天王町

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テンプレート:Infobox 天王町(てんのうまち)は秋田県中央部に位置する日本海に面していた2005年3月22日飯田川町昭和町との新設合併により潟上市となった。

名称は東湖八坂神社の別名「牛頭天王社」に由来する。

地理

隣接していた自治体

歴史

  • 1870年(明治3年)11月 - 明治天皇治政下に畏れ多いということで、秋田郡天王村を向船越村と改める。
  • 1871年(明治4年)2月 - 向船越村を典農村と改める。
  • 1873年(明治6年) - 大区小区制施行に伴い、典農村は湖西・半島南部の22ヶ村と共に秋田県第1大区8小区に属し、戸長役場は船越村に設置。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い南秋田郡典農村と大崎村が合併し、南秋田郡天王村が発足(旧来からの由緒ある地名の使用が認められた)。旧2村は大字となる。
  • 1893年(明治26年) - 大字典農を旧来の地名に戻し、大字天王と改める。
  • 1961年(昭和36年)11月3日 - 町制施行し、南秋田郡天王町となる。
  • 2005年(平成17年)3月22日 - 飯田川町昭和町合併(新設合併)し潟上市が発足したことにより消滅。

産業

漁業

地域

教育

交通

鉄道

道路

関連項目

その他

合併まで5人の町長が就任したが、3代目、4代目はいずれも任期中に死去しており、4代目、5代目は助役出身者が町長を務めている。5代目町長は、初代潟上市長となった石川光男であり、町職員から4代目町長に請われて助役に就任していた。

特に、4代目町長が死去した当時は、天王町の町長が連続して現職のまま死去(しかも、再選からまだそれほど間もたっていない時期であった)したことに加え、秋田県内の他の市町村でも現職のまま死去ないしは病気理由による辞任直後の死去などが相次いだことから、首長の健康管理面の改善をすべきという報道がなされたことがあった(他に、旧男鹿市でも、佐藤一誠(旧市最後の市長であり、現男鹿市の初代市長)の前任の菅原慶吉も長期入院により辞職表明した直後に死去し、旧能代市宮腰洋逸も辞職後まもなく死去、旧由利町でも町長であった伊東豊和の辞職に伴う町長選挙の投票日にやはり死去している)。

参考文献

外部リンク