徳山市

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徳山市(とくやまし)は、山口県の東部にかつてあった

2003年4月21日新南陽市熊毛郡熊毛町都濃郡鹿野町と合併し、新たに周南市となり消滅した。周南市の中核を成す地域でもあり、現在の周南市の施設の大半は旧徳山市の施設を使っている。

地理

瀬戸内海周防灘)に面しており、一部は中国山地まで地域が広がっている。瀬戸内海沿いの地域は温暖で降雪も少ないものの、北部の須々万(すすま)・須金地区は冬期の積雪が見られる。

また、瀬戸内海に浮かぶ大津島も徳山市の市域であった。

波穏やかで水深のある徳山湾は天然の良港で、戦前には日本海軍燃料廠が置かれ、戦艦大和の沖縄特攻作戦にあたり本土最後の燃料補給地となった。

歴史

  • 1935年(昭和10年)10月15日 都濃郡徳山町の市制施行により徳山市(初代)発足。
  • 1942年(昭和17年)4月1日 都濃郡加見村・久米村を徳山市に編入。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 徳山市と都濃郡櫛浜町・富田町・福川町・大津島村・夜市村・戸田村・湯野村が合併し、徳山市(2代)が発足。
  • 1949年(昭和24年)8月1日 富田町が徳山市から分立(後の新南陽市の一部)。
  • 1949年(昭和24年)9月1日 福川町が徳山市から分立(後の新南陽市の一部)。
  • 1955年(昭和30年)10月1日 都濃郡向道村を徳山市に編入。
  • 1966年(昭和41年)1月1日 都濃郡都濃町を徳山市に編入。
  • 2003年(平成15年)4月21日 周辺の1市2町と共に周南市に移行(新設合併)しそれに伴い徳山市が廃止。

地域

瀬戸内海に面した中心市街地と、北部(須々万・須金・向道)地域、西部(戸田・夜市(やじ))地域に大分される。

中心市街地周辺は日本海軍燃料廠に由来する石油精製業を中心とした重化学工業で栄える。また地理的に山口県東部(周防地域)のほぼ中央に位置していることから、周防地域の中心的な都市でもあった。

北部・西部地域は典型的な中山間地域であり、特に西部地域は新南陽市の大部分を間に挟む地域であったことから、中心地域との結びつきはさほど強くなかった。

教育

高等学校

公立高等学校

私立高等学校

高等専門学校

大学

文化

民間放送である山口放送(テレビ・ラジオ兼営)が徳山市に本社を置いており(現在も周南市に本社がある)、周南地域の情報を取り上げることが多い。

交通

道路

高速道路

国道

鉄道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

出身者

外部リンク