岡本大八事件
岡本大八事件（おかもとだいはちじけん）は、慶長14年（1609年）から慶長17年（1612年）にかけて発生した江戸時代初期の疑獄事件。
事件の内容
発端
慶長14年2月、ポルトガル領のマカオに寄港した有馬晴信の朱印船の水夫が、酒場でポルトガル船であるマードレ・デ・デウス号の船員と些細なことから口論、そして乱闘となって、晴信側の水夫60名ほどが殺害され、積荷まで略奪されるという事件が起こった。この事件に晴信は激怒し、直ちに徳川家康に長崎に寄港してくるマードレ・デ・デウス号への報復の許可を願い出た。家康はこれを放置しておけば、日本の国家権威が甘く見られると判断して即座に晴信に報復するように命じた。そして晴信は同年12月12日、マードレ・デ・デウス号を包囲攻撃し、3日後には沈没させてしまったのである（ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件）。そしてこの時、晴信の報復処置への目付役として同行していたのが、家康の側近・本多正純の与力である岡本大八であった。
晴信の報復処置は、大八の報告によって正純を通じて家康に伝えられ、家康は晴信を激賞した。晴信は有名なキリシタン大名であり、実は大八もキリシタンだった。その関係から晴信は大八を饗応したのであるが、この時、大八が晴信に「旧有馬領であったが、今は鍋島氏の所領となっている藤津・杵島・彼杵三郡を家康が今回の恩賞として晴信に与えようと考えているらしい」という虚偽を囁いたという。晴信としては旧領の回復は悲願である。大八の主君・正純は家康の側近中の側近であり、正純が家康に働きかけてくれれば、旧領の回復は間違いないと思い込んでしまったのである。そして晴信は大八に金品を渡すとともに、正純に家康へ働きかける運動資金として、大八を通じて金銀を提供したのである。しかし大八はこれらを全て自分の懐に入れていたのであった。
しかも大八は、晴信に家康の朱印状まで偽造して渡し、その見返りとして更なる運動資金の提供を求めた。その結果、晴信は6000両にも及ぶ金銀をつぎ込んだ。しかしそれも大八は全て懐にしまい込み、有馬氏の旧領回復運動の資金として遣うことは無かった。
発覚と対決
時間が経てども旧領を与えるという恩賞の通達が来ないことに業を煮やした晴信は、遂に直接正純に面会し、恩賞を催促したのである。当然、正純は何も知るはずも無く、晴信の訴えを聞き驚愕した。直ちに与力の大八を呼びつけて詰問したが、大八はシラを切り続けた。晴信の嫡男・有馬直純は家康の外曾孫・国姫（松平信康の孫娘）の婿に当たるという経緯から、正純は独断で大八を処分することもできず、結局、家康に申し出て、裁決を仰いだ。それが慶長16年（1611年）末のことである。
家康もこの事件に驚愕し、駿府町奉行であった彦坂光正に事件の経緯を調査させるとともに、慶長17年2月23日に大八を逮捕するに至った。大八は家康の朱印状を偽造し、なおかつ賄賂を受け取っており、極刑は明らかであった。大八は処刑されるならば有馬晴信も道連れにするべく途方も無いことを言い出した。晴信が旧領の回復を策した上に、長崎奉行である長谷川藤広の暗殺を目論んでいたと家康に吹聴したのである。藤広は家康の愛妾・於奈津の兄であり、家康お気に入りの側近の1人であった。これが事実なら、晴信も大八と同じく極刑は免れない。そして、正純と大久保長安の立会の下で、慶長17年3月18日、大久保長安邸にて大八と晴信の直接対決を命じたのである。
ただ、晴信にも失敗があった。ポルトガル船のマードレ・デ・デウス号を撃沈する際に3日間を要したが、この時に長崎奉行の長谷川藤広も大八と同じく目付として晴信に付き従っていたのである。藤広は晴信が時間を掛けてポルトガル船を撃沈しようとしたため、晴信のやり方は手ぬるいと批判したのである。これを漏れ聞いた晴信は激怒し、怒りのあまり「ポルトガル船を撃沈したら、次は藤広を海の藻屑にしてやる」と口走ったのである。これを聞いた大八は、晴信が藤広を殺そうとしている証拠として訴えたのである。晴信は潔白を主張したが、度重なる尋問に及んで遂に藤広殺害を企んだと認めるに至ってしまった。
「十八日、先に獄に下されし岡本大八。再び有馬修理大夫晴信が悪事を訴ふ。よて大八を引き出し、大久保石見守長安がもとに於て。晴信と対決せしむる所に晴信詞掘す」『徳川実紀』
裁決
対決の結果、裁決が下された。大八は家康の朱印状偽造から3月21日、駿府市中を引き回しの上で、安倍川の河原において火刑に処された。晴信は藤広殺害計画と勝手に旧領回復を策した不届きを咎められて、3月22日に甲斐国郡内に流罪に処された。これにより晴信の所領である島原藩（日野江）4万石は改易のうえ没収となったが、晴信の嫡男・直純は、父と疎遠であること、家康の外曾孫を娶って家康に近侍していたことなどが考慮されて、有馬氏の家督と所領の相続が認められたのである。
甲斐国に流罪となった有馬晴信であったが、後に切腹を命じられた。同年5月7日、配所においてキリシタンゆえに自害を拒み、家臣に首を切り落とさせ、46歳でその人生を終えた。
影響
当時、幕府内では大久保忠隣とその与力ともいえる大久保長安を中心とした武断派と、本多正信・正純父子を中心とした文治派に分裂して激しい権力闘争を繰り広げていた。両派の力関係は互角であったが、大八が賄賂で晴信から騙し取った金品が6000両という莫大な金額だったために、正純が裏で手を引いていたのではないかという風聞が世間で流れ、正純はこの頃から次第に幕閣内で孤立を深めていく。これが後に正純が宇都宮城釣天井事件で改易される遠因に繋がったのである。
また、この事件により本多親子を中心とした文治派は一時衰退し、武断派が幕府内での実権を握るようになった。しかし慶長18年（1613年）の「大久保長安事件」を契機に再び力関係は逆転することになるのである。
なお、キリシタンである岡本の自白により家康の身辺にも多数のキリシタンが潜伏していたことが発覚し、原主水は駿府を追放、ジュリアおたあは伊豆大島に流罪になった。
