日産・ブルーバード

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テンプレート:Otheruseslist ブルーバードBLUEBIRD)は、日産自動車1959年から2001年まで生産・販売していた乗用車

概要

第二次世界大戦前から続く、10-17型、戦後のDA型、DB型といったダットサンブランドのセダンの系譜を引き継いでいるが、メカニズム的に直系とされているのは、オースチンと提携以降のダットサン・セダン110 / 210型系(210は直列4気筒OHV C型 988cc搭載)である。日本の代表的なミドルセダンとして、またタクシー用の車種としても親しまれた。最大の競合車種はトヨタ・コロナ1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。愛好者間での通称は「ブル」ブルーバードシルフィがその名を受け継いでいたが、2012年12月のフルモデルチェンジで単に「シルフィ」となり、ブルーバードの名は消滅し、名実共に53年の歴史に幕を下ろした[1]

歴史

初代 310型系(1959年 - 1963年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 発売当時の名称は「ダットサン・ブルーバード」。ダットサン系の本格的な量産型乗用車としては最初の前輪独立懸架採用車となり、在来ダットサンの固定軸に比べて格段に乗り心地や操縦性を改善した。ボディタイプは4ドアセダンのみ[注 1]。グレード構成は、1000ccはSTD、1200ccはSTDとDX。スタイリングは当時日産の社内デザイナーの佐藤章蔵によるもので、世界的トレンドにはやや遅れたデザインではあったが、全体に中庸を得たスタイルで機能性が高く、市場の反応は良好だった。セミモノコックボディと低床式ラダーフレームとを組合せて軽量化と強度確保を図る。主要部品の多くはダットサントラックとの共用で、十分な信頼性を備えていた。乗車定員は当初4名であったが、1959年10月に後部座席寸法を3人がけ可能に変更して5名となった[注 2]。エンジンは先代のダットサン・セダン210型から踏襲された「C1型」(水冷 直列4気筒 OHV 988cc 34PS / 4,400rpm)を主力に設定。後にストロークを再拡大し、1189cc ( 43PS / 4,400rpm ) とした「E1型」も設定(P311 / WP311型)した。いずれも技術提携先のイギリス・BMC社製オースチンB系エンジンをベースとしたストローク変更のバリエーションである。1200ccクラスのE1型エンジン設定の理由は、輸出主戦場と目されたアメリカ合衆国で当時成功を収めていた同クラスのフォルクスワーゲン・ビートル[注 3]に対抗した性能確保が目的であった[注 4]。当時の日産の主力車種としてモータリゼーションの潮流に与し、4年間に渡るモデルライフを通して良好な販売実績を示した。

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2代目 410型系(1963年 - 1967年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 後にブルーバードのイメージを牽引することになるSSSが設定された初めてのモデルでもある。日産初のフル・モノコック構造の車体を採用、当初のボディタイプは、4ドアのセダンとエステートワゴンのみ。先代に引き続き北米輸出が図られたほか、新たに欧州へ輸出されている。スタイリングはピニンファリーナによるものであったが、欧州調の尻下がりラインが不評で、販売台数で初めてコロナにリードを許す。エンジンは当初先代からのキャリーオーバーであるC型1000cc45馬力とE型1200cc55馬力であったが、電源は310系までの直流発電機(ダイナモ)から、交流発電機(オルタネーター)に変更し、発電性能を向上させている。トランスミッションは310型系以来のフルシンクロの3速MTで、1200ccには「サキソマット」のオートクラッチの設定もあった。グレード構成は、1000ccはSTD、1200ccはSTDとDX、ファンシーDX、エステートワゴン。

  • 1963年9月 - 発売。
  • 1964年3月 - ブルーバード初のスポーツモデルとなる「1200SS(スポーツセダン)」を追加。E型1200ccにSUツインキャブ65馬力のエンジン搭載。
  • 1964年9月 - マイナーチェンジでフロントグリルの意匠を変更。1000ccモデルが廃止され、2ドアセダンが追加。
  • 1965年1月 - リクライニングシート車設定。
  • 1965年2月 - 「2ドア1200SS」追加。
  • 1965年5月 - マイナーチェンジで411型となった。また、1200ccモデルは1300ccJ型62馬力に変更となり、電装系をマイナスアースに変更。1300バンを追加。同時に「1600SSS」を追加。SUツインキャブ付き1600ccR型90馬力のエンジン、ポルシェシンクロの4段ミッションを装備。
  • 1966年 - メキシコ日産のクエルナバカ工場にて生産を開始。
  • 1966年4月 - マイナーチェンジで、評判の良くなかった尻下がりのボディ形状を改める大幅な変更を行った。この変更でテールランプが独特の形状であった通称「鍵テール」から平凡な形状に変更された。「1300SS」と「1600SSS」は専用フロントグリルに前輪ディスクブレーキを装備。
  • 1966年6月 - ボルグワーナー製の3速オートマチック設定。
モータースポーツ
  • 1965年3月 - 「第4回ナショナルストックカーレース」(於: 川口オートレース場ダートコース)スポーツマンクラスにて「1200SS」が優勝。ドライバーは長谷見昌弘
サファリラリー
  • 1964年 - 4台で参戦したが、リタイア。
  • 1965年 - 3台で参戦したが、リタイア。
  • 1966年4月 - 「第14回東アフリカサファリラリー」に4台の「1300SS」(ダットサンP411-TK)(1299cc)で参戦。グリンリー/ダンク組が5位で完走し、クラス優勝[注 5]
モンテカルロラリー
  • 1965年 - 1台参戦、リタイア。
  • 1966年 - 1台参戦、総合59位。
  • 1967年 - 3台参戦、総合58位、2台リタイア。

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3代目 510型系(1967年 - 1972年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ブルーバードの歴代シリーズの中で後の910型と共に、大きな成功を収めたモデルである。1966年にはダットサンのエントリーモデルとして、1000ccクラスの大衆車ダットサン・サニーが発売されていたことから、ブルーバードは1300cc以上の中級モデルとして上位移行し、ボディは大型化された。当初のボディタイプは2ドア / 4ドアセダン、4ドアワゴン / 4ドアバンの4種類。社内デザイナーによる「スーパーソニックライン」と称する、直線的で彫りの深いシャープなデザインとなった。従来装備されていたフロントドアガラスの三角窓は、換気装置の強化により省略された。

メカニズムは、オースチンの影響が強かった410系までに比べて一新されている。後にスカイラインやフェアレディZに搭載されるようになるL型と呼ばれる新開発のエンジン水冷直列4気筒 SOHCのL型(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社、41頁参照)を搭載しており、量販モデルである1300ccのL13型と、上級モデルとして1600ccのL16型を積んだ「SSS(スーパー・スポーツ・セダン)」のラインアップだった。サスペンションは日産初の四輪独立懸架(フロント:マクファーソン・ストラット、リア:セミトレーリングアーム[注 6])を採用。セミトレーリングアームのドライブシャフト伸縮には直前に日産と合併されていたプリンス自動車が「グロリア」後輪のドディオンアクスルに使用していた「ボール・スプライン」の技術を利用している。

日本国内では他社に先駆けた先進的設計と斬新なスタイリングをアピールし、オーソドックスな後輪車軸懸架構造ながらデラックスな装備を売りにするトヨペット・コロナとの「BC戦争」を競り合った。日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評を得、ラリーフィールドでのタフネスな活躍ぶりとも相まって人気を高め、史上初めて北米市場でヒットした日本車となった。続いて開発された初代フェアレディZと共に、北米輸出市場における日産(ダットサン)の躍進を実現した存在といえる。

  • 1967年8月15日 - 発売[2]
  • 1968年10月 - マイナーチェンジでワイパーピボット位置、フロントグリルリアコンビネーションランプ、SSSの砲弾型フェンダーミラー形状を変更。直列4気筒SOHC L16型(1595cc)搭載モデル「ダイナミックシリーズ」を追加。DXに4速マニュアルフロアシフト車追加。
  • 1968年11月 - コロナハードトップに対抗した2ドアクーペを追加。本車種のクーペとしては最初で最後の3連リレー式ウインカー(「流れる」テール)が採用される。
  • 1969年9月 - 一部改良。北米の安全基準に合わせ、衝撃吸収ダッシュボードを採用、インパネ形状も変更[3]。ラジオアンテナはAピラーへ移動。
  • 1970年9月 - 一部改良。フロントグリル、リアコンビネーションランプ[注 7]を再度変更[3]。直列4気筒SOHC L18型 (1770cc) を搭載した1800SSS発売。1300cc → 1400ccへ拡大。4ドアセダンGLを追加。
  • 1971年9月 - ブルーバードU(610型系)の発表に伴い車種整理。1800cc車とクーペを廃止、セダン1400/1600ccの廉価グレードがメインとなり、「幸せの1400」のCMキャッチフレーズで610型系との併売へ。グリル周りは樹脂パーツを多用して610型系と類似したいかついデザインに変更された。SSSは出力強化(100馬力 → 105馬力)、フェンダーミラーのブラック化、革巻き風ステアリングの採用なども実施[3]。この時期に至っても市場からの人気は高かった。
  • 1972年12月 - 510型系生産終了。
モータースポーツ
  • 1969年 - メキシカン1000マイルラリー(現行のラリー「バハ1000」の前身)でピート・ブロック/ボブ・ライアン組の510が総合4位入賞。ゼッケン89の同車はラリー終盤で右前輪ストラットのショックアブソーバーがボンネット上へ突き抜けるアクシデントがあったが、上位完走してタフネスさを証明した。
  • 1970年 - 「第18回東アフリカサファリラリー」にて総合・チーム優勝の2冠達成。「ラリーの日産」のイメージを確立する。石原プロモーションにより映画『栄光への5000キロ』が制作される。なお、この映画の撮影は1969年の17回サファリの際に行われ、ゼッケン90番のロケ車が実際のラリーに出走、総合5位に入賞した。ドライバーは18,19回優勝者のハーマン/シュラー組である.これは、このロケ車での活躍を日産ワークスが評価して起用したものである。

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4代目 610型系(1971年 - 1976年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 車格の上級移行により、車体は大型化、当時の風潮に沿った曲面基調でアクの強いデザインとなり、車名も「U」のサブネームが付いた「ブルーバードU」となった。なお、従来の510型系は、2ドアセダン/4ドアセダンの1400ccと1600ccの廉価モデルのみが1972年12月まで継続生産され[注 8]、併売されていた。なお、ブルーバードUでは、カタログモデルとしてのタクシー仕様(営業車)は設定されなかった[注 9]。グレードは、STD、DX、GL、SSS、SSS-L、SSS-E[注 10]が設定され、ボディタイプは、4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、バンの4種類。セダン、ハードトップはサイドウインドウ下の「Jライン」と称するガーニッシュが特徴であり、その色は標準のダークグレーのほか、外板色が白の場合Jラインは黒となり、紺メタリックではオレンジ色も選べた。

2000GTシリーズ

直列6気筒2000ccのL20型を搭載、ホイールベースを150mm延長し、フロントオーバーハングを55mm延長したロングノーズの2000GTシリーズ[注 11]のGT、GT-E、GT-X、GT-XE[注 10]が追加設定される。フロント周りポンティアックを思わせる処理がなされ、スカットル部のエアアウトレット風の処理がサメエラを連想させるデザインであったためサメブルと呼称された。マイナーチェンジ車は、オイルショック・排気ガス規制で売れ行きが伸びなかった[注 12]

モータースポーツ
サファリラリー
  • 1972年 - 1台が参戦し、総合12位。
  • 1973年 - 2台が参戦し、総合2位・4位、チーム優勝。

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5代目 810型系(1976年 - 1979年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 オイルショック排気ガス規制対応のため登場が遅くなり、販売不振のため次期モデル910型系の登場が早まるなど、わずか3年4ヶ月の生産に留まった。キャッチフレーズは「ヘビーデューティ」であったが、引き続きのサイズ肥大化の一方で、排気ガス対策とこれに伴う性能低下対処が最優先されたモデルであった。ボディタイプはセダン、2ドアハードトップ、バンで、輸出用にワゴンが存在。ロングノーズの6気筒2000ccモデルはG6シリーズとして続投。また、610型系では設定されなかったタクシー仕様車(L18P型搭載)が復活。これには沖縄向けに左ハンドル仕様がごく少数生産された。エンジンは51年排出ガス規制に適合した直列4気筒L16 / L18型直列6気筒のL20型をラインナップ。足回りは、前輪がマクファーソンストラットとコイルスプリングであったが、後輪はSSS系とG6シリーズはセミトレーリングアームとコイルスプリングを踏襲したものの、GL / DX系は低コストのリーフリジッドサスペンションとなった。

  • 1976年7月 - 発売。
  • 1977年10月 - 一部改良でセダン / ハードトップのGL / DX系のリアサスペンションを4リンク式に変更。トランクリッドの BLUEBIRD エンブレムは廃止。1800はZ18型エンジンに変更。
  • 1978年9月 - マイナーチェンジで811型となり、全車53年排出ガス規制適合となる。角型4灯ヘッドライトを採用(タクシー仕様のSTD / DXを除く)。また、ロングノーズで4気筒エンジン搭載のG4シリーズ(リアサスペンションはGL系と同じ4リンク式)と最上級車として2000G6E-F / G6-F / 1800GFを新設。
  • 1979年3月 - ブルーバード20周年記念車の「スピリット20」ではブルーバード史上初のサンルーフを設定。また、タクシーには日本国内初3速フロアオートマチック車が設定され、角型4灯ライトのGLを追加。同時にエンジンも53年排出ガス規制適合のZ18Pとなる。

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6代目 910型系(1979年 - 1993年)

セダン/ハードトップ、ワゴン/バン:1979年 - 1983年、タクシー:1979年 - 1993年   

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

ブルーバード史上、最後のFR車となる。1970年代、開発・販売面での迷走を続けたブルーバードであったが、このモデルは派生型のロングホイールベース型や直列6気筒モデルを廃止するという思い切った見直しが図られ[注 13]、バランスの取れた4気筒中型セダンとして設計された。

510型を髣髴とさせる直線基調の機能的でクリーンなスタイルなども手伝って、小型車(1600 - 2000ccクラス)で連続27か月登録台数1位を記録するなど、910型は510型以来の大ヒットとなった。広告には沢田研二を起用して「ブルーバード、お前の時代だ」のキャッチコピーが使われた。

輸出仕様も国内仕様に準じたかたちで4気筒エンジンが用意されたものの、6気筒エンジンが必須の北米向けのみは、ホイールベースを100mm延長し、L24E型2.4L直列6気筒エンジンを搭載したセダンとワゴン(GL910 / WGL910型系)がラインナップされ、「ダットサン・810マキシマ」の愛称で発売された。国内向けガソリンエンジンは全車直列4気筒のZ型に統一され、また、この910型からディーゼルエンジンLD20型)が登場し、後にディーゼルターボ(LD20T型)エンジンも追加される。営業車には、LPGエンジンのZ18P型が搭載された。SSSシリーズには開発当初、スカイラインRS用の4バルブDOHCFJ20Eエンジンの搭載も企画されたが、当時日産はターボブームまっただなかということもあり、販売サイドの意向で見送られたという逸話もある[注 14][注 15]

足回りは、フロントサスペンションが日本製FR車初のゼロスクラブと、ハイキャスターにセッティングされた、マクファーソンストラットコイル、リアは、SSS系にはセミトレーリングアームコイル、エレガント系、タクシー、後期型ワゴン4リンクコイルバン、前期型ワゴン、1987年10月以降のLPGエンジンのタクシーは半楕円リーフリジッド(ディーゼルエンジンのタクシーは1987年10月以降も4リンク式)となった。また、豪州日産では1985年まで生産を行っていた。

営業車を除く全車、前輪にベンチレーテッドディスクブレーキを装備。キャブレター仕様を除くSSS系、後期型 2.0L のエレガント系にはウレタン製衝撃吸収大型バンパーが装備された。これらの機構的特長を前面に押し出した「走る。曲がる。止まる」のキャッチコピーは、「技術の日産」ファンのユーザーの購買心理に好意的に迎えられた。

SSS-XGシリーズにはデジタルメーターも標準装備する。

  • 1979年11月 - 発売。
  • 1979年12月 - バンとワゴン(名称はADワゴン 1800GS / GL)[注 16]を追加発売。
  • 1980年3月 - 1800EGIターボ(Z18ET型 135馬力)のターボSSS / ターボSSS-S / ターボSSS-X / ターボSSS-XGと、セダン2000ディーゼル(LD20型 65馬力)GL / GFを追加。
  • 1980年10月 - 1800 SSSターボとセダン1600GL / GFにAT車追加。
  • 1981年1月 - 2000 キャブレター仕様(110馬力)の2000 GL / GF / SSS-Lを追加。
  • 1982年1月 - マイナーチェンジ。内外装変更。同クラス初のピラーレスの4ドアハードトップモデルを追加。2ドアハードトップは1800ターボSSS / ターボSSS-Sの2グレードに整理。
  • 1982年10月 - 一部改良。自然吸気の1600 / 1800ccガソリンエンジンをCA16、CA18 / CA18E型に変更。ターボ車は4速AT化。
  • 1983年10月 - 営業車モデルタクシー教習車)を除き販売終了。
モータースポーツ
主な戦歴
  • 1982年5月 - 「富士GCシリーズ第2戦 富士グラン250キロレース」3位入賞
  • 1982年5月 - 「RRC筑波チャンピオンレース」SSクラス 2位入賞
  • 1982年10月 - 「バサースト1000」クラス優勝(総合8位)
  • 1982年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 2位入賞
  • 1983年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 優勝
  • 1983年 - 「富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズ」 チャンピオン獲得
営業車モデル

テンプレート:Double image stack 営業車モデル(タクシー用)は、FF(前輪駆動)のU11型にフルモデルチェンジされた後も、FR(後輪駆動)の910型が継続生産されていた。その理由に、

  1. FFでは、FRより最小回転半径が大きく、(タクシー業界で重視される)小回り性能で不利である。
  2. 技術的にはFFで問題なかったが、マニュアルトランスミッション車のクラッチ板交換の際に「エンジンを下ろさなければ整備できない」とハイヤー・タクシー業界で難色を示された[4]
  3. 熟成されつくしたFRは、車両や部品の耐久性の面で当時は発展途上にあったFFよりも信頼性が高かった。
  4. FFはFRに比べステアリングホイールへの反力や操舵力自体がやや大きいこと、登り勾配やフル積載では発進時のクラッチ操作がシビアとなることなどから、乗務員の負担が若干大きい。

以上の理由で、FF(前輪駆動)のU11型の営業車モデル(タクシー用)の設定を断念せざるを得なかった事情があった。

  • 1984年1月 - 一部改良。デラックス仕様を廃止、LPG車に5速フロアMT追加。1983年の日産創立50周年を機に一新された「NISSAN」ロゴと、U11型系と同じ「BLUEBIRD」ロゴに変更、エンブレムの位置も左側から右側に移動されている。
  • 1985年3月 - 一部改良。LPGエンジン車はリアサスペンションの耐久性向上とLPGボンベ容量が71Lから99Lに増大のためにリーフリジッド(E-PC910型)へ変更[注 17]
  • 1986年1月 - 一部改良。3速コラムMTを廃止し、4速コラムMT新設。
  • 1986年8月 - 一部改良。駐車灯廃止およびリヤ中央席にシートベルト追加。
  • 1986年12月 - 一部改良。左右非対称のアンシンメトリーミラーと積雪地対策のショートエプロンをオプション設定。
  • 1987年10月 - マイナーチェンジ。生産工場が追浜工場から日産車体平塚工場へ移管され、ステアリングホイールの形状変更[注 18]、メーターパネルをタコグラフ取り付け対応に、SSS系と同一デザインのフロントグリル(通称・ハニカムグリル)と後期型SSS系と同一のリアコンビネーションランプに変更。ディーゼルエンジンはLD20・II型に換装。
  • 1989年3月 - 一部改良。AT車にシフトロック追加。
  • 1989年7月 - 一部改良。LPG車にLPガス緊急遮断装置採用。
  • 1990年4月 - 一部改良。コラムMT車にパワーステアリング及び全車にサンクスパワーウィンドウ(運転席及びリヤ左側がパワーウィンドウ)をそれぞれオプション設定。
  • 1991年10月 - ディーゼル車生産終了。
  • 1993年7月 - クルーの発売に伴い、営業車モデル(タクシー用)の生産販売を終了。

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7代目 U11型系(1983年 - 1990年)

セダン/ハードトップ:1983年 - 1987年、マキシマ:1984年 - 1988年 テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ブルーバード初のエンジン横置きFF(前輪駆動)車。先代の910型の流れを汲んだデザインで、ボディタイプは、910型に設定されていた2ドアハードトップは廃止され、4ドアセダン、4ドアハードトップステーションワゴンバンの4種類が設定され、前モデルの910型系と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるトルクステアなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる。ガソリンエンジンは、すべてCA型に統一され、ディーゼルエンジンは、ノンターボのLD20型 65馬力の1種類のみの設定。広告には、沢田研二が先代の910型に引続き起用[注 19]された。1983年の日産創立50周年を機に一新された米国のペンタグラム社が製作したロゴフォント[注 20]を採用。先代の910型系までの正式車名であった「ダットサン・ブルーバード」から、U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「日産・ブルーバード」へと改められ、車検証の車名欄も、先代の910型までの「ダットサン」からU11型から「ニッサン」へと改められている[注 21]。ADワゴン(ステーションワゴン)はターボSSSとLXの2グレードがあり、ターボSSSは当時珍しいガソリンターボのワゴン車であった。海外輸出については、これまでのダットサン160~200Uから正式に「日産ブルーバード」(中文:日産藍鳥または青鳥)となりメーターがドイツ・アウトバーン対応のMAX240km/h以外は日本国内仕様と同一である。一方オーストラリアでは、日本より遅れること2年後に生産が開始されたモデルである。前輪駆動生産のライン関係などに大幅な遅れをとった関係から910型が長らく生産された要因とされた。

  • 1983年10月 - 発売。(SSSはスーパー・スポーツ・セダンからスーパー・スポーツ・サルーンに)
  • 1983年12月 - 日産創立50周年記念車を発売。
  • 1984年9月 - 「2000ディーゼルSLX-G」を追加。
  • 1984年10月 - 810型系以来の上級車種としてV6エンジン搭載の「ブルーバードマキシマ」が登場。1800cc車は全車5速MT化。2000SLX-Gに大型バンパーを標準装備。
  • 1984年11月 - 国内生産累計600万台達成。この年、国内販売はカローラカリーナコロナに次いで4位(1983年は5位)。
  • 1985年1月 - エクストラシリーズ追加。
  • 1985年3月 - 一部改良。ターボチャージャーの冷却方式を水冷式に変更。
  • 1985年8月 - マイナーチェンジ。エクステリアの大幅な意匠変更が行われ、バンを除く全車にコーナリングランプを標準装備。バンパー、トランクリッドの形状変更、内装の一部変更のほか、SSSシリーズに直列4気筒DOHC 1809ccターボを採用し、145馬力[注 22]を発生するCA18DET型エンジン搭載モデルが登場。追加グレードとして「セダン / ハードトップ 1800スーパーセレクト」、「セダン 1600SLX-G」および「ADワゴン 1800SSS(NAモデル)」が設定され、CA18 / CA16型が電子制御キャブレターのCA18S / CA16S型となり、2000ccガソリンは廃止。バンのガソリン車を除くマニュアルトランスミッション車は全車5速化され、CA18E型とCA18S型のオートマチックトランスミッションが4速化される。フロント合わせガラスと電動格納式ドアミラーを新たに設定。
  • 1986年 - 1800に教習車仕様を追加(当初は5速MTのみ、後に4速ATも追加)。
  • 1986年1月 - ブルーバードマキシマをマイナーチェンジ。VG20E型搭載モデルを追加。セダンLXセレクト追加。
  • 1986年6月 - CA18DET型エンジン搭載モデルにAT車追加。
  • 1987年5月 - ブルーバードマキシマが「マキシマ」として独立車種となる。トランクのエンブレムはNISSAN MAXIMAに変更(ただし正式名はブルーバードマキシマのままであり、型式はU11)。同時に一部改良。
  • 1987年9月 - 4気筒モデル販売終了。但し、バンとワゴンについては一部改良を施した上で継続販売。
  • 1988年10月 - マキシマ販売終了。日産・マキシマにモデルチェンジ。
  • 1990年5月 - アベニールの発売に伴い、バン / ワゴン生産終了。

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8代目 U12型系(1987年 - 1991年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ブルーバード初の四輪駆動車が登場。ボディタイプは、4ドアセダンと4ドアハードトップ(H/T)。丸みを持たせたようなデザインで、H/Tはセンターピラーレス構造を先代に引き続いて採用。V6エンジンの上級グレード「マキシマ」とバン/ワゴンはU11型を継続生産。グレード構成は、伝統の「SSS(SSS/ツインカムSSS/ツインカムSSS-X)」シリーズのほか、「アーバンサルーン(LE/SEサルーン/XEサルーン/スーパーセレクト)」シリーズを設定。価格帯は1600LE 5MT車119.8万円~1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITED 4AT車299.8万円と、同型エンジン搭載車でも、セダンとH/Tとでグレードと装備の組合せが異なるなどワイドバリエーションを誇った。エンジンは先代U11型と同じCA系を改良し、DOHC・135馬力のCA18DE、SOHC・88馬力のCA18i、SOHC・79馬力の1600ccのCA16S、ディーゼル・67馬力のLD20-IIが用意された。また、1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDに搭載されたDOHCターボCA18DETは、インタークーラーの装着やプレミアムガソリン仕様化が行われたことで最高出力が175psにまで高められた。センターデフ式フルタイム4WDシステムの「ATTESA」は、2WDシリーズに対してそれぞれ「SSS ATTESA/SSS ATTESA LIMITED」、「アーバンATTESA(SE ATTESA/XE ATTESA)」シリーズとした。「アーバンATTESA」シリーズは「SSS ATTESA」に標準のリヤビスカスLSDがオプションであった。前期ではCA18i(88ps)、後期ではSR18Di(115ps)に設定。北米市場ではセダンが1990年-1992年と短命ながらもスタンザとして販売されていた。なお、1993年より同市場で発売されているアルティマは後継車種である。このため海外輸出では、セダンの他ハードトップも加わり香港・シンガポールなどといった東南アジア地域に絞られた。

STC-Sus

スーパー・トー・コントロール・サスペンション(STC-Sus)と呼ばれるリヤサスペンションをATTESA車に初採用。サスペンションの型式としては2WD車と同じパラレルリンク式ストラットであるが、ブッシュのたわみを利用して2本の不等長のパラレルリンクとラジアスロッドとが後輪の受ける横力に応じてトーをコントロールすることでコーナーリング性能向上を目指す機構であった。HICASを積極的・能動的な四輪操舵とするならば、いわば受動的な四輪操舵機構であり、開発テーマの一つ「アコースティックな走り」実現に寄与していた。U13型では2WD車にも拡大採用されたものの、同時期のプリメーラでは採用しておらず、その後採用した車種はない。FF車のリヤサスペンションがマルチリンクビーム式やトーションビーム式が主流となり、独立懸架式はW11型アベニール以降マルチリンク式となったことや、機構としてブッシュの劣化に伴う性能維持に難があること等が理由と思われる。

SSS-R

ラリー競技参加を主眼として、ラリーバージョンの「SSS-R」を設定。オーテックジャパンが開発し、日産自動車で製造、NISMOで販売された。「ATTESA」を搭載したフルタイム4WD セダン1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDを基本としており、エアインテークが設けられた専用エンジンフードが外観上の特徴。国内JAF競技用ベース車という性格からロールバーが標準装備であり、トランスミッションもクロスギヤレシオ化されている他、様々なラリー用オプションがNISMOから用意された。エンジンは、ベースとなったCA18DETにチューニングを施したCA18DET-Rを搭載。CA18DET-Rは、A/Rを標準車の0.64から0.89の高速高出力型としたギャレット製T25型タービンを採用、圧縮比を標準8.5から8.0に下げて最大過給圧を600mmHg(レギュラー使用時500mmHg)から690mmHgまで上昇させることで、標準175ps/23.0kg·mに対して185ps/24.5kg·mの出力を誇った。また、カムのオーバーラップ増やステンレスエキゾーストマニホールド、コスワース社製の専用鍛造アルミピストンの採用など、特筆すべき点が多い。ボディタイプは4ドアセダンのみ。定員2名(後に定員4名仕様追加)。価格は東京地区標準275万円。競技車両としての使用を前提としていたため、保証が標準車と一部異なる他、装備内容も最廉価グレード1600LEとほぼ同等まで省略されている。外観では、コーナーリングランプがないため1600LEと共通(ブラックアウト処理)となっている一方で、1600LEでさえも標準のフェンダーマーカーの点灯機能が省略されていた他、定員4名仕様車の後席座面等、標準車と異なった部品が用いられていた。受注生産車として月産10台程度販売された。後期SSS-Rの販売台数は前期に比べてもごくわずかで、エンジンは標準車と共通のSR20DET(205ps/28.0kg·m)である。

  • 1987年9月 - 発売。
  • 1988年 - 全日本ラリー選手権Cクラスに参戦し、ドライバーズチャンピオンを獲得。ドライバーは綾部美津夫。
  • 1989年10月 - マイナーチェンジ。リアコンビネーションランプ等内外装変更。軽量ゆえに音振性能が劣っていたCA系エンジン(CA18DET/CA18DE/CA18i)は、後期型より新たに「90'sツインカム」SR系エンジン(SR20DET/SR20DE/SR18Di)に換装された(1600cc車は従来どおりCA16S型エンジン)。
  • 1991年5月 - 4ドアセダンをベースにした独特のスタイルを持つオーストラリア工場製の5ドアハッチバックモデル「ブルーバード・オーズィー(HAU12型)」を発売(尚、U12型はオーストラリアではR31型スカイラインが初代となるピンターラの2代目でもあった)。販売台数は1300台弱と希少である。逆輸入車であるが故に国内仕様と異なる点が多々あるものの、基本的にはFHP10/FHP11プリメーラUK等と同じく国内仕様の部品で流用、あるいはその逆も可能であるが、HAU12の場合、エアコンがオーストラリア現地仕様のために国内仕様の部品では修理ができないのが致命的な違いで、その点で維持していくための事情が大幅に異なっている。

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9代目 U13型系(1991年 - 1995年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ボディタイプは4ドアハードトップと4ドアセダン。ハードトップは側面衝突における安全性を考慮してセンターピラーが付けられ、エレガントなデザインの「ARX」(アークス)となる。セダンはスポーティな「SSS」(スリーエス)、ビジネス向けエコノミーグレードの「EEX」(イーエックス)と後に追加された「ビジネス」が設定された。セダンのデザインは、日本の日産案と日産北米スタジオ(NDI)案が比較され、独特なフォルム(レパードJフェリーのような「尻下がり」型)を持つ北米案が採用された。セダンは全高を高めに取り、室内の広さも当時のクラス最大級を誇るなど居住性が飛躍的に改善されたが、日本国内では全高がやや低く後部座席のヘッドクリアランスに若干難はあるものの、無難なデザインを採用したARXが販売の大半を担う結果となった。なお、セダン・ARX合わせても初代P10型系プリメーラ(先代モデル末期の1990年登場)に販売台数で及ばなかった。駆動方式はFFと4WDのATTESAが設定された。ガソリン2000ccエンジン(SR20DET / SR20DE搭載)車はリアLSDにもビスカスカップリングを用いており、SSSリミテッドアテーサにはフロントにもビスカスカップリングを用いた新システムの「トリプルビスカス」が採用された。装備はハイマウントストップランプが全車標準装備となったほか、上級グレードの「ARX-Z」には運転席SRSエアバッグを採用(後に全車標準装備)。車内に取付けたマイクで集音した波形と逆位相の波形を専用スピーカーから送出して車内騒音を軽減させるANC:アクティブノイズコントロール、先行してS13型シルビアに採用されていたフロントウィンドウディスプレイ(フロントウィンドウに速度・ブレーキ警告・ドア警告を表示させる)などがあった。4ドアセダンは「アルティマ」の名称で北米でも販売され、国内モデルよりも車幅が広く、細部が異なっていた。中国の東風汽車有限公司でも中国国内にシルフィが投入されるまで生産された。また、4ドアハードトップは、香港に2000ccモデルのみ輸出。

  • 1991年9月24日 - U13型系を発表。
  • 1993年8月24日 - マイナーチェンジで後期型に移行。セダン、ハードトップ共にフロントグリルやバンパー等のデザインを変更。ARXにスーパーツーリング系を追加設定。SSS系はリアスポイラーの形状変更。装備では車速検知式集中ドアロックや足踏み式パーキングブレーキ等を新たに採用。また、輸出用の2400ccKA24DE型エンジンを搭載したSSS-ZとARXスーパーツーリングZを新設定。ブルーバードの史上初にして唯一の3ナンバー車。
  • 1995年1月 - 一部改良。運転席SRSエアバッグとグリーンガラスを全車標準装備化。また、ABSをオプション扱いで設定。外装色追加、内装のシートとトリムクロスを変更。ARX1800ccシリーズにSVを設定。SSS-Zを廃止。
  • 1995年12月 - U14型へのモデルチェンジにより販売終了。
  • 2002年6月 - 第7回北京国際モーターショーにて、U13型系4ドアセダンをベースとする「ブルーバード フラッグシップモデル」を発表。中国風神汽車がライセンス生産し、同年7月発売。中国市場での名称は「藍鳥」。

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10代目 U14型系(1996年 - 2001年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 主に日本国内ユーザーの要望で、箱型のオーソドックスなスタイルとなった。ボディタイプはセダンのみで、長年ラインナップされていた4ドアハードトップは消滅した。テレビCMには、当初常盤貴子蟹江敬三が起用された。P11型系プリメーラとプラットフォーム[注 23]を共用したため、先代モデルに対し全長、およびホイールベースはそれぞれ20mm短縮され若干ダウンサイジングされた。グレード構成はスポーティな「SSS」系と、フォーマル / ファミリー向けの「ルグラン(FF車のみ)[注 24]」「XE/FE」を設定。後に2000ccディーゼル車と1800ccガソリン車に「エプリース」を追加。トランスミッションは当初5速フロアシフトとOD付き4速ロックアップATを設定。後に耐久面で定評のあるトルクコンバーターを組み合わせたマニュアルモード付きのハイパーCVT-M6、ハイパーCVT、電子制御AT「E-ATx」を追加した。装備面では、運転席と助手席のデュアルSRSエアバッグを全車に標準装備。警察の捜査用覆面パトカーとして大量に導入された。

  • 1996年1月8日 - U14型系を発表。
  • 1996年8月 - オプション設定だったABSを全車標準化。
  • 1997年9月1日 - 一部改良および小変更。パルサーで採用されたNEO VVLエンジンの2000cc版、190馬力のSR20VEを搭載したホットモデル「2.0 SSS-Z」が設定された。トランスミッションはマニュアルモード付きのハイパーCVT-M6のみ。2000ccガソリンFF車のOD付き4速ロックアップATが、ハイパーCVTに変更される。シリーズ全体で外観の小変更(フロントグリル形状など)を行い、内装の「インナーグリーン」化などを行った。
  • 1998年9月1日 - マイナーチェンジ。内外装の小変更が行われた。全車にマルチリフレクタータイプのヘッドランプが採用され、ブルーバードのエンブレムを、ボンネット前端部からフロントグリル中心部に変更。1800cc 2WD車のエンジンを、SR18DE型からQG18DE(NEO)型リーンバーンエンジンへと変更、新開発フルレンジ電子制御AT「E-ATx」と組み合わせた。又、新開発のNEO Di直噴ガソリンエンジンQG18DD型にハイパーCVTを組み合わせたモデルも1.8SSS / ルグランに設定した。直噴式とすることで、標準モデルよりも燃費トルクに優れる。1800cc 4WD車(1.8SSSアテーサ/エプリースアテーサ)は、SR18DEを継続した(従来のOD付き4速ロックアップATのまま)。2000ccのSSS系グレードにマニュアルモード付きのハイパーCVT-M6が搭載された。
  • 1999年10月4日 - ブルーバード生誕40周年記念車「1.8L 40th ANNIVERSARY」、「2.0L 40th ANNIVERSARY」を発売。それぞれ2.0SSS、1.8エプリース/エプリースアテーサをベース車とし、専用車体色としてホワイトパールを設定。
  • 2000年8月30日 - B15型サニーと車台(日産・MSプラットフォーム)を共用するG10型ブルーバードシルフィ登場。当初U14型ブルーバードと並売する形をとった。
  • 2001年8月 - 生産終了。車格は異なるものの、ブルーバードの商標は2012年11月まで販売された2代目モデル(G11型)までのブルーバードシルフィに継承された。

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車名の由来

メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなむ。古来より欧米では青い鳥は「幸せの青い鳥」として幸福の象徴とされてきた。当時の川又克二社長によって命名された。当初は「スノーバード(ユキホオジロ)」と命名されるはずだったが、これがアメリカの俗語で「麻薬常習者」を意味していたため、改名せざるを得なかったと言う逸話がある。もっともアメリカ市場では単に「ダッツン」の名で販売された。また、2代目以降のスポーツグレードに与えられる「SSS」とは「Super Sports Sedan」の頭文字を取ったものである[注 25]

自動車運搬船

日産自動車の対米輸出が増加しつつあった1960年代、日産が発注した自動車運搬船にもBluebirdの名が冠せられた。Bluebirdは1968年-1981年の間、主に北米航路を中心に日産が製造した普通自動車の輸送に当たった。

脚注

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注釈

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出典

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関連項目

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外部リンク

テンプレート:NISSAN Timeline(初期) テンプレート:1980-1999 NISSAN Timeline テンプレート:NISSAN Timeline

テンプレート:自動車
  1. 新型「シルフィ」を発売 - 日産自動車プレスリリース 2012年12月5日
  2. テンプレート:Cite book
  3. 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite book
  4. 810型、910型、U11型開発主管の石川康雄の談。廃車までの走行距離が数十万kmに達するタクシーでは、クラッチ板交換の回数も自家用車に比して格段に多くなる。


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