原陽子

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原 陽子(はら ようこ、1975年2月10日 - )は、元衆議院議員。静岡県裾野市出身。

プロフィール

1994年3月静岡県立沼津西高等学校卒業。在学中、姉妹都市交換留学生としてオーストラリア留学

1998年3月:桜美林大学国際学部卒業。2000年3月:桜美林大学大学院国際学研究科修士課程修了。この間、社会主義インターナショナル青年大会などに参加。

2000年6月:桜美林大学大学院国際学研究科に科目等履修生として在学中、衆議院選挙に社会民主党公認候補として神奈川14区より比例代表と共に重複立候補し、小選挙区では落選したが(当選者は藤井裕久)、比例南関東ブロックで初当選。25歳4ヶ月での当選は、「憲政史上最年少の国会議員」として話題になった。衆議院議員在職中は商工委員会・青少年特別委員会に所属していた。当時はその容姿から「国会のヒロスエ」或いは「よっきゅん」とも呼ばれた。2009年鳩山内閣において設置された行政刷新会議事業仕分けメンバーに選定された政野淳子は、当時の原の政策担当秘書である。

2001年9月アメリカ同時多発テロ事件発生直後、自身の公式ウェブサイト上において、「今回のテロだってアメリカの外交政策の失敗??なのでは」、「『ざまーみろっ』って思っている国だってきっとある、と思いませんか?それってとっても悲しいことだと原は思います。日本が危険な道に進まないよう、阻止して行かなくてはなりません!!」と発言[1]。「テロを容認し被害者遺族の感情を逆撫でする失言」などの批判を受け[2][3]、ウェブサイト上で謝罪した。その後も、「暴力によってテロリスト達は屈しない」と発言している[4]

2003年11月:再選を目指して第43回衆議院議員総選挙に再度神奈川14区より立候補したが、前回と同じ比例での復活当選もならず3位で落選(当選者は藤井裕久)。

2004年5月:静岡県議会議員の補欠選挙に無所属(民主党静岡県連推薦)で立候補したが次点で落選。社民党に離党届を出し民主党県連推薦を受けたことから、「政党鞍替えを画策した」として立候補届け出直前に社民党除名された。

その後、裾野市臨時職員や専門学校生を経て、現在は社会福祉士の資格を活かして、障害者向けの人材紹介会社に勤務している。

政治的主張

  • 選択的夫婦別姓制度導入を支持。「夫婦が同姓であるべきとも別姓であるべきとも考えず、どちらでもよいと考える。重要なのは、姓を選択できるということである。時代の流れと共に家族というものの考え方も変わってきている。家庭の崩壊のおそれから、夫婦別姓制度に反対する人もいるが、第三者が家庭の崩壊について口を出すのおかしい。」と述べている[5]
  • 2003年静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[6]

脚注

  1. 原よう子と未来の風 活動日記 第49号 2001.9.12
  2. 静岡新聞 2001年9月21日
  3. 「後藤田正晴と十二人の総理たち」佐々淳行 文藝春秋 2006年
  4. 原よう子と未来の風 活動日記 第51号 2001.9.19
  5. 第154回国会 基本的人権の保障に関する調査小委員会議事録
  6. 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ

関連項目

外部リンク

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古川元久 |style="width:40%; text-align:center"|最年少衆議院議員
2000年 - 2003年 |style="width:30%"|次代:
寺田学 テンプレート:S-end