山形銀行

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テンプレート:基礎情報 銀行 株式会社山形銀行(やまがたぎんこう The Yamagata Bank, Ltd.)は、山形県山形市に本店を置く中堅の地方銀行

山形市、米沢市など山形県の内陸部を主要地盤とする県トップバンク。

マスコットキャラは手塚治虫作「ジャングル大帝」の主人公レオ

経営

経営陣

創業に参画した山形市北の素封家であった三浦家と、紅花商人であった長谷川家による同族経営が現在まで連綿と続いており、頭取人事は、基本的に両家による輪番制となっている。

他行との関係

メガバンク
三菱UFJフィナンシャル・グループが親密先であり、また、国際業務分野で業務提携を締結している。好日会会員行でもある。
地方銀行
七十七銀行との共同事業が見られる。共同で食品メーカーを集めた商談会や「自動車関連産業参入支援セミナー」を開催したほか、「アグリビジネスセミナー」も開催している。また、お互いの銀行ATMの利用手数料割引や無料化が行われている。
信用金庫
山形信用金庫と提携趣意書を取り交わし、共同の商談会やセミナーの開催や協調融資などに取り組んでいる[1]

沿革

歴代頭取

氏名 期間 備考
1 池田成章 1896年4月 - 1907年1月 米沢藩官僚 子息に池田成彬
2 三浦権四郎 1907年1月 - 1913年1月 旧名・文助 1854年生 1930年没 山形瓦斯初代社長 山形市出身
3 長谷川吉三郎 1913年1月 - 1916年7月 1865年生 1933年没 私財を提供し山形商業学校を設立 山形市出身
4 香坂駒太郎 1916年7月 - 1922年1月 1858年生 1923年没 東京専門学校卒 元大審院判事 米沢市出身
5 林鉄太郎 1922年1月 - 1924年7月 1857年生 1924年没 行員出身初の頭取 山形市出身
6 三浦権四郎 1924年7月 - 1925年1月 再登板
7 長谷川平内 1925年1月 - 1928年8月 旧名・元七 1853年生 1930年没 高畠町出身
8 長谷川吉三郎 1928年8月 - 1929年1月 再登板
9 三浦新七 1929年1月 - 1935年10月 東京商科大学(現・一橋大学)元学長
10 長谷川吉三郎 1935年10月 - 1957年10月 旧名・吉弥 1889年生 1967年没 県立米沢工業学校卒 山形市出身
11 三浦弥太郎 1957年10月 - 1972年4月 1903年生 1978年没 福島高商卒 山形市出身
12 長谷川吉郎 1972年4月 - 1985年6月
13 三浦新 1985年6月 - 1993年4月 旧・三菱銀行出身
14 丹羽厚悦 1993年4月 - 2005年6月
15 長谷川吉茂 2005年6月 - 旧・住友銀行出身

店舗政策

県外店舗

仙台圏
仙台支店は、県内3行中最古である1960年(昭和35年)10月に開設された。多店舗展開の取り組みも3行中最古であり、その嚆矢として1973年(昭和48年)12月には、宮城野支店(若林区)が開設された。また、3店目として南光台支店(泉区)が1976年(昭和51年)10月に開設され、さらに1990年(平成2年)9月には泉崎支店(太白区)が開設されている[2]
近年は、他の地銀同様に仙台圏強化に取り組んでおり仙台支店内には法人営業部が設置されているほか、宮城野区ジャスコ仙台幸町店(現・イオン仙台幸町店)内にインストアブランチ(通称・レオのやまぎんプラザ)が2003年(平成15年)11月に開設されたが、こちらは2009年(平成21年)11月20日を以て営業を終了し母店である仙台支店が業務を継承した。
2008年(平成20年)10月1日には、18年ぶりに仙台市内に新店舗である泉中央支店を開設した。発展めざましい仙台市北部近郊の拠点として、法人と個人両様のフルライン店として業務を行うほか、コンサルティング業務は祝日を除き土日営業を行うとしている。
東京支店
東京支店は、1898年(明治31年)10月、日本橋に開設された。これは、東北の地銀界では七十七銀行に次ぐ2番目の東京進出であり、店歴を誇っている。
支店開設の目的としては、日清戦争後の経済の勃興に即応することや中央市場との連携強化を深めることにおかれた。開設後には、順調に業容を拡大させるも第二次世界大戦終戦直前である1945年(昭和20年)6月、各地方銀行東京支店が地銀統制会から、空爆により焦土化した東京より引け揚げる旨を指示された為、やむなく閉鎖となってしまう[2]
戦後1949年(昭和24年)には、取締役会において復活の決議を行うも、大蔵省GHQの認可がなかなか下りなかったため、営業再開となったのは、1952年(昭和27年)に入ってからのことであった。そして、1962年(昭和37年)には東京支店ビル建設を目的とした両銀不動産を設立。2年後には地下2階、地上10階の「両銀ビル(現・山形銀行ビル)」が竣工。現在に至るまで東京支店が所在する[2][注 1]
本荘支店
本荘支店(秋田県由利本荘市)は、1890年(明治23年)7月5日設立の本荘銀行をその起源とする。設立当初は、本荘周辺における唯一の銀行として運営されていたが、日露戦争後の放漫経営による不良債権の増加と背任事件の発生から、取り付け騒ぎが生じてしまい大蔵省より預金受け入れ停止命令を受け休業となってしまった[2]
その後、本荘の有力者の間で再建の機運が高まり両羽銀行へ救済を願い出ることとなった。そこで、同行は支援体制に入ることとし由利銀行への称号変更、同行経営陣による増資の引受け、香坂駒太郎同行頭取の頭取兼任等の施策を講じ1920年(大正9年)には、大蔵省から預金受け入れ停止命令解除の受け、営業再開となった。このような紆余曲折を経て、1926年(大正15年)7月15日には、同行との合併がまとまり、同行本荘支店となり数度の移転や改築を経て、1994年(平成6年)7月には、現在地に新築移転をし今日に至っている[2]
なお、この経緯から現在の由利本荘市の指定金融機関は、山形銀が担うものと看做されかねないが、合併前の旧本荘市時代から秋田しんせい農業協同組合が指定されている[3]
その他県外店舗
1970年(昭和45年)代には地域開発や経済の広域化が進行してきた。それに対応するため、1970年(昭和45年)3月には郡山支店、1971年(昭和46年)5月には宇都宮支店、そして、1973年(昭和48年)4月には大宮支店が開設された[2]
かつて開設されていた県外店舗
かつて開設されていた札幌支店は1987年(昭和62年)9月12日新潟支店は、1991年(平成3年)11月11日に、秋田支店は2000年(平成12年)にそれぞれ採算性等の問題から廃止となった[2]

県内店舗

県内総店舗の内過半数を村山置賜地区に開設している。

2014年(平成26年)秋、土地区画整理事業が進展中で、量販店の集積の進む天童市芳賀地区に新店舗を開設する[4]

法人市場対策

2007年(平成19年)に情報開発部(現在は地域振興部と改称)を新規に設置し、産学連携の強化をはかるとともに、山形大学工学部、同農学部、鶴岡工業高等専門学校東北芸術工科大学と産学連携協定を締結している。翌年には、東北公益文科大学とも産学連携協定を結び、地域情報化研究会(仮称)を設立。諸問題について解決を図るべく、お互いに協力していくことで一致をした。

また、山形県企業振興公社との共催でビジネスマッチングフェアを開催したほか、山形市、山形大学工学部、米沢工業会と共催で産学連携交流会を開催もした。そのほか営業企画部が営業店との協働でPFIや、ABLにも取り組んでいる。

企業支援団体
日経BP社が展開する日経ベンチャー経営者クラブ (NVC) と提携し、やまぎん日経BP経営者クラブを結成している。また、県内リーディング企業の異業種交流の場として、山形企業経営研究会(YES)を発足させている。
市場誘導業務
野村證券大和証券三菱UFJ証券新光証券、有限責任あずさ監査法人と業務提携し、取引先企業に対する株式公開に至るまでのサポートを行っている。また、野村證券とは「コモディティ・デリバティブ」媒介業務取扱いにかかる業務提携も締結している。

地方公共団体取引

山形県指定金融機関であり[5]山形市米沢市新庄市など県内陸地方における過半の自治体の指定金融機関を受託している。また、三菱東京UFJ銀行とともに県と連携協力協定も締結している[6]

個人市場対策

インターネットバンキング
個人顧客向けに、「ネットバンク」を提供している。同サービスは、パソコンと携帯電話で24時間365日どこからでも取引できるサービスである。
ICキャッシュカードと生体認証
2007年(平成19年)2月より、ICチップ搭載のICキャッシュカードの取り扱いを開始し、6月からは、「指静脈」による生体認証を開始した。
クレジットカード提携 キャッシュカード一体型
  • ハイブリッドJCBカード、ハイブリッドJCBゴールド、ハイブリッドJCB LINDA やまぎんカードサービス
  • ハイブリッドDC VISA/Master、ハイブリッドDCニューズ VISA/Master ハイブリッドDCゴールド VISA/Master
  • ハイブリッドDCゴールド(ヴァン)VISA/Master(ハイブリッドDCは、すべて指認証機能付)やまぎんカードサービス

看板サイン

同行の各店舗の壁面に掲げられている看板サインは店舗毎によって2種類存在し、1つは青い背景に行章(山形県章をアレンジしたもの)と行名を表記したもの、もう1つは白い背景にサクランボのシンボルマークと行名を表記したものをいずれかを採用している。

情報処理システム

情報処理システムは、八十二銀行のシステムをベースとし、山形銀など地銀7行が参画。そして、日本IBMが運営を司るじゅうだん会を採用する[7][8]

提携ATMサービス(地銀間)

個人・法人カードにて七十七銀行東邦銀行秋田銀行の3地銀とATM相互無料開放が行われ、特に七十七・東邦銀とはMYキャッシュポイントと呼称している。 テンプレート:Main

地域社会に対する貢献

美しい山形・最上川フォーラム
最上川夢の桜街道に協賛し、会費収納の無償受託のほか、多くの行員が個人会員となり運営を支援している。
小さな親切運動
1975年(昭和50年)から小さな親切山形県本部事務局を務め、運営費用の助成や各地区のクリーン作戦への参加などに取り組んでいる。
女子バスケットボールチーム「ライヤーズ
県内唯一の女子バスケットボール実業団チームとして、国体出場による山形県への地域貢献を目標にしている。全国実業団大会では、上位入賞の常連であり、2006年(平成18年)ののじぎく兵庫国体では、ライヤーズ主体の山形県成年女子が県勢初の優勝を果たした。2008年(平成20年)にはアトランタ五輪日本代表の山田かがりがヘッドコーチに就任。全国大会ではいずれも初優勝の三冠を達成した。
山形銀行学事振興基金
1971年(昭和46年)設立。各種教育団体に、教材や器具を寄贈している。また、出前授業による金融教育を県教育庁の協力を得ながら進めている。
さくらんぼギャラリー
本店正面入口に、さくらんぼギャラリーを設け県出身作家、各種団体の作品を随時展示している。
モンテディオ山形とパイオニアレッドウィングス
モンテディオ山形の運営母体である山形県スポーツ振興21世紀協会の会員となり支援しているほか、ユースチームに山形銀グランドを無償で開放している。また、同じく地元チームであるパイオニアレッドウィングスには、多くの行員が個人会員となり支援している。
山形交響楽団友の会
文化活動支援として、山形交響楽団友の会に入会し山響を支援している。
やまぎんホール・やまぎんこども館
2013年山形県県民会館、県こども館のネーミングライツを山形県から取得。今後3年間にわたり、県民会館が「やまぎんホール」、県こども館が「やまぎんこども館」と称されることとなった[9][10]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. ビル1階にはATMコーナーのみが設置され、東京事務所は4階、東京支店は5階に開設されている。

出典

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参考文献

  • 山形銀行百年史編纂部会編 『山形銀行百年史』 山形銀行、1997年(平成9年)。

行史・関連書籍

  • 山形銀行行史編纂委員会編 『山形銀行七十年小史』 山形銀行、1966年(昭和41年)。
  • 山形銀行八十年史編纂委員会編 『山形銀行八十年史』 山形銀行、1981年(昭和56年)。
  • 山形銀行九十年のあゆみ編纂委員会編 『山形銀行九十年のあゆみ』 山形銀行、1988年(昭和63年)。
  • 山形銀行百年史編纂部会編 『回想・わが心の山形銀行』 わが心の山形銀行刊行会、1998年(平成10年)。

関連項目

  • PENGIN2009年〈平成21年〉12月からCMソング「帰り道」が採用されている。)(PENGIN HOME収録曲)

外部リンク

テンプレート:地方銀行

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  1. 「山形銀と山形信金提携 顧客利便向上目指す」 『河北新報』 2008年12月17日
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 『山形銀行百年史』
  3. 「都市別店舗状況 - 秋田県」『日本金融名鑑 2012年版 下巻』日本金融通信社 2011年
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite news
  6. 「三菱UFJと包括協定締結へ 山形銀行と県」 『山形新聞』 2008年11月22日
  7. テンプレート:Cite news
  8. テンプレート:Cite news
  9. テンプレート:Cite web
  10. 「県民会館、名称「やまぎんホール」に 山形銀が施設命名権を取得」『山形新聞』 2013年3月6日