小江戸

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小江戸こえど)とは「江戸のように栄えた町」「江戸時代を感じさせる町」といった意味合いで使われる、都市の比喩的な表現。代表例としては、埼玉県川越市が挙げられる。

定義

現代的定義としてはおおむね、「江戸との関わりの深い町」「江戸の風情を残す古い町並みを残している町」である。古い町並みがいまなお残っている部分については、観光地となっているところもある。「江戸のように栄えている」という意味で使われた。

小江戸サミット

「小江戸」という言葉そのものは以前よりあり、江戸時代から川越は歴史的に繋がりが深く「江戸の文化が真っ先に伝わる繁栄した町」という意味あいで呼ばれていた。しかし、改めて「小江戸」という言葉がクローズアップされたきっかけは、1996年に開催された「小江戸サミット」。この小江戸サミットをはじめたのは、埼玉県川越市栃木県栃木市千葉県佐原市(現香取市)の3市。

  • 第1回小江戸サミット(平成8年:栃木市開催)
  • 第2回小江戸サミット(平成9年:川越市開催)
  • 第3回小江戸サミット(平成10年:佐原市開催)
  • 第4回小江戸サミット(平成11年:東京開催)
  • 第5回小江戸サミット(平成12年:川越市開催)
  • 第6回小江戸サミット(平成13年:栃木市開催)
  • 第7回小江戸サミット(平成14年:川越市開催)
  • 第8回小江戸サミット(平成15年:東京開催)
  • 第9回小江戸サミット(平成16年:栃木市開催)
  • 第10回小江戸サミット(平成17年:川越市開催)
  • 第11回小江戸サミット(平成18年:佐原市開催)
  • 第12回小江戸サミット(平成19年:栃木市開催)
  • 第13回小江戸サミット(平成20年:川越市開催)
  • 第14回小江戸サミット(平成21年:香取市開催)
  • 第15回小江戸サミット(平成22年:栃木市開催)
  • 第16回小江戸サミット(平成23年)は東日本大震災で中止。小江戸3市は「日本橋架橋100周年記念 日本橋お江戸舟運まつり」に和船を派遣し舟運を再現。
  • 第17回小江戸サミット(平成24年:川越市開催)

3市共同で各市の祭りの山車を参加させたり観光宣伝を行っている。

そのほか、千葉県夷隅郡大多喜町神奈川県厚木市静岡県磐田市(旧磐田郡竜洋町)掛塚・滋賀県彦根市なども、小江戸と呼ばれることがある。

日本各地の小江戸

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川越・路地の光景
「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われた。喜多院には江戸城の建物の一部が移築されている。松平信綱柳沢吉保といった江戸幕府の重臣や親藩が藩主を務めた川越藩城下町であり幕府との関係が深かった。川越街道新河岸川の舟運で江戸と深く結びついた。旧市街地北部の7.8ヘクタールの区域が重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。「COEDOビール」など特産品にも小江戸の名が冠される。また西武新宿線本川越~西武新宿間を走る特急『小江戸』も川越に因んだものである。江戸の天下祭の往時の姿をもっともよく伝える川越まつりが行われている。
吹上藩城下町であり(城は持たず、陣屋だったが)、また日光例幣使街道宿場町でもあった。蔵の街としても知られている。全国京都会議にも参加しており、「小江戸」と「小京都」の両方を名乗っているが、小江戸サミット参加以降は「小京都」よりも「小江戸」を観光のキャッチフレーズとして使用することが多い。2年に1度、江戸の祭礼の影響を少なからず受けたとちぎ秋まつりが行われている。
「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」と唄われた。伊能忠敬が商人として活躍していた町であり、利根川水運の拠点のひとつでもあった。小野川沿いと香取街道沿いの7.1ヘクタールの区域が1996年、関東地方で初めて重要伝統的建造物群保存地区として選定された。江戸の影響を多少なりとも受けた佐原の大祭が行われている。
大多喜藩の城下町であり、房総半島横断ルートの拠点のひとつでもあった。商家や蔵などの建物が現存するほか、城下町特有の道路配置なども残されている。
東海道脇往還であった厚木街道の宿場町。「厚木の盛なる、都とことならず」と渡辺崋山が記した。「小江戸あつぎ創造会議」を立ち上げ、小江戸訴求を行っている。
東海道の沿道の町のひとつ(ただし、東海道五十三次には含まれていない)。天竜川の河口に位置しており、東西水運の中継地としても栄え、大都市の文化が持ち込まれた。
彦根藩の城下町として栄えた。「小江戸彦根の城まつり」を開催し、小江戸としてアピールしている。

関連項目

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外部リンク

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