年5月 - セダンの「1500 EX」をベースにマニュアルエアコン、ホイールカバー、全席パワーウィンドゥ、電動リモコンドアミラー等を標準装備した特別仕様車「ELEGANT SALOON」発売。前期型以来、2年ぶりにグレード名が復活した。

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7代目 B13型系(1990年 -1993年)

メキシコ仕様(車名:ツル)を除き:1990年 - 1994年(『90年代国産車のすべて』三栄書房 76頁参照) テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 B12型からのキープコンセプトであるが歴代モデルで最も高品質を追求したのが特徴。
ボディは4ドアセダンのみ。クーペモデルはサニーの名を冠せずNXクーペとなり、EXAの後継としての役割を担う。エンジンはガソリンエンジン全車をDOHC化。シングルチェーンを用いた上下2段のタイミングチェーンでカムシャフトを駆動している。1,600ccのGA16DE型のみ同社初にしてサニー初のメカニカル式可変バルブタイミング機構が装備されている。サニー初の1,800ccガソリンエンジンも設定された。グレードは1.8GT-Sで、専用外装パーツ、DOHC16バルブ・プレミアムガソリン仕様・140仏馬力のSR18DE型を搭載。上級グレードであるスーパーサルーン系は、エンジンや駆動方式を問わず、8種類用意された外装と内装を自由に組み合わせることができるスーパーセレクション方式を採用。組み合わせにより、外観はノーマルのままで内装のみ「GT-Sインテリア」という選択や「ラグジュアリーインテリア」に「GT-Sルック」という選択も可能であった。また、ラグジュアリーインテリアとラグジュアリールックを同時選択した場合のみ、このクラスとしては極めて珍しい「電子制御式サスペンション」も装着可能であった。このモデルから多くのグレードに油圧式のABSがメーカーオプション[15]。なお、1.8GT-S以外のグレードでABSをメーカーオプションで装着するとリアブレーキがディスクブレーキとなる。一部の塗装色に限り、メーカーオプションでスーパー・ファインコート塗装(フッ素樹脂塗装)が選択することが出来た。4WDは1,500cc車にはフルオート・フルタイム4WD、1,800cc車にはアテーサ、ディーゼル車(後に追加)はパートタイム4WDを採用。ディーゼル車はマニュアルのみ。

  • 1990年1月 - B13型にモデルチェンジ。
  • 1990年10月 - 5ドアワゴン[16]のカリフォルニアがフルモデルチェンジ。こちらは2代目ADバン・ADワゴンとボディをほぼ共有するため型式がY10型となる。
  • 1991年1月 - 1.6LのスーパーサルーンeをベースにラグジュアリーインテリアとGT-Sルックを装着し、4本スポークの本皮革ステアリング等を装着した特別仕様「25th ANNIVERSARY」を発売。同年5月には、1.5LのスーパーサルーンやEXサルーンをベースにした同名の特別仕様も登場した。
  • 1992年1月 - マイナーチェンジが行われ、フロントグリルのエンブレムがSマークから日産のCIに変更。バンパー、プロテクターの形状変更。ホイールカバーのデザイン変更。同時に九州工場での生産を開始した。
  • 1993年12月 - 日本での生産・販売終了。B13セダンは現在でもメキシコ工場でTSURUツル)の名称で数回のアップデートを重ねつつ現地生産されている。
  • 1994年 - メキシコを除く海外向けB13型の生産終了。
モータースポーツ

先代と同じく1600㏄モデルに競技仕様のVRがラインナップされていたが、ラリーの同クラスにマーチRが存在していたために主力マシンとはなれなかった。
1992年、キャロッセが全日本ダートトライアル選手権CIIクラスをサニー1.8GT-Sで参戦しチャンピオンを獲得。以後、ダートラCIIクラスの主力マシンへとなっていった。

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8代目 B14型系(1993年 - 1999年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ユーザーの若返りや大幅なコストダウン[17]を課題として開発された。ボディタイプは4ドアセダンのみ[18]。ただしクーペモデルのルキノは、前期型のみサニー・ルキノの名でも販売されていた。ホイールベースを延長(B12型およびB13型に対して105mm延長)、居住性を向上させ、FF車のリアサスペンションに新開発のマルチリンクビームサスペンション[19]を採用した。4WDシステムはガソリン車はフルオート・フルタイム4WD、ディーゼル車にはアテーサを採用。また、ガソリンエンジンはすべてマルチポイントインジェクション化。直列4気筒DOHCエンジンの1,300ccGA13DE型と1,500ccGA15DE型を改良して搭載。「スーパーツーリング」にはプレミアムガソリン仕様の1,800ccSR18DE型またはレギュラーガソリン仕様の1,600ccGA16DE型を搭載。ディーゼルエンジン車は2,000ccのCD20型となった。その後、B14型登場から4か月後に「1.5EXサルーン」をベースにリーンバーン仕様の1,500ccGA15DE型エンジンに換装した「1.5CX」を追加。1995年1月にはセダンの一部が変更。スーパーサルーン、EXサルーン、CXのグリルをメッキ化し、リアフィニッシャーをボディカラー化。このほか、1.5スーパーサルーンのFF車のフロントディスクブレーキのベンチレーテッドディスクブレーキ化やタイヤサイズの変更(165SR13 → 175/70R13 82S)などが挙げられる。

  • 1993年12月 - B14型にモデルチェンジ。
  • 1995年1月 - パルサーセリエとの兄弟車であるルキノ3ドアハッチバックが追加。同時にセダンの一部改良を行い、運転席SRSエアバッグが特別装備の特別仕様車を発売。
  • 1995年9月 - 中期型にマイナーチェンジされ、内外装をフェイスリフト。リアデザインが大きく変わり、リアコンビネーションランプが大型化された。また、運転席SRSエアバッグが全車標準装備された。
  • 1997年5月 - 後期型にマイナーチェンジ。内外装変更。大型のフロントグリルが与えられたほか、リアターンシグナルランプのレンズ色を赤色化(点灯時は橙色)、前席SRSデュアルエアバッグ、ABSが全車標準装備される。SR18DE車が廃止されたのでスーパーツーリングが1,500ccと1,600ccになった。
  • 1998年10月 - ディーゼル車を除きB15型へのフルモデルチェンジ。
  • 1999年9月 - ディーゼル車モデルチェンジ。
モータースポーツ

エンジンをSR20DEに換装したB14型サニーが1994年・1995年のオールシーズンと1996年のシーズン途中まで参戦[20]。1995年にMINEサーキットで行なわれた第9戦(第2ヒート目)で、ザナヴィ・サニーを駆る飯田章が、ジャックス・シビックフェリオを駆る服部尚貴との激闘を制する。ちなみに、このJTCCレースカーはその後、東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。B14型サニーのJTCC参戦記念モデルとして、ニスモでは1,800ccの4ドアセダンをベースに、「NISMO 180R」というロードコンプリートカーを企画。車名は最大出力である180馬力に由来し、走行可能なプロトタイプが1台のみ製作されたが、市販化はされなかった。エンジンはSR20DE型のファインチューニング版を搭載し、ニスモ製強化サスペンションと15インチアルミホイールに加え、専用エアロパーツをフル装着。搭載されていたエンジンとトランスミッションは、同年発売のB14型ルキノクーペ、及びN15型パルサーセリエ / ルキノハッチをベースとした「AUTECH VERSION」[21]にSR20DE改良型として搭載され、発売された。

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9代目 B15型系(1998年 - 2006年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ボディタイプは4ドアセダンのみでなおかつ歴代サニーで唯一派生モデルが存在せず、完全な国内専用車となった。プラットフォームはMSプラットフォーム。ただし、ディーゼル車は1999年9月まではB14型車が併売されていた。開発主管は、B14型に引続き深井吉男が担当。エンジンは新開発のQG13DE型、QG15DE型リーンバーン/LEV、可変バルブリフト&タイミング機構付き「NEO VVL」を採用したSR16VE型、QG18DD型NEO Di直噴ガソリンの4機種6仕様のエンジンが用意されていた。また、歴代サニーとして最初にして最後となる、ハイパーCVTの搭載モデルが存在した。ヘッドランプのバルブは希少なIH01型を採用。スポーツグレードである「1.6 VZ-R」には、B14型ルキノやN15型パルサー/ルキノハッチで採用された青いヘッドカバーの1,600cc「NEO VVL」エンジンSR16VE型を搭載。無鉛プレミアムガソリン仕様。トランスミッションは5速MTのみ。エアコンはマニュアルエアコンのみの設定で、「スーパーサルーン」系とほぼ同等の装備を有する。312台の少数販売にとどまり、2000年8月に販売終了。

  • 1998年10月 - B15型にモデルチェンジ。
  • 1999年9月 - YD22DD型NEO Di直噴ディーゼル搭載車を追加。国内向けセダン型乗用車としては最初にして最後の搭載であった。
  • 1999年11月 - 北米向けセントラCA (Clean Air) がカリフォルニア大気資源委員会 (California Air Resources Board ) の制定する排気基準値とベーパー(ガソリン蒸気)排出ゼロ規制値をクリアし、またガソリン車として世界初の車載故障診断システムレベルII (OBDII) 要件に合致している車として認定された。
  • 2000年9月 - 内外装の一部を変更し、グレード体系を変更。SR16VE型搭載の「1.6 VZ-R」が廃止された。
  • 2001年12月20日 - 「スーパーサルーン SV リミテッド」および「EXサルーンSV リミテッド」を追加。
  • 2002年5月13日 - マイナーチェンジが行われ、フロントマスクの変更、バンパーは全塗装化および大型化された。さらには、アクティブヘッドレストの採用および内装の仕様変更がなされたほか、排出ガス規制強化にともない2,200cc直噴DOHCディーゼルエンジン (YD22DD) と1,800ccNEO Di直噴ガソリンエンジン (QG18DD) がラインナップから落とされる。車名ロゴが「Sunny」から「SUNNY」に変更され、CIも現行のものに変更された。
  • 2003年5月20日 - 日産自動車創業70周年記念車を発売。
  • 2004年10月 - 日本国内向けの生産終了。38年の歴史に幕。
  • 2005年2月 - パキスタンへ輸出開始。
  • 2006年 - 海外向けB15型の生産終了。
モータースポーツ
  • 2004年 - SCCAスピードワールドチャレンジ・ツーリングカーシリーズに北米向けB15型「セントラSE-R」が参戦。
  • 2004年6月 - 第3戦 オハイオ州レキシントン ミッドオハイオ・スポーツカー・コース 3位入賞
  • 2004年7月 - 第4戦 インフィネオン・グランプリ カリフォルニア州ソノマ インフィネオン・レースウェイ 3位入賞
  • 2004年7月 - 第5戦 インフィネオン・グランプリ 24位完走

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取扱販売店

脚注

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関連項目

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外部リンク

テンプレート:NISSAN Timeline(初期) テンプレート:1980-1999 NISSAN Timeline テンプレート:NISSAN Timeline

テンプレート:自動車
  1. 日本興業銀行出身。長く社長・会長を務め、日産自動車中興の祖と言われた。
  2. 「太陽がいっぱい」と言う意味。一般公募により、応募総数848万3,105通の中から名づけられた。この時点で「サニー」はソニーにより商標登録されていたので、ソニーからの許諾をとった上で商標とした。
  3. Aクラス:ベースモデルの現地での販売価格が1,800オーストラリアドル以下。
  4. 1,100cc以下クラス、ドライバーは黒沢元治
  5. 型式名の10の位にあたる「2」は、日産の命名規則で小型貨物自動車を表す。
  6. ただし、翌年に起こったオイルショックのため、ロータリーエンジン車の開発は中止されている。
  7. ただし当時はステーションワゴンではなく"5ドアセダン"扱い。
  8. 1981年7月に当時の石原俊社長の方針で、国内外で展開していた「ダットサン」ブランドを廃止し「日産」ブランドへの統一が発表された(ダットサン・ピックアップを除く)。車検証に記載される車名も「ダットサン」から「ニッサン」に切り替えられた。
  9. 1981年当時はまだ5ドアハッチバック扱いだった。
  10. 当初は前身車種の流れから、販売系列ごとに「ダットサンADバン」「サニーADバン」「パルサーADバン」の車名であったが、1988年のマイナーチェンジで「ADバン」の車名に統一。
  11. 三菱・ミラージュが1.4Lターボを1982年2月に搭載。
  12. 同社では「デュラスチール」という名前で呼ばれていた。
  13. 1気筒あたり吸気×2、排気×1の3バルブ方式で日産車史上初。電子制御キャブレター (ECC) 仕様のGA15S・85仏馬力と電子制御インジェクション(EGI・ECCS)仕様GA15E・97仏馬力。いずれもカムシャフトの駆動用に耐久性に優れたタイミングシングルチェーンを採用、コグドベルト廃止の口火を切る。
  14. 世界初の電動ツインスライド式のガラスサンルーフ。
  15. 当モデルよりそれまで使用されていた「4WAS」から順次「ABS」に変更されていくことになる。
  16. しかし実際はB12型カリフォルニアまではワゴンではなく5ドアハッチバックを名乗っていた。なおY10型カリフォルニア移行後、正式にワゴンを名乗るようになった。
  17. 1990年代は、バブル経済の失速&崩壊、社会情勢的に自動車の環境&安全性能の向上が至上命令となり、開発費や設備投資への巨額な費用捻出のため、日産に限らず多くの自動車メーカーが大幅なコスト削減の対応に追われていた。
  18. 当初、Y10型ADバン/ADワゴンベースの「サニー・カリフォルニア」が併売されていたが、1996年5月に同Y10型「ウイングロード」が登場したのを期にモデル廃止となった。
  19. 実際は3リンク式トーションビームサスペンションの延長線上の方式。
  20. メンテナンスは東名エンジニアリング。
  21. 開発・販売はオーテックジャパン