南海1201形電車

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ファイル:南海1201形.JPG
1241 伊太祁曽駅

南海1201形電車(なんかい1201がたでんしゃ)とは、南海電気鉄道に在籍した通勤形電車の1形式である。 本稿では、基幹形式であるモハ1201形を中心に、同系の制御付随車であるクハ1901形、およびモハ1201形の出力強化型であるモハ1551形などを含めて述べることとする。

概要

南海鉄道時代の1934年から1943年にかけて、南海線の大型急行用車であるモハ2001形を補完する中型の汎用車として、当初は15m級車に続く木造車の鋼体化名義でモハ133形として、そして中期以降は新造扱いと火災被災車の復旧名義で、自社天下茶屋工場、日本車輌製造汽車製造会社東京支店川崎車両、そして木南車両によって新製された。 その後も、1947年まで戦災復旧名義での車体新製が富士車輌や川崎重工業泉州工場で実施されており、グループ総計で72両[1]が製造された。

その車番は必ずしも製造順と一致しておらず、クハ1901形制御車として竣工後、逆順で電装したものや、一旦機器流用車のモハ1051・1021形として建造後、主電動機換装を実施されたものが、それぞれの改造時点でのラストナンバーに続けてモハ1201形に編入されており、さらにモハ1201形からモハ1551形へ改造されたもの、クハ1901形から直接電装してモハ1551形に編入されたものや逆にモハ1551形からモハ1201形に戻されたものなど、各車の経歴は複雑怪奇の一言に尽きる。

車体

先行するモハ121形15m級鋼体化車を18m級に引き延ばした形状の半鋼製車体で、窓配置はd3D8D3d、前面は緩く曲面を描き、中央に貫通扉を配した半流線型の3枚窓構成、側窓は2段上昇式が基本である。

初期には鋲接が多用されたが、中期以降溶接の使用範囲が拡大し、最終的には全溶接構造となった。

その外観は昭和5年型以降のモハ2001形を短縮したような軽快なデザインを基本とし、中期の戦前最盛期のグループでは、窓の上下寸法が拡大し、左右の前面窓上部に押し込み式通風器が装備され、さらに高島屋のデザイン部門の協力でインテリアデザインが一新され、照明としてシャンデリアが吊されるなど、非常に個性的な形状となった。しかしながら、戦後は前面通風器が雨水の侵入を防止する目的で撤去され、さらに戦時型以降は窓が1段下降式に変更されるなどしたため、当初の軽快さは喪われた。

塗装は戦前の南海鉄道の標準塗装である深緑色の車体に鉛丹仕上げの屋根、それに黒色の床下機器、となっていたが、1960年代後半以降は検査周期ごとに、順次オリエンタルグリーンとグリーンの2色濃淡塗り分けの車体にグレーの防水塗装仕上げの屋根、という南海線一般車の新標準塗装に変更された。

主要機器

主電動機

主電動機は下記の各機種が使用された。いずれも吊り掛け駆動である。

端子電圧675V時1時間定格出力85kW[2]、定格回転数890rpm。国鉄での形式をMT4と称する、大正時代初期から中期にかけてを代表する電動機の一つである。在来車からの流用品で、本機を搭載した電動車は改番時にモハ1051形と呼称した[3]が、後日全車ともMB-146-SFRを搭載する15m級車との間で主電動機の交換を実施し、モハ1201形へ編入された。
端子電圧600V時1時間定格出力74.6kW、定格回転数985rpm。電7系焼失車からの流用品。本来は急行用として高回転型モーターが求められたために採用された機種であり、これら中型車グループへの転用に当たっては、標準のMB-146-SFR系とは特性が異なるため、ギア比を大きく取って定格速度を揃えていた。
端子電圧750V時1時間定格出力93.3kW、定格回転数750rpm。当初高野線大運転用のモハ1251形に採用された電動機で、提携先のWH社が設計したWH-556-J6(端子電圧750V時定格出力74.6kW、定格回転数985rpm)を基本にしたとされるが、出力と回転数が示す通り、その磁気回路設計は大幅に変更されており、トルク特性も異なる。また、本来750V仕様、しかも強トルク特性のため熱耐性に余裕があって端子電圧600Vでも実質120馬力級として扱われており、1936年の改番で本形式に与えられたモハ1201形という最終形式名もこれに由来する。
MB-146-SFR同等品。一説には戦時体制下での三菱電機伊丹製作所の製造キャパシティ不足を補うべく、同一設計で川崎が製造を代行したと伝えられ、モハ1201形には9両に搭載された。
  • MT40 / 国鉄制式品(三菱電機製)
端子電圧750V時1時間定格出力142kW、定格回転数870rpm(全界磁)。国鉄モハ63形割り当て車であるモハ1501形に標準搭載されていた機種で、その形式名は端子電圧600V換算で1時間定格出力151.5馬力(113.6kW)相当のこの電動機の出力に由来する。モハ1201形を急行運用へ充当する必要から、大出力電動機の搭載が求められて採用された機種で、同形式のモハ1551形への改造に使用された。もっともモハ1551形に搭載されたMT40はモハ1501形の電装解除に伴う発生品などの流用ではなく、南海と取引のある三菱電機へ別途発注して導入されたものである[4]。最盛期には13両(モハ1551 - モハ1563)に搭載された。昇圧に伴う廃車の時点ではモハ1551形は11両が在籍しており、これらの電動機は一部が昇圧困難な600V専用設計の電動機を搭載していた2051系に転用されている。

制御器

制御器は以下の各機種が使用された、

モハ2001形に連結して使用するためのクハ2851形2851・2852とモハ1551形1554・1556~1560に搭載されたALF-PC、およびモハ1551形1551~1553に搭載された多段式のPCM-150-Kを除く、3機種間には相互にほぼ完全な互換性[5]があり、これらは混用されたが、最終的にはPC-14-A搭載車のみが貴志川線に残された。

台車

台車は下記の各種が使用された。

※形式の括弧内は製作社名の頭文字と心皿荷重上限(トン数)を組み合わせた南海での社内呼称

木造車から流用された鍛造イコライザー台車のBrill 27MCB-2、それに当初モハ1551形に装着されたFS9以下の新型台車群を除くといずれもボールドウィンAA形ビルドアップ・イコライザー台車の模倣品であるが、このうち、KN-16は通常鍛造であるべきイコライザーの「弓」が圧延鋼板の切り抜き材で済まされるなど、低品質であったとされ、これを装備した車両はモハ1551形への改造後に一旦主電動機支持架を強化して流用したこのKN-16を廃棄して、鋳鋼製で剛性も強度も高く、揺れ枕吊りとボルスタアンカーの導入、それに軸ばねのウィングばね化で柔らかい乗り心地を実現したKS-8 (K-19)やFS9 (F-19)、あるいはFS26 (S-19)に交換[7]している。

なお、K-16の一部には、新造段階でスエーデンSKF社製ローラーベアリングが装着されており、K-16Rと称した。

ブレーキ

ブレーキは当初J動作弁使用のGE社系AVR自動空気ブレーキ(制御管式)が採用されたが、これは後年AMA自動空気ブレーキ(元空気溜管式)に交換されている。

運用

戦前には南海線普通列車運用を中心に、戦後はモハ1501形導入以降、南海線および高野線(区間運転)の共通仕様車として広範に運用された。うち13両[8]は戦後、モハ1501形と同じ国鉄制式のMT40を新規購入して装備[9]し、モハ1551形となりのちに台車も交換している。モハ1551形は南海線のみで使用され、急行列車準急列車にも多く使用された。1955年からはモハ1551形の一部の制御器に弱め界磁付加の上で同系のクハ1901形と共に扉間転換クロスシートを装備し特別塗装に変更した専用編成を用いて、「なると」・「あわ」などの四国連絡急行を中心に充当された。

1970年にモハ2001形が全廃されたため、代わってモハ1551形が国鉄紀勢本線直通のサハ4801形の南海線内牽引を担当するようになり、特急列車に使用されることになった。当初はモハ2001形と同じダイヤで走行するために不経済を承知でモハ1551形のオールMによる4両編成が使用された。だが、1551形は11両しか在籍せず、4両編成を組むと3本中1本が3M1Tとなって残る2編成による限定運用を強いられ、運用効率が悪かった。このため、1970年11月のダイヤ改正で3M1T編成を基準にした運用に改められ、スピードダウンが実施されている。もっとも、1959年に南紀直通用気動車として国鉄キハ55系気動車の同型車キハ5501・5551形が投入されて以降、南紀直通客車は事実上夜行列車こちらを参照されたい)専用となっており、スピードダウンは特に深刻な問題にならなかった。1972年のサハ4801形運用廃止[10]によってこの運用は終了した。

更新修繕

1955年からは疲弊した車体の更新工事が開始され、外板の総張り替え、戸袋窓や前面窓のHゴム固定窓化、側扉のステップ撤去が行われた。また、クハの上り側運転台はこの時撤去され、その跡を完全に客室化して座席も延長した。モハについても、1962年以降に更新された車両については、片側の運転台の撤去[11]を実施し、1969年までの14年間に完了した。さらに、1968年に使用が開始されたATS取り付けに関連してクハ1901形は運転台を完全に撤去してサハ1901形となった。また、両運転台車についても、支線用に一部の車両を残し、片側の運転台を撤去している。なお、クハ1911は1968年に廃車からの電装品により電動車化、室内を改装の上モニ1045形1047となり南海本線の荷物列車に使用された。

昇圧による転用と廃車

1960年代に入り、南海線・高野線の架線電圧を1973年に1500Vに昇圧することが決定したが、本形式はその大半について昇圧対応工事を施工せずにそのまま廃車することが決定され、1971年より地方私鉄への譲渡を伴う廃車が開始された。その一方で、架線電圧600Vのままで存続することになった貴志川線への転用も1973年の昇圧までに実施され、戦前製の車体を維持していたモハ1201形のうち、状態が良かった10両が残されることとなった。

またモハ1551形は、本線運用に残る最後の半鋼製車両として昇圧の間際まで使用されたのち、1973年に全車廃車された。モニ1045形1047も荷物輸送が1973年6月廃止となったため、同年10月23日付廃車となった。

廃車となったモハ1551形の主電動機の一部は、モハ2051形モハ1521形に改造するために転用された。

他社への譲渡

廃車となったモハ1201形10両[12]とサハ1901形2両[13]水間鉄道に、モハ1201形16両[14]京福電気鉄道福井支社にそれぞれ譲渡された。

水間鉄道に譲渡された車両は、入線当初は南海時代の車番・塗装であったが、すぐにモハ501形・サハ581形に改番され、車体塗装もクリーム色とマルーン(のちに赤色に変更)に変更された。

その後、モハ501形の一部は電装解除されてクハ551形となり、さらに車体内外装の更新や塗装変更、雨樋の取り付けなどが実施されて長く使用されたが、1990年の鉄道線の昇圧に伴い、元東急7000系に置き換えられた。クハ553(南海モハ1240)は、現役最終期の塗装のままで水間観音駅構内の車庫で保存されている。

一方、京福電気鉄道に譲渡された車両は、モハ2001形に改番されて使用されたが、車体の老朽化により、全車が1982年から1985年にかけて阪神電気鉄道から譲受した5231形の車体への載せ替え工事を実施され、1985年までに姿を消した。

終焉

ファイル:Nankai 1201 series 1202 in Kaya SL Square.JPG
南海1201形電車モハ1202号(加悦SL広場、京都府与謝野町。喫茶店の一部として利用)

最終的には10両(1201~04,10,13,17,18,34,41)が貴志川線に配置され、それ以外は昇圧に伴い廃車(他社への譲渡を含む)・解体された。

このような、非常に古風な戦前製の電車を動態保存的に運行していたことは、乗客数の著しい減少の一因となった。

このため、本形式では車両の冷房化および速度向上等のサービスアップに対応できず、またその補修部品の確保が次第に困難となりつつあったことなどから、貴志川線近代化の一環として後継の2270系1995年に導入されたため、本系列はここに60年以上の長きに渡った南海での営業運転を終了した。最終的には、南海残留グループが、他社に譲渡された車両群よりも長期に渡って使用され続けたことになる。

廃車後、和歌山県那智勝浦町の「グリーンピア南紀」(モハ1210)と京都府与謝野町加悦鉄道加悦SL広場」(モハ1202)に1両ずつ譲渡され、静態保存されたほか、加悦SL広場には本系列用の汽車製造製K-16台車が一組持ち込まれて保存されている。ただし「グリーンピア南紀」は2003年に運営を停止している。

貴志川線は2006年より和歌山電鐵に経営が移管されている。

脚注

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  1. 貴賓車のクハ1900や、18m級ながらモハ2001形の制御車として運用されたクハ2851形2両、それに1943年の堺東車庫火災復旧車(旧電7系)6両を含む。ただし、火災復旧車は戦災で2両が喪われたため、戦後の実数は70両となる。
  2. 架線電圧が直流600Vの南海鉄道では単純計算で出力75.5kW相当となるが、熱耐性に若干の余裕があったことから1時間定格出力105馬力(78kW)相当として扱われた。後述するモハ1051形への改番も、この馬力表示に由来する。
  3. 本形式の製造第1号にあたるモハ133が含まれ、これはモハ1051へ改番された。
  4. このため、三菱電機としてのMB-280-AFRという型番も与えられていた。
  5. カム機構の構成の相違から、PR-200-N5のみ、ノッチ操作の一部に相違があった。
  6. K-16/D-16を採寸して製造されたコピー品。
  7. 当初FS9 (F-19)を装着した車両は構造に問題があったのか、同じ扶桑→住友製のFS26と汽車KS-8で置き換えて最終的に1551~1558がKS-8、1559~1561がFS26となり、捻出されたFS9はモハ1201形に転用された。また、交換が実施されなかった1562・1563はモハ1201形に戻された。
  8. モハ1201形からの改造車と、クハ1901形からの改造車が混在した。なお、うち2両は後日主電動機をMB-146-SFRに変更してモハ1201形に編入されており、最終期には11両が在籍した。
  9. 戦後の混乱期に、一時モハ1501形用MT40をTR25A(DT13)台車ごとモハ1219・1220に装備して運用したことがあり、この際の運用実績が良好であったことから交換工事が本格化した。
  10. 昇圧工事の最終段階でモハ1551形も淘汰されて客車牽引可能な電車が無くなることと、近く予定されていた難波駅の大改装工事のために牽引用電車の用いる機回り線廃止が決まったことが背景にあった。
  11. モハは奇数車が下り側、偶数車は上り側を、クハは上り側を撤去。
  12. 1206~08,11,12,14,15,37,39,40
  13. 1905,08
  14. 1216,19~21,23,25,26,28,30~33,35,36,38,39


テンプレート:南海電気鉄道の車両 テンプレート:京福電気鉄道の車両