歌舞伎町

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 歌舞伎町(かぶきちょう)は、東京都新宿区町名[1]。原稿行政地名は歌舞伎町一丁目および歌舞伎町二丁目。全域で住居表示を実施している[2]。人口は2,114人(2010年3月1日現在、住民基本台帳による)。郵便番号は160-0021。

地理

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靖国通りから見た夜の歌舞伎町

歌舞伎町は東京都新宿区に位置する。飲食店遊技施設映画館が集中する歓楽街である。明治通り(東)、靖国通り(南)、JR中央線(西)、職安通り(北)に囲まれた範囲(ただし花園神社の敷地とその南北の一画は除く)に位置する町である。鉄道の場合、新宿駅(JR他各線)東口、あるいは西武新宿駅が最寄り。都営地下鉄大江戸線なら新宿西口駅東新宿駅が近い。新宿駅東口から北に向かって行くと、ドン・キホーテ本店前の大きな通り(靖国通り)にぶつかる。これを越えると、歌舞伎町である。歌舞伎町一番街(劇場通り)、さくら通り、西武新宿通り、東通り、区役所通りなどがある。西武新宿駅で降りれば目の前が歌舞伎町になる。

町の中には映画館漫画喫茶居酒屋キャバクラ風俗店ホストクラブラブホテルパチンコ店も立ち並んでおり、「眠らない街」とも言われ、深夜になってもネオンで明るく人通りも多い。ドン・キホーテ前、セントラルロードに多いスカウトホストによるキャッチ、怪しげな客引きやポン引きなど、合法非合法取り混ぜて歌舞伎町独特の雰囲気がある。よく東洋一の歓楽街と言われている。​テンプレート:誰2

新宿コマ劇場付近は中心の広場を複数の映画館が囲む形になっていたが、2008年以降閉鎖する映画館が相次ぎ、現在残っているのは新宿東急文化会館内の映画館のみとなった。

歌舞伎町には一丁目と二丁目があり、概ね花道通りを境にした南と西武新宿駅周辺の一画が歌舞伎町一丁目、北が歌舞伎町二丁目である。

歌舞伎町一丁目

西寄りに近年まで興行街であった一角がある。東の方へ向かうと新宿区役所があり、区役所通りを渡ると新宿ゴールデン街がある。裏通りには飲食店や性風俗店、アダルトショップなどが密集している。西武新宿駅ビルの複合ショッピング店舗のほか、近年、大手ディスカウントチェーンが進出したが、靖国通りを隔てた新宿三丁目に比べ物販店は少ない。

歌舞伎町二丁目

西寄りに東京都保健医療公社大久保病院・ハイジア、東側にはラブホテル街が広がり、区役所通り付近はクラブ、ホストクラブなどが多数あるが、一丁目と違い表立って性風俗店は見当たらず、職安通り明治通り沿いはオフィスビルやマンションが建ち並び、繁華街・歓楽地の様相は全く感じさせない。同じく職安通り沿いには通りの名前になったハローワーク新宿の歌舞伎町庁舎(主に雇用者側の求人などの受付窓口で、雇用保険の失業等給付や求職相談は西新宿庁舎で行う)があるほか、都内有数のコリアタウンである大久保に接していることもあり、韓国料理店や食品スーパーなどがある。

歴史

大部分は新宿区発足前には旧淀橋区に属した地域(三光町は旧四谷区)である。元々は「大久保」の名の由来となる窪地の湿地帯と長崎藩邸があったところで、明治以降は鴨場となっていた。当初は角筈村1889年からは淀橋町に属した。当時の地名は字十人町、字矢場。

1893年淀橋浄水場建設に伴い、残土で鴨場の池が埋め立てられ、造成される。1920年には東京府立第五女学校(現在の東京都立富士高等学校)がこの地に開校。学校を取り巻く周囲は閑静な山の手の住宅街として大臣軍人の邸宅もあり発展していった。1932年東京市淀橋区に編入され、市街化が進んだ。

1945年東京大空襲で一面焼け野原となったが、第二次大戦後、石川栄耀らによって「(現在の歌舞伎町一番街付近に)歌舞伎の演舞場を建設し、これを中核として芸能施設を集め、新東京の最も健全な家庭センターを建設する」という復興事業案がまとめられ、この都市計画から、新しい町は歌舞伎町と名付けられた。結局、財政の面などからこの構想は実現せず、新宿コマ劇場が建設されるにとどまった。

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1960年頃の歌舞伎町

1952年には西武新宿駅が開業。西武新宿線新宿駅東口に乗り入れる計画だったため床が板張りの仮駅であった。1960年代も半ばになると各種飲食店、映画館ボウリング場、サウナバッティングセンターに加えラブホテルトルコ風呂といった施設が目立ち始めるようになっていった。1977年には現在の西武新宿駅ビルが完成し、新宿プリンスホテルと西武新宿ペペが営業を開始した。西武新宿線はバブル期に新宿駅東口乗り入れ計画が再び浮上したものの、歌舞伎町商店街振興組合や新宿サブナード(新宿地下駐車場株式会社)等が反対やバブル崩壊などの影響もあり結局実現しなかった。現在西武新宿駅は一日約18万5,000人の乗降客があるターミナル駅として機能している。

「東洋一の歓楽街」と言われてきたが、現在では様相はさらに変容し、3,000軒を数えるバーキャバレー、ラブホテルなどが密集し、「欲望の迷宮都市」「外国人労働者の新租界」等とも評されている。歌舞伎町は世界でも有数の夜の盛り場に数えられていて、近年では、中国韓国からの観光ツアー客も多く、昼間はよくツアーコンダクターが導く姿が見かけられる。

沿革

歌舞伎町は、第二次大戦の戦災復興の時期に誕生した。

  • 1948年4月1日 - 歌舞伎町(現在のように丁目はなく番地と号数のみのいわゆる一町画)として起立。
角筈一丁目の北東部とその周辺、百人町一丁目・西大久保一丁目(東大久保三丁目)・三光町の境界付近を区画整備し、当時の歌舞伎町の範囲は、おおむね現在の歌舞伎町一丁目(西側の鉄道敷設部分とその沿線および区役所通りより東をそれぞれ除く)に相当する。

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名の一部)
歌舞伎町一丁目 1978年7月1日 歌舞伎町(全域)、三光町、百人町一丁目、東大久保三丁目(全域)、角筈一丁目(全域)、角筈二丁目(全域)、柏木一丁目(全域)、新宿三丁目
歌舞伎町二丁目 西大久保一丁目

交通

鉄道

バス

靖国通りの「歌舞伎町」「新宿五丁目」停留所を利用できる。靖国通りに並行する新宿通りを経由する路線では「新宿駅東口」停留所が最寄りになる。下記のすべての路線が新宿駅西口を発着する。

道路

歌舞伎町内を南北に走る新宿区の区道。全長約500メートルの片側1車線の通りである。北で職安通り、南で靖国通りと面する。その名の通り、区役所通り沿いには新宿区役所があるほか、風俗店・飲食店が多く並んでいることで知られている。他に道路沿いには新宿バッティングセンター稲荷鬼王神社がある。この通りは夜になると暗くなり治安が悪くなるイメージをもたれていたが、これを改善すべく2006年より新宿区や地元の商店会などによって冬季の期間限定で街路樹イルミネーションが実施されるようになった[9]。また1996年までは日中の時間帯は都営バス宿74系統(往路のみ)もこの通りを走っていた。(現在は廃止)当通りには新宿区役所前、同愛病院前(1982年までに廃止)、鬼王神社前のバス停があった。

治安

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昼間の歌舞伎町一番街の入り口。昼間でも当地所在のオフィスや映画館などで人も多い。

2000年代に入ってからは生活安全条例の制定や、パトロールの強化など、取締まりも厳しくされ、2002年2月には50台の防犯カメラが設置されて話題を呼んだ。実際犯罪がかなり減少し、効果が見られたとされている。

2001年9月1日に起こった歌舞伎町ビル火災は、死者44人を出し、防災人権などの問題とともに、マスコミや世論を大変にぎわせた。

裏社会では指定暴力団住吉会住吉一家向後睦会の縄張りとなっており、稲川会極東会松葉会等の在京組織の傘下団体も拠点を置いている。[10]、約120箇所[11]暴力団事務所があり、1000人(推定)[11]の構成員が居るといわれている。

歌舞伎町における不法滞在外国人組織犯罪も多かったが、これは2003年入国管理局の出張所を歌舞伎町に置くことにより不法滞在者の摘発が進み、大幅に減少した(それ以前、不法滞在摘発者は主に韓国中国タイロシアが75.6%を占め、13か国に上った[12])。さらに、西アフリカ出身のナイジェリア人グループらが大掛かりで、泥酔客から暴利を貪る問題も見られる[13]

2004年暮れに東京都知事石原慎太郎の招聘で就任した警察庁出身の副知事竹花豊の主導により「歌舞伎町浄化作戦」と称される大規模な店舗の摘発が行われた。この際に非合法な性風俗産業を行う風俗店・アダルトショップなどで閉店を余儀なくされた店が多く、2005年に竹花が出向解除により警察庁へ復帰して以降も、警察の威信をかけた重点摘発が続けられている。また水面下では以前から討議されていたものの、2004年後半には大規模再開発と暴力団追放等を目的とした「歌舞伎町ルネッサンス」計画の第1回会議が公開の場で開かれる。2005年4月には都条例の改正(通称・客引き禁止条例)が施行された。まだ「歌舞伎町ルネッサンス」計画は序章ではあるが、開始を宣言するイベントも行われた。

それでもなお歌舞伎町には違法な客引きが横行している。性風俗店の客引き自体が都条例で2005年4月以降禁止されており、それを無視して行うのはボッタクリ・恫喝で金品を要求する悪質な店舗であり、絶対に付いていってはいけないという啓発も歌舞伎町商店街振興組合によって行われている。

歌舞伎町を舞台にした作品

ノンフィクション

  • 李小牧『歌舞伎町案内人』角川書店2004年、ISBN 978-4043733019
  • 李小牧『歌舞伎町の住人たち』河出書房新社2005年、ISBN 978-4309017280
  • 影野臣直『歌舞伎町ネゴシエーター』河出書房新社、2005年、ISBN 978-4309017082
  • 久保博司『新宿歌舞伎町交番』講談社2006年、ISBN 978-4062753425
  • 武内晃一『歌舞伎町午前零時/女衒の夜』河出書房新社、2006年、ISBN 978-4309017426
  • 久保博司『歌舞伎町と死闘した男 続・新宿歌舞伎町交番』講談社、2007年、ISBN 978-4062758871
  • miho『ネバー・ギブ・アップ』日本文芸社2007年、ISBN 978-4537254877
  • 武内晃一『わたしはいくら?』早稲田出版、2008年、ISBN 978-4898273500

小説

漫画

その他書籍

映画

音楽

ドラマ


ゲーム

脚注

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関連項目

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外部リンク

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  1. 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店1991年再版、P873
  2. テンプレート:PDFlink - 新宿区公式ウェブサイト 2011年6月16日閲覧。
  3. 同年2月17日郵政省告示第38号
  4. 同日、首都建設委員会公告第2号
  5. 同日、東京都条例第103号「風俗営業等取締法施行条例の一部を改正する条例」
  6. 同年10月4日自治省告示第174号
  7. 同年4月18日、郵政省告示第253号
  8. 1989年12月5日、郵政省告示第782号
  9. 新宿区HPのニュースリリース
  10. 2010年の歌舞伎町商店街振興組合と歌舞伎町住人との定例懇談会
  11. 11.0 11.1 2004年1月19日の竹花東京都副知事発言・歌舞伎町住民との懇談会
  12. 2002年の入管特別集中摘発資料
  13. テンプレート:Cite news