叡山電鉄叡山本線

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イベント列車の運行で八瀬比叡山口へ向かう900系きらら(三宅八幡 - 八瀬比叡山口)

叡山本線(えいざんほんせん)は、京都府京都市左京区出町柳駅から八瀬比叡山口駅までを結ぶ叡山電鉄鉄道路線

概要

京都市中心部から三宅八幡駅付近までの生活路線および、比叡山八瀬比叡山口駅付近への行楽路線である。一乗寺駅付近までは住宅と町工場の混在した地域、三宅八幡駅付近までは住宅地の中を走る。沿線には名所・旧跡も多く存在する。三宅八幡駅をすぎると山裾を駆け上がり八瀬比叡山口駅に到達する。鞍馬線と異なり山岳路線ではないが、33.33‰の勾配が修学院駅の北や三宅八幡駅と八瀬比叡山口駅の間にあり、特に三宅八幡駅と八瀬比叡山口駅の間の33.33‰勾配は距離も長い。この区間は高野川と住宅地の間ではあるが、樹木や笹が茂り山深い雰囲気である。

八瀬比叡山口駅付近は比叡山へのケーブルカーへの乗り換えのほか、開業当時から京都電燈や地元が中心となり開発され、一時期駅名となった遊園地「八瀬遊園」が開設されるなど観光地として賑わった。現在では一部の休日を除けば散策を楽しむような静かな観光地である。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):5.6km
  • 軌間:1435mm
  • 駅数:8駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線電化(直流600V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 保安装置:ATS(速度照査機能付)
  • 最高速度:60km/h
  • 最急勾配:33.33

運行形態

平日ダイヤと土休日ダイヤの2つを基本としている。

おおむね、平日昼間時間帯は鞍馬線直通の出町柳 - 二軒茶屋間の列車、出町柳 - 鞍馬間の列車、そして出町柳 - 八瀬比叡山口間の列車の順にそれぞれで20分間隔で運転され、鞍馬線直通電車の方が多くなっている。土休日昼間時間帯は鞍馬線直通の出町柳 - 鞍馬間の列車と、出町柳 - 八瀬比叡山口間の列車がそれぞれで15分間隔で運転される。朝と夕方以降には鞍馬線市原駅で折り返す列車があるほか、車庫のある修学院駅発着となる列車もある。ごく一部の例外[1]を除いて全列車ワンマン運転を行っている。

お盆や年末等は平日でも土休日ダイヤで運行されることがあるほか、観光シーズンには特別ダイヤが組まれることがあり、日中時間帯、平日は出町柳 - 鞍馬間の列車と出町柳 - 八瀬比叡山口間の列車がそれぞれ15分間隔と下校時に合わせた出町柳 - 二軒茶屋間の折り返し列車が、休日は最大で出町柳 - 鞍馬間の列車と出町柳 - 八瀬比叡山口間の列車がそれぞれ12分間隔[2]で運転される。

歴史

京都電燈により開業し、同社の叡山電鉄部の下に置かれた。子会社の鞍馬電気鉄道(現在の鞍馬線)は全通後一貫して当線との直通運転を行っている。また一時は、軌道線である京都市電からの直通運転が行われていた。

  • 1922年(大正11年)11月8日 鉄道免許状下付(京都市上京区田中上柳町-愛宕郡修学院村間)[3]
  • 1925年大正14年)9月27日 京都電燈により出町柳 - 八瀬(現在の八瀬比叡山口)間が開業[4]。集電方式は架空複線式(ダブルポール)であった。
  • 1928年昭和3年)12月1日 鞍馬電気鉄道により現在の鞍馬線、山端(現在の宝ヶ池) - 市原間が開業。山端が接続駅となる。
  • 1929年(昭和4年)12月20日 鞍馬電気鉄道が全通。出町柳 - 山端 - 鞍馬で直通運転を開始。
  • 1930年(昭和5年)2月 集電方式を架空単線式に変更。
  • 1935年(昭和10年)6月29日 「鴨川水害」で全線不通、翌30日午前10時より出町柳 - 三宅八幡駅間で運行再開[5]
  • 1942年(昭和17年)3月2日 京福電気鉄道に譲渡[6]
  • 1943年(昭和18年)7月10日 京都市電の東山線が延伸開業。特認により東大路通とは交差点となる。
  • 1944年(昭和19年)5月1日 山端(現在の宝ヶ池) - 八瀬間が不要不急線として単線化され資材供出される。
  • 1949年(昭和24年)12月11日 元田中 - 山端間で、京都市電からの乗り入れ運転を開始。
    宝ヶ池にあった市営競輪場の観客輸送運行で、競輪開催日のみ実施。車両は市電の1000形を使用し、山端駅に市電車両用の低床車用ホームを併設しての運行であった。叡山線内の途中駅はホーム高さの関係でノンストップだった。また、松ヶ崎浄水場建設にあたっての京都市電下鴨集荷場線(休止中)を利用した資材輸送に、この渡り線を経由して京福から101号が度々貸し出されている。
  • 1951年(昭和26年)7月1日 山端 - 八瀬間が再複線化。
  • 1954年(昭和29年)6月10日 山端駅を宝ヶ池駅に改称。
  • 1955年(昭和30年)9月1日 この日をもって京都市電からの乗り入れ運転を終了。
    市電側の集電装置が同年11月からトロリーポールからビューゲルに変更されることが決まっていたことが直接の理由であったが、市がかねてから公営ギャンブル事業を行うことに反対意見があり、市の財政再建に目処がついたことで競輪場が近く廃止されることになったことも理由である。競輪場は結局1958年に廃止となり、競輪場跡地は後に「こどもの楽園」という子供同伴者を除いて中学生以上立ち入り禁止の児童専用公園となった。園内には長らく競輪場のスタンドの一部が残されていたが、2006年に老朽化で解体撤去された。
  • 1964年(昭和39年) 乗客数が鴨東線開業前における最盛期を迎える。
  • 1965年(昭和40年)8月1日 八瀬駅を八瀬遊園駅に改称。
  • 1970年(昭和45年)北山通の修学院付近、白川通の修学院 - 宝ヶ池付近が開通。修学院駅移転。
    同時期に延長された市中心部直通の市バス路線が当線の脅威となり始める。
  • 1973年(昭和48年) 集電装置をトロリーホイールからスライダーシューに変更。
  • 1978年(昭和53年)
  • 1983年(昭和58年)12月1日 運行管理をPTC化。列車無線装置使用開始。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 叡山電鉄に分離譲渡。
  • 1987年(昭和62年)12月10日 ATS装置を路線に設置(車両には翌年にかけて順次取付)。ワンマン運転開始。
  • 1989年平成元年)10月5日 京阪電気鉄道の鴨東線開通。同社出町柳駅開業。再び鉄道他線とつながる。
    これに先立ち9月21日 鞍馬線の京都精華大前駅開業と同時にダイヤ改正を実施。鞍馬線の区間延長が主体で叡山本線では出町柳 - 宝ヶ池で数本の増発。
  • 1994年(平成6年)3月23日 ダイヤ改正による大増発実施。平日64本、休日9 - 46本増発。
    1960年代から続いていた八瀬遊園発着・鞍馬線直通各々15分毎から、平日は八瀬遊園発着12分毎、鞍馬線直通10分毎に、休日は八瀬遊園発着・鞍馬線直通各々15分毎(オンシーズンは八瀬遊園発着7.5分毎)を基本としたものに変更。
  • 2002年(平成14年)3月10日 八瀬遊園駅を八瀬比叡山口駅に改称。2001年の森のゆうえんち(旧・スポーツバレー京都)閉園による。
  • 2004年(平成16年)1月13日 原則として全列車ワンマン運転となる。


駅一覧

駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 標高(m) 接続路線
E01 出町柳駅 - 0.0 53.7 京阪電気鉄道:鴨東線
E02 元田中駅 0.9 0.9 59.9  
E03 茶山駅
(京都造形芸術大学前)
0.5 1.4 64.6  
E04 一乗寺駅 0.7 2.1 70.9  
E05 修学院駅 0.8 2.9 78.3  
E06 宝ヶ池駅 0.9 3.8 87.5 叡山電鉄:鞍馬線
E07 三宅八幡駅 0.6 4.4 96.4  
E08 八瀬比叡山口駅 1.2 5.6 116.9 京福電気鉄道:鋼索線(叡山ケーブル)ケーブル八瀬駅

駅番号は2008年10月19日から実施された)

脚注

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関連項目

  • 現在では観光シーズン等の混雑時(ワンマン+運賃授受要員の形式:一部区間の場合も有)、デオ700系の連結運転時、デオ600形使用の列車のみである。
  • 出町柳 - 鞍馬間12分間隔、出町柳 - 八瀬比叡山口間15分間隔となる場合もある。
  • 「鉄道免許状下付」『官報』1922年11月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年10月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 出典・『京都の治水と昭和大水害』(文理閣刊)156頁
  • 2月10日許可「鉄道譲渡許可」『官報』1942年2月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)