張誌家

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テンプレート:Infobox baseball player テンプレート:中華圏の人物 張 誌家(チャン・ズージャ、1980年5月6日 - )は、台湾台中市出身の元プロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

来歴

2001年に開催されたIBAFワールドカップ・3位決定戦で、日本代表を5安打完封して注目を集め、2002年読売ジャイアンツとの争奪戦の末西武ライオンズに入団。公式には発表されていないものの、ベースボール・マガジン社が発行するトレーディングカードの記述によれば10年契約であったという。

入団1年目に10勝を挙げた他、国際大会ではチャイニーズタイペイ代表として活躍。2003年札幌ドームで行われたオリンピック予選で韓国中国を抑えてアテネオリンピック出場を決めた。2004年のアテネオリンピックにも出場し、カナダイタリア戦で先発した。しかしその後は、台湾チーム敗退後に日本に戻らずバカンスに興じていたこともあり、以後精彩を欠く事となってしまう。

2005年は肩の故障もあり、来日初の一軍未登板に終わった。復活を期した2006年のシーズンだったが、直球のMAXが130km/hを切るなど全盛期の球威が戻らず、2年続けての一軍登板なしに終わる。そして同年9月30日、契約期間を残したまま球団から翌年の契約を結ばないことが発表された。

2008年の5月に、中華職業棒球大聯盟La Newベアーズに入団。かつてほどの球威はないものの、先発投手として復活を果たしつつあった。

2009年10月、台湾プロ野球界の長年の問題である「放水(八百長)」問題で事情聴取を受けたが、容疑を否認。長期間の拘束を免れるため、保釈金を支払い、La Newは12月15日付で張を解雇した。

2010年2月10日、台湾検察当局は張誌家ら選手監督7人を含む24人を賭博罪、詐欺罪で起訴した。張誌家は懲役2年を求刑された[1]

2014年の8月、八百長の件で有罪になった。

人物

台湾ではその傑出した才能から大きな注目を集め、テレビCM出演から歌手デビューまで果たすというアイドル的存在。しかしその実力の裏には幼少期からの厳しい指導による練習があり、彼の父親は厳父として「台湾版巨人の星」と比喩されるほどであるという。

なお背番号の99は、中国語の「久久」(永遠に)になぞらえて本人が希望した数字であり、長く野球をやりたいという気持ちが込められている。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 太陽 5 5 3 1 -- 3 2 0 0 .600 152 39.0 29 2 4 0 0 50 0 0 9 7 1.61 0.82
テンプレート:By2 西武 19 16 3 1 0 10 4 1 2 .714 467 116.1 81 18 38 1 4 121 2 0 39 35 2.71 1.02
テンプレート:By2 22 21 1 1 0 7 7 0 1 .500 551 124.2 133 14 53 0 5 112 6 1 72 69 4.98 1.49
テンプレート:By2 22 21 3 2 0 9 8 0 1 .529 631 146.0 137 22 57 1 10 119 5 0 67 60 3.70 1.33
テンプレート:By2 La New 22 13 0 0 0 3 4 0 5 .428 333 75.0 80 5 29 0 4 60 1 0 41 32 3.84 1.50
テンプレート:By2 26 19 0 0 0 10 9 0 0 .526 587 135.2 145 10 51 0 3 94 4 1 70 65 4.31 1.44
TML:1年 5 5 3 1 -- 3 2 0 0 .600 152 39.0 29 2 4 0 0 50 0 0 9 7 1.61 0.82
NPB:3年 63 58 7 4 0 26 19 1 4 .578 1649 387.0 351 54 148 2 19 352 13 1 178 164 3.81 1.29
CPBL:2年 23 16 0 0 0 13 13 0 5 .500 920 210.2 225 15 80 7 0 154 5 1 111 97 4.14 1.46

表彰

記録

NPB

背番号

  • 99 (2002年 - 2006年、2008年 - 2009年)

関連情報

音楽

2002年4月、台湾・GMMからアルバム『It's my war』をリリースした。

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. [1] スポーツ報知(リンク切れ)