堂山町

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堂山町(どうやまちょう)は、大阪市北区にある町名阪急梅田駅南東に位置し、阪急東通商店街の東半分、阪急東中通り商店街、パークアベニュー堂山が街の中心を成し、飲食店などが連なる、北の繁華街の一角を担う。

昼間には、以前ほどではないにせよ、サラリーマンやOLがランチに繰り出し、夜とは全く違った賑わいを見せる。近年では、外国人観光客向けのガイドブックに掲載されるなど、国際的な観光スポットとしても人気を博している。また新宿二丁目のように特化されてはいないものの、西日本最大のゲイ・タウンとしての顔も持ち合わせる(後述)。郵便番号は530-0027。


地理

堂山町は、大阪市北区中央部の町名。北は万歳町中崎西二丁目、東は神山町、南は太融寺町、西は小松原町角田町に囲まれた地域である。町の中心は歓楽街になっており、南端の扇町通り沿いはオフィス街であり、オフィス複合ビルやKKRホテル梅田や大阪東急インなどといったビジネスホテルが軒を連ねる。

北西の端である新御堂筋国道423号)と都島通が交差する堂山町交差点は交通量が多く、交差点付近には東阪急ビルボートピア梅田、大阪市最大級のTSUTAYA(梅田堂山店)などが軒を連ねる。2007年にボートピア梅田が出来て以降、歩行者と車両の危険な接触事故を抑止する目的で交差点にはボートピアの警備員が常駐されている。

歴史

町名の由来

1900年(明治33年)4月2日に北野堂山町と命名され、1924年(大正13年)6月1日に堂山町になった[1]。町名は堂山町の南に太融寺のお堂があった事に由来する[1]大坂三郷の天満組に接する北の外れとして、界隈は西成郡北野村の名称がつけられており、曽根崎村の隣に当たる。

前史

堂山近辺はもともと、中世の大坂で勢力を張った渡辺党の本拠地であり交通の要衝であった渡辺津(現在の天満周辺)に近い。そのため、現在の堂山や北野、曽根崎兎我野にあたる地域には早くから風俗従事者たちが集まっていたという[2]

明治~昭和初期

明治期になると、天満にあった既存の天満青物市場に対するアウトサイダー市場として、北野青物市場が堂山に登場した[3]。この市場は繁栄を続けたが、1945年野菜の統制の厳格化に伴い廃止された[4]

1875年(明治7年)に国鉄大阪駅ができ、1906年(明治39年)には阪神梅田駅1910年(明治43年)には阪急梅田駅、そして1933年(昭和8年)には地下鉄御堂筋線梅田駅が完成し、元々は寂れていた北界隈がターミナルとしての役割を持ち始め、街は旅客の流れで賑わい始め、飲食店、酒場、ビジネス旅館、社交場やレジャー施設などが数多く出来る。

1945年6月1日の大阪大空襲では、堂山一帯も大きな被害を受けた[5]

戦後:繁華街として

特に終戦後の高度成長期は梅田界隈が関西ビジネスマンの拠点として機能しており、ミナミに比べてキタは上品であるというイメージのもと、比較的高級なクラブキャバレー料亭なども堂山町に点在するようになった。特にパークアベニュー堂山沿いには、1951年(昭和26年)にはかの『北乃大和屋』が金台寺の手前にオープンし高級料亭として関西政財界の重鎮を引き付けた。1958年(昭和33年)には芝生の庭を持ち滝も流れる当時は東洋一と言われた豪華高級クラブであるクラブアローがオープンし、関西富裕層ジャズファンなどを虜にした[6]

バブル経済が崩壊する以前はその他にも高級料亭が数多く存在し[7]、北新地ほどではないものの高級な遊び場としての堂山町が存在していた。バブル崩壊後はゲイタウンとして日本では新宿歌舞伎町につぐ規模となり、2005年ではゲイ向けの商業施設が年間を通じて150件ほど存在していた[8]。また安価なキャバクラガールズバーが急増した[9]

繁華街としての堂山

大阪で歓楽街といえばキタミナミであるが、キタの代表が阪急梅田駅東側から曾根崎にかけての一帯である。堂山町は北の歓楽街の東端に位置する。堂山町は多くの顔を併せ持っており、多様性に富んだ非常に興味深い街である。違法ではあると言うものの、客引き行為なども日常茶飯事に行われており、そのような店に入るとボッタクリの被害に合う可能性も指摘されている。[10]

旅行者の拠点として

大阪を訪れる外国人観光客、特に欧米人の若い旅行客がホテル近畿を中心に利用しており、関西観光の拠点ともなっている。梅田駅に近く、世界有数の繁華街の真ん中とあり、旅行客のニーズがある。諸外国の色々なガイドブック上で堂山町がキタの繁華街として紹介されている。ビジネスホテルやビジネス旅館も多くあり、観光やビジネス客のニーズは高い。

ゲイタウンとしての堂山

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概要

東京では新宿二丁目、大阪ではここ堂山町[11]といわれるほど多くの同性愛者向けの店が集まっており、西日本最大のゲイタウンでもある。堂山町は梅田駅東側の新御堂筋とJR大阪環状線高架に直角に囲まれた南東エリアにあり、堂山町の北側から万歳町にかけて、特にパークアベニュー堂山やそこから北側に伸びる脇道を中心としたエリアにゲイバーを始め、ゲイクラブゲイ雑誌ゲイAVなどを売るゲイショップなどが集まっている。

堂山は通称であり、所在地でいうと堂山町以外に神山町・兎我野町・万歳町、高架北側の中崎町・中崎西・鶴野町・黒崎町、梅田芸術劇場近くの中津1丁目・豊崎、堂山町南側の曽根崎曽根崎新地などに広がる。現在、堂山エリアにはゲイ系トータルで230店あり、内訳はゲイバー・飲食店154、マッサージ・エステ30、出張・売り専22、ゲイショップ10、アパレル3などとなっている[内訳 1]。この内、新御堂筋とJR高架に囲まれた堂山・神山・兎我野・万歳町のコアエリアだけで183店になる。コアエリアはゲイバーや発展場が多く、高架北側や中津には売り専やマッサージが多い。その他非店舗系のゲイ企業やビアンバーがいくらか点在している。

ゲイサウナの北欧館や大吉梅田寮が有名で、豊崎にはKOカンパニーG@MESの本拠がある。1983年に日本初のゲイポルノ専門映画館として開館した「東梅田ローズ」(後の梅田ローズ劇場)は2011年に閉館した(但し2012年に新世界に「日劇ローズ」として復活)。

ゲイタウンのアピール

ただし新宿二丁目のように同性愛者の街として特化されている訳ではなく、異性愛者向けの歓楽街としての顔の方が大きい[12]

歴史

ゲイタウンの形成

老舗商業ゲイ雑誌の全ては東京に本拠があり(会員制ゲイ雑誌「同好」は大阪で創刊されている)、OGC(旧IGA日本・大阪)がかつて機関誌を出し、G-FRONT関西(1994年発足)が会報誌「UP&UP」や機関誌「ぽこあぽこ」を出していることなどを除いては、大阪に編集部を置く商業ゲイ雑誌はなかった。その事に触れた書籍なども殆ど見当たらない。そのため堂山町がゲイタウンとしてどの程度の歴史があったのか、どのような発展の途を辿ってきたのかを知るのは非常に難しい。歴史的には、堂山よりも芝居小屋の多かった道頓堀に、江戸時代頃には若衆茶屋が集まっていたことで知られている[13]。(因みに現在の難波ゲイタウンも1958年に開館した旧・新歌舞伎座(現在移転)の裏にある。かつては難波新地乙部遊廓もあった)。

因みに、「ぽこあぽこ」8号(1997年4月1日発行)には、1970年代後半頃、堂山でDJをしていたゲイのインタビュー(1996年)が掲載されており、「(96年と比べて)20年前の堂山のゲイの店の数は1/3くらい」とある。このインタビューが行われた頃のキタ(≠堂山)のゲイバー・売り専ホスト・マッサージ・発展場・ショップの数は、「Badi」1997年4月号「男のイエローページ」に載っているものだけで118店(1998年3月号では131店。載っていない店もあると思われる)。仮に1/3とすると1970年代後半頃には少なくとも、およそ40店の店があったことになる。

ゲイディスコ「クリストファー」

堂山には1970年代後半頃オープンした大阪ゲイディスコの草分け的な「ウォーム・ガン」(北区小松原町)や「パイプライン」(1978年頃開店、数年後閉店)があった[14]。1980年代頃は「クリストファー」というゲイディスコと「GYM」という発展サウナが有名だった[15]。クリストファーの客層は10代-20代中頃までで、当時の大阪の若いゲイの多くはクリストファーでデビューし、そこで出会った人に夜遊びを教わってGYMに通った[15]。「東梅田ローズ」も年配者が多い発展映画館として有名だった[15]

ゲイバー

テンプレート:Sectstub 堂山にゲイバーはいつできたかは検証が待たれるが、ゲイ専用ページがあった『風俗奇譚』の1961年11月号に「ホモの窓:大阪ゲイ・バー案内」という記事が出てくる。ただし記事の中身を読まないと堂山かミナミなのかは分からない[16]

現在

新宿2丁目との共通点は、ターミナル駅や中心繁華街からある程度離れ、入り組んだ細い路地に狭小な店舗が密集していることである。駅から遠いことは不便でもあるが、人目を憚るゲイには都合がよく、賃料が安いというメリットもある。バブル崩壊後などに、空店舗となった物件に入ることでゲイバーの数は急激に増えたとされる。だが新宿2丁目同様、インターネットなどの影響でかつてほどの賑わいはなくなりつつある[17]

交通アクセス

脚注

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  1. 堂山ゲイ・タウンにある230店の所在地別内訳
    • 中核エリア183: 堂山町166、神山町10、兎我野町6、万歳町1
    • 大阪環状線高架北側24: 中崎/中崎西16、鶴野町3、茶屋町1、黒崎町3、浮田1
    • 中津駅・梅田芸術劇場周辺14: 豊崎3、中津11
    • 堂山町の南側3: 曽根崎/曽根崎新地2、南森町1店舗など(ゲイ・イエローページ「Gclick」(2013年1月27日)より)。


関連項目

テンプレート:Portal LGBT

テンプレート:大阪市の地域

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  1. 1.0 1.1 綱敷天神社公式ページ[1]
  2. 山田創平「大阪市北区堂山町の系譜」京都精華大学紀要31号
  3. 大阪都市協会編『北区史』1980年、102頁
  4. 綱敷天神社公式ページ[2]
  5. 『北区史』172頁
  6. 三浦暁子(2010).[3]
  7. なぜ事件絶えないのか「ガールズバー」…つきまとう“構造的問題”産経新聞2013年8月24日付[4]
  8. 山田
  9. 「金や金!」ガールズバー店長が客を殴り殺した料金トラブルの「金額」産経新聞2013年7月20日付[5]
  10. 大阪府警察[6]
  11. テンプレート:Cite news
  12. Badi1999年6月号に堂山について解説があり、その旨書かれている。
  13. 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)「日本男色史」より。
  14. GAY-FRONT関西(現G-FRONT関西)機関誌「ぽこあぽこ/Poco a Poco」8号(1997年4月1日発行)。
  15. 15.0 15.1 15.2 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)ゲイニューウェーブ・関西ゲイ情報より。
  16. 風俗奇譚は東京飯田橋の『風俗資料館』に所蔵されている
  17. 2012年12月30日産経ニュースWEST「〝遊郭〟飛田新地、〝ゲイタウン〟堂山 年末年始に見るにぎわいの意外な共通点」。