日吉大社

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摂社樹下神社拝殿(右)と東本宮拝殿(左奥)両宮の参道は直交している。
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東本宮 本殿(国宝)西本宮本殿と異なり、隅柱上のみに舟肘木を置く。

日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。西本宮東本宮を中心に400,000m²の境内を持つほか、神の使いとする。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦は「ひよし」を正式の読みとしている[1]

祭神

2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。

本宮
5摂社
  • 牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
  • 樹下宮:鴨玉依姫命
  • 三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
  • 宇佐宮:田心姫神
  • 白山宮:菊理姫命

歴史

文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見だが、これは、日吉大社の東本宮の祭神・大山咋神について記したものである[2]。日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山のことである。日吉大社は、崇神天皇7年に、日枝山の山頂から現在の地に移されたという[2]

また、日吉大社の東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂の磐座を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。なお、三宮神社に対する里宮は樹下神社である。

西本宮の祭神・大己貴神については、近江京遷都の翌年である天智天皇7年、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという[2][3]。以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。

平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。神階としては、元慶4年、西本宮の祭神が、寿永2年、東本宮の祭神が、それぞれ正一位に叙せられた[2]。『延喜式神名帳』では名神大社に列格し、さらに長暦3年、二十二社の一社ともなった[2]

最澄比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のものである。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建され、現代の天台教学が成立するまでに、与えた影響は大きいとされる[2]

元亀2年(1571年)、織田信長比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年から再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した[2]。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためである。

明治に入ると神仏分離令により、仏教色が廃された。また、本来の形に戻すとして、東本宮と西本宮の祭神を入れ替えて西本宮の大山咋神を主祭神とし、大物主神を祀る東本宮は摂社・大神神社に格下げした。明治4年、官幣大社となった[2]。昭和3年、東本宮・西本宮ともに官幣大社となり、元の形に復した[2]

2006年(平成18年)6月7日歴史的風土特別保存地区に指定された[4]

山王信仰

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境内

かつては境内108社・境外108社と言われていた。以下に示す21社は主なものであり、山王二十一社と総称される。旧称は江戸時代までの神仏習合時代の名称である。東本宮境内の各社は、「大山咋神の家族および生活を導く神々」と説明されている。

社格 社名 祭神 旧称 本地 所在地
上七社
(山王七社)
本宮 西本宮 大己貴神 大宮(大比叡) 釈迦如来
本宮 東本宮 大山咋神 二宮(小比叡) 薬師如来
摂社 宇佐宮 田心姫神 聖真子 阿弥陀如来
摂社 牛尾神社 大山咋神荒魂 八王子 千手観音 八王子山頂
摂社 白山姫神社 白山姫神 客人 十一面観音
摂社 樹下神社 鴨玉依姫神 十禅師 地蔵菩薩 東本宮境内(妃)
摂社 三宮神社 鴨玉依姫神荒魂 三宮 普賢菩薩 八王子山頂
中七社 摂社 大物忌神社 大年神 大行事 毘沙門天 東本宮境内(父)
末社 牛御子社 山末之大主神荒魂 牛御子 大威徳明王 牛尾神社拝殿内
摂社 新物忌神社 天知迦流水姫神 新行事 持国天または吉祥天 東本宮境内(母)
末社 八柱社 五男三女神 下八王子 虚空蔵菩薩 東本宮参道
摂社 早尾神社 素盞嗚神 早尾 不動明王 境内入口附近
摂社 産屋神社 鴨別雷神 王子 文殊菩薩 境外・止観院の附近
末社 宇佐若宮 下照姫神 聖女 如意輪観音 宇佐宮境内
下七社 末社 樹下若宮 玉依彦神 小禅師 竜樹菩薩または弥勒菩薩 東本宮境内(子)
末社 竈殿社 奥津彦神・奥津姫神 大宮竈殿 大日如来 西本宮境内
末社 竈殿社 奥津彦神・奥津姫神 二宮竈殿 日光月光 東本宮境内
摂社 氏神神社 鴨建角身命・琴御館宇志麿 山末 摩利支天 東本宮参道
末社 巌滝社 市杵島姫命・湍津島姫命 岩滝 弁財天 東本宮参道
末社 剣宮社 瓊々杵命 剣宮 倶利伽羅不動 白山姫神社境内
末社 気比社 仲哀天皇 気比 聖観音菩薩または大日如来または阿弥陀如来 宇佐宮境内

主な祭事

  • 大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される[2]。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる[2]
  • 山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ[2]。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという[2]
  • 山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる[2]。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる[2]
  • みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる[2]。下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる[2]。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる[2]
  • もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。

文化財

国宝

  • 西本宮本殿 - 1586年天正14年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。
  • 東本宮本殿 - 1595年文禄4年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。

重要文化財(国指定)

以下の建造物は東照宮(江戸時代の建立)を除いて安土桃山時代の建立である。

  • 西本宮拝殿
  • 西本宮楼門
  • 東本宮拝殿
  • 東本宮楼門
  • 日吉三橋(大宮橋、走井橋、二宮橋) - いずれも石橋である。
  • 摂社宇佐宮本殿 - 西本宮本殿、東本宮本殿と同様、屋根は日吉造である。
  • 摂社宇佐宮拝殿
  • 摂社樹下神社(じゅげじんじゃ)本殿 - 樹下神社は東本宮と同じ敷地にあり、東本宮の参道と樹下神社の参道が直角に交わる、特異な配置になっている。
  • 摂社樹下神社拝殿
  • 摂社白山姫神社本殿
  • 摂社白山姫神社拝殿
  • 摂社牛尾神社本殿 - 牛尾神社と三宮神社は八王子山に位置し、拝殿は懸崖造になっている。
  • 摂社牛尾神社拝殿
  • 摂社三宮神社本殿
  • 摂社三宮神社拝殿
  • 末社東照宮本殿・石の間・拝殿、唐門、透塀(日吉東照宮参照)
  • 日吉山王金銅装神輿 7基

史跡(国指定)

  • 日吉神社境内

指定解除された文化財

  • 東照宮橋(石橋) - 旧国宝建造物。昭和10年(1935年)6月29日、水害で流出し、指定解除された。

現地情報

所在地
交通アクセス

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脚注

  1. 「日吉」の読みについては以下による。
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 日吉大社(滋賀県神社庁)
  3. 現在の西本宮の祭神は大己貴神(大国主神)であるが、奈良の大神神社の祭神は大物主神である。これは大国主神の和魂が大物主神であると日本神話に書かれており、両神が同じ神とみなされるためである。
  4. 国土交通省・歴史的風土保存区域及び歴史的風土特別保存地区指定状況

関連項目

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外部リンク


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