西成郡

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テンプレート:Pathnav テンプレート:出典の明記 日本 > 大阪府 > 西成郡(1925年まで)

西成郡(にしなりごおり、にしなりぐん)は、かつて摂津国大阪府にあった。もとは「西生郡」と表記された。

大まかに言えば、現在の大阪市の西半分に当たる。現在の大阪市西淀川区淀川区東淀川区此花区福島区北区港区西区中央区大正区浪速区西成区を中心とした地域である。

  • 上町台地の上の西半分、および上町台地より西側・北側の淀川河口の三角州の島々にあたる。神崎川を北限とする。

歴史

古代

日本書紀」に、大阪湾の中央に南北に突き出した上町台地の東部(河内湖沿い)を「難波大郡」(なにわのおおごおり)、西部(大阪湾沿い)を「難波小郡」(なにわのこごおり)と称したことが記載されている。大郡・小郡とは大化の改新の制度で、五十戸を「里」とし三里で「小郡」、四里~三十里で「中郡」、四十里以上で「大郡」となる。つまり外海に面している割に西側のほうが小さな集落だった。

713年和銅6年)、郡郷の名称が公式に定められ、東部の難波大郡を東生郡(後に東成郡)、西部の難波小郡を西生郡と称するようになった。西生の「生」は「生る」に由来し、「上町台地の西側に新たに生まれた集落」という意味であった。

上町台地西側は難波津があり、難波長柄豊崎宮などたびたび首都や副都が置かれ、大陸や西日本各地との交易拠点となった。難波京が廃れてからは一時ほど重要ではなくなった。

中世には渡辺津が繁栄を極める。室町時代、摂津国のうち神崎川以南の西生・東生・住吉の3郡は「欠郡」(かけのこおり)と総称され、分郡守護が置かれた。

その後石山本願寺大坂城などが上町台地の突端に置かれるようになって周囲に町が発達した。特に豊臣秀吉は上町台地西側に新しい都市、大坂の町割を行い全国から商人を集めた。大坂の陣でこの地を接収した江戸幕府も引き続き大坂の整備と特権を認めて天下の台所と呼ばれるまでの商工業都市となった。

一方、淀川や大和川が流してくる土砂は上町台地のはるか西の沖合いまで、いくつもの支流と小島を作って海を埋め尽くすようになった。この土砂は通行路である河川を浅くしてしまい、洪水や氾濫の原因にもなる厄介なものだったが、次第にこれらの新しい島も新田開発が進められるようになった。

中世以降「西生」と「西成」の表記が混在するようになり、江戸時代中期以降はほとんど「西成」と表記されている。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:摂津国西成郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近現代

旧来の村名等を否定した大区小区制による混乱期を経て、1879年(明治12年)の郡区町村編制法施行によって、改めて大阪府西成郡が誕生した。西成郡役所は上福島村に置かれた。また、人口密集地部分である大阪市街では、明治維新直後に再編された四大組に基づいて大阪府東区南区西区北区の4区が設置された。

西成郡の消滅

1889年(明治22年)の市制町村制施行により、4区の部分に大阪市が誕生したが、1897年(明治30年)4月の第1次市域拡張で西成郡の町村のうち大阪駅周辺の新市街地のみならず、淀川支流の河口に広がっていた島々(現在の港区西区大正区などにあたる)がすべて大阪市に併合されることになった。その後、平坦な臨海部はいち早く市街化し、大阪港修築工事とあわせて工業地帯化する。この合併で、西成郡は北(新淀川の北側一帯)と南(大阪市街の南の木津川沿い)に分断されることとなった。

続く1925年(大正14年)4月の第2次市域拡張で西成郡は完全に大阪市に併合され消滅した。同時に長年4区だけだった大阪市は区の再編を行い、1897年(明治30年)4月の第1次市域拡張で併合した部分を新しい区に分けるなど13区に増やした。南北に分断されていた旧西成郡域は、木津川沿いの南側の町村が郡名由来の「西成区」となり、新淀川の北の町村は「西淀川区」「東淀川区」となった。さらに1932年(昭和7年)、1943年(昭和18年)、1974年(昭和49年)の3回の再編でさらに複雑に分割された。「西成区」はいくつかの町を他区に割譲しただけだったが、「西淀川区」「東淀川区」はさらに淀川区、大淀区などに分割された。

郡内自治体変遷

  • 1871年(明治4年)、増島村・高畑村が合併して淡路村となる。
  • 1872年(明治5年)、渡辺村が藻刈町・野上町・霧島町・菜摘町・千里町・入江町・穂波町・州先町・栄町となる。桜井新田と庄左衛門新田が住吉郡へ編入される。
  • 1873年(明治6年)、七瀬新田を七瀬村に改称。
  • 1874年(明治7年)、東成郡中道村清水谷を吉右衛門肝煎地へ編入。
  • 1879年(明治12年)2月10日郡区町村編制法施行により、東区・南区・西区・北区を分離。
  • 1882年(明治15年)、吉右衛門肝煎地を清堀村に改称。安井九兵衛請所を安井村に改称。
  • 1883年(明治16年)、木寺村・川口新家村が合併して木川村となる。南宮原村より東宮原村が分立。
  • 1886年(明治19年)、中在家村・今在家村が合併して粉浜村となる。
  • 1887年(明治20年)、藻刈町・野上町・霧島町・菜摘町・千里町・入江町・穂波町・州先町・栄町・七瀬村が合併して西浜町となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により、天保町、三軒家村、九条村、西浜町、難波村上福島村下福島村北野村曽根崎村、野田村、伝法村、鷺洲村中津村、川崎村、豊崎村勝間村、粉浜村、川南村、今宮村木津村、西中島村、豊里村、大道村、中島村、新庄村、北中島村、神津村、歌島村、千船村、稗島村、福村、川北村の2町30村に再編。清堀村と西高津村は東成郡へ編入される。
  • 1897年(明治30年)4月1日大阪市、第1次市域拡張。天保町・三軒家村・九条村の全域と川北村・川南村の大部分が大阪市西区へ、西浜町・難波村の全域と木津村の一部が大阪市南区へ、上福島村・下福島村・北野村・曽根崎村の全域と野田村・伝法村・川崎村の一部が大阪市北区に合併される。また、野田村の残りと川北村の一部は伝法村に、木津村の残りは今宮村に、川崎村の残りは豊崎村に合併され、川南村の残りは津守村として独立する。残り20村。
  • 1903年(明治36年)11月5日、伝法村が町制施行。1町19村。
  • 1911年(明治44年)2月1日、鷺洲村・中津村が町制施行。3町17村。
  • 1912年(明治45年)1月1日、豊崎村が町制施行。4町16村。
  • 1915年(大正4年)11月10日、勝間村が町制施行、玉出町に。5町15村。
  • 1917年(大正6年)9月1日、今宮村が町制施行。6町14村。
  • 1922年(大正11年)1月1日、神津村・千船村・稗島村が町制施行。9町11村。
  • 1923年(大正12年)6月1日、西中島村が町制施行。10町10村。
  • 1925年(大正14年)4月1日大阪市、第2次市域拡張。全町村が大阪市に合併される。伝法町・鷺洲町・歌島村・千船町・稗島町・福村・川北村で西淀川区を、中津町・豊崎町・西中島町・豊里村・大道村・中島村・新庄村・北中島村・神津町で東淀川区を、玉出町・粉浜村・津守村・今宮町で西成区を新設。これにより、西成郡が自然消滅した。

変遷表

明治22年4月1日 明治22年 - 明治44年 大正元年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和63年 平成元年 - 現在 現在
九条村 明治30年4月1日
大阪市西区に編入
大正14年分区
大阪市港区
昭和18年
旧九条村域を
西区に編入
大阪市西区 大阪市西区 大阪市西区 大阪市
天保町 明治30年4月1日
大阪市西区に編入
大正14年分区
大阪市港区
大阪市港区 大阪市港区 大阪市港区 大阪市港区
三軒屋村 明治30年4月1日
大阪市西区に編入
大正14年分区
大阪市港区
川南村 昭和7年 分区
大阪市大正区[1]
大阪市大正区 大阪市大正区 大阪市大正区
明治30年4月1日
分立 津守村
津守村 大正14年4月1日
大阪市に編入、
西成区新設
大阪市西成区 大阪市西成区 大阪市西成区
勝間村 勝間村 大正4年11月10日
玉出町
粉浜村 粉浜村 粉浜村
今宮村 今宮村 大正6年9月1日
今宮町
木津村 明治30年4月1日
北部が大阪市南区に、
南部が今宮村に編入
大正14年 分区 大阪市浪速区 大阪市浪速区 大阪市浪速区 大阪市浪速区
西浜町 明治30年4月1日
大阪市南区に編入
難波村
北野村 明治30年4月1日
大阪市北区に編入
大阪市北区 大阪市北区 大阪市北区 大阪市北区
曽根崎村
川崎村 明治30年4月1日
大阪市北区と豊崎村に
分割編入
明治45年1月1日
豊崎町
大正14年
大阪市に編入、
東淀川区新設
昭和18年
分区 大阪市大淀区
大阪市大淀区 大阪市大淀区 平成元年2月13日
大阪市北区に編入
豊崎村 豊崎村
中津村 明治44年2月1日
中津町
中津町
鷺洲村 明治44年2月1日
鷺洲町
大正14年
大阪市に編入、
西淀川区新設
昭和18年4月1日
分区 旧鷺洲町域
東部は大淀区、
西部は福島区
大阪市福島区 大阪市福島区 大阪市福島区
上福島村 明治30年4月1日
大阪市北区に編入
大正14年分区
大阪市此花区
昭和18年分区
大阪市福島区
下福島村
野田村 明治30年4月1日
東部が大阪市北区に
西部が伝法村に編入
川北村 明治30年4月1日
一部を伝法村に編入
大正14年4月1日
大阪市に編入、
西淀川区新設
昭和18年4月1日
大阪市此花区に編入
大阪市此花区 大阪市此花区 大阪市此花区
伝法村 明治36年11月5日
伝法町
明治30年4月1日
東部を大阪市西区に編入
大正14年 分区 大阪市此花区
川北村 明治30年4月1日
東部を大阪市西区に編入
川北村 大正14年4月1日
大阪市に編入、
西淀川区新設
昭和18年4月1日
大阪市此花区に編入
福村 福村 福村 大正14年4月1日
大阪市に編入、
西淀川区新設
大阪市西淀川区 大阪市西淀川区 大阪市西淀川区
稗島村 稗島村 大正11年10月1日
稗島町
千船村 千船村 大正11年5月1日
千船町
歌島村 歌島村 歌島村
神津村 神津村 大正11年7月15日
神津町
大正14年4月1日
大阪市に編入、
東淀川区新設
大阪市東淀川区 昭和49年7月
分区 大阪市淀川区
[2]
大阪市淀川区
北中島村 北中島村 北中島村
西中島村 西中島村 大正12年6月1日
西中島町
豊里村 豊里村 豊里村 大正14年4月1日
大阪市に編入、
東淀川区新設
大阪市東淀川区 大阪市東淀川区 大阪市東淀川区
大道村 大道村 大道村
中島村 中島村 中島村
新庄村 新庄村 新庄村

隣接郡

脚注

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関連項目

テンプレート:畿内五国の郡

外部リンク

  • 旧川南村域は尻無川を境に右岸側は港区に残り、左岸側は大正区に移行。
  • 旧西中島村域のうち、東海道本線以西の地域のみ淀川区に移行