南海1521系電車

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南海1521系電車(なんかい1521けいでんしゃ)とは、かつて南海電気鉄道に在籍していた通勤形電車の一系列。 本項では、改造により本系列に統合された2051系電車についても記載する。また、南海より譲渡された弘南鉄道の1521系電車についても一部記述する。

1521系(架線電圧昇圧前)

1959年昭和34年)に当時残存していた木造車の淘汰を目的に3両固定編成4本が新製され、南海線にて主に普通列車に使用された。登場時は緑の車体にオレンジ帯の新塗装だったが、後述する2051系の登場後は同系列と同じ塗色に改められた。電装品はモハ1501形(旧国鉄63系)の一部を電装解除して転用したため、主電動機国鉄73系と同一のMT-40形で吊り掛け駆動である。台車汽車製造にて空気バネ台車を新製して装着した。車体は21m級の全鋼製で、客用扉は片開き式で片側4ヶ所、側窓は1段下降式、室内はロングシートであった。電動制御車のモハ1521形2両の間に付随車のサハ3801形(2代)[1]を1両組み込んだ編成となっていたが、架線電圧昇圧直前には奇数両数の編成では使いにくくなっていたので、モハ3両とサハ1両の4両編成に組み替えた編成もあった。

2051系

1960年(昭和35年)に4両固定編成2本が新製され、南海線にて主に急行列車に使用された。塗色は緑の濃淡のツートンカラーで、この塗色は以後7000系・7100系にも採用されて、南海線通勤型電車の標準塗色として長く親しまれることとなる。電装品はモハ2001形の一部を電装解除して転用したため、定格出力150kW(端子電圧600V時)の主電動機を装備した吊り掛け駆動である。台車と車体は1521系とほぼ同一であったが、座席の奥行きが若干広げられて座り心地が向上した。電動制御車のモハ2051形2両の間に1521系と同一形式の付随車・サハ3801形を2両組み込んだ編成となっていた。架線電圧昇圧直前には7000系・7100系に優等列車運用を譲って普通列車に使用されることが多くなっていた。

1521系(架線電圧昇圧後)

ファイル:Nankai1521 Suiken.jpg
和歌山港線などの支線で運行されていた1521系電車
(1992年撮影)

1973年(昭和48年)に南海線の架線の電圧が1500Vに昇圧された。この際に大半の吊り掛け駆動車両は廃車となったが、1521系と2051系は比較的経年の浅い全鋼製車体を有していたため、1500V対応に改造することになった。しかし、7000系・7100系などと共通運用を組むには性能的に差があり、両数も合わせて20両と少ないため、高師浜線多奈川線1993年平成5年)に全線廃止された天王寺支線などの支線用として転用することになった。モハ1521形の電動機は本来1500V用のものであったため、そのまま使用されたが、モハ2051形のものは1500Vでは使用できないため、廃車となったモハ1551形から転用のMT-40形に交換し、同一性能となったモハ1521形に統合された。なお、モハ2051形のうち1両は電装解除され、全車が運転台取り付け改造されたサハ3801形とともにクハ3901形となった。モハ1521形のうち偶数番号の5両は運転台を増設して両運転台となり、単行運転に使用できるようになった。同時に制御装置もALM-Nから新製の日立MMC-LH-20Aに変更されたが、支線専用で高速運転は想定されないため、弱め界磁は省略された。ブレーキ装置は自動空気ブレーキから電磁直通ブレーキに変更し、応答性と操作性を改善した。TDK-366-B形電動発電機も併設された。さらに前照灯もケースはそのままでシールドビーム化された。冷房装置廃車まで搭載されなかった。

約20年にわたって各支線で2両編成ないしは単行で使用され、支線の主力として使用されてきたが、1994年(平成6年)以降、2000系の増備に伴う高野線からの22000系の支線転用(転用改造時に2200系2230系に改番)に伴い、廃車が進行した。最後まで残ったのは高野線の汐見橋 - 岸里玉出間(汐見橋線・1985年6月16日ダイヤ改正から運用開始)だが、1995年(平成7年)8月24日に運転終了となり、同年10月和歌山港線でのさよなら運転をもってすべての営業運転を終了した。 余談だが、クハ3901形のうち車齢が最も若い3908・3909号車は天王寺支線一部廃止に伴う所属変更で余剰となったため、3908号車が1985年(昭和60年)4月に同系列のトップを切って廃車・解体となり、同じく廃車となった3909号車は車体のみ泉南市の業者に譲渡された[2]。なお、ATS装置と列車種別選別装置はそのまま製造が始まったばかりの10000系に流用された。皮肉にも車齢が最も古い1521+3901はじめ10両が、一転して最後まで生き残るという現象が見られ、先述のさよなら運転もトップナンバー編成が務め[3]1995年(平成7年)11月20日[4]で除籍廃車となるまで生き残った。その同日付で除籍廃車となるまで生き残った10両の内訳は以下の通り。

  • モハ1521形
    • 1521・1526・1528・1529・1531
  • クハ3901形
    • 3901・3903・3905・3906・3907

こうして本系列が消滅したことによって南海から吊り掛け駆動の営業用車両はなくなり、鋼索線車両を除く鉄道線車両はここに冷房化率100%を達成した。

なお、一部車両(モハ1522 - 1525・1527、クハ3902・3904)は青森県弘南鉄道に譲渡された。譲渡時に先頭車の前面中央に白い帯を入れたが、4扉通勤型車両では寒冷地の車内保温に難があること、厳しい気象条件下で車体や機器の傷みが激しかったにもかかわらず部品確保が困難であったこと(1995年時点では既に吊り掛け駆動電車の譲渡は珍しかった)もあり、2008年度(平成20年度)までに全車廃車された。

1521系電車という表記について

南海の車両の系列の表記は、南海電鉄車両部の見解によると、本系列の次期新造車以降の車系については末尾は0であるとのことである(南海における「~系」の表記について参照)。

しかし、本系列は末尾1であるとされている。これは、モハ1521形の新造当時にモハ1501形の1520号が存在しており、1520系と表記するとこの車両が本系列に含まれると誤解する恐れがあるため、あえて末尾1としているためである。ただし、1520号自体がモハ1521形に電動機を供出してクハ1951形1958号に改造・改番されているためモハ1521形と1520号が同時に存在した期間はごくわずかである。

なお、本系列と同時期にキハ5501・キハ5551形も製造されているが、理由は定かではないものの、この形式も末尾は1としている。また、本系列とキハ5501・5551形を最後に南海では末尾1の系列表記を取り止めている。

脚注

  1. サハ3801形という形式は、先にC10001形蒸気機関車に客車代用として使用された付随車に付けられていたことがあるため、本項では2代と表記した。
  2. 3909号車の車体はその後、塗装を10000系と同塗装(旧塗装)に施した上で「喫茶サザン」の店舗として再利用されたが、本喫茶店の廃業と同時に役目を失い、1989年頃に解体された。
  3. 3908・3909号車が真っ先に廃車となった理由ともども、参考文献は電気車研究会刊『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊(特集:南海電気鉄道)号 227頁より。
  4. その10両の廃車除籍日は、ジェー・アール・アール刊『私鉄車両編成表』'96年版 164頁の他、関西鉄道研究会刊『車両発達史シリーズ6 南海電気鉄道(下巻)』138頁にも掲載。なお、『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号258頁にも本系列の車歴表はあるが、1995年9月当時のデータに基づいているため、そちらの「廃車除籍日」の欄にこの10両はリストアップされていない。

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