六角精児

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:ActorActress 六角 精児(ろっかく せいじ、本名:山地 克明〈やまじ かつあき〉、1962年6月24日 - )は、日本俳優兵庫県出身[1][2]劇団扉座所属で、マネジメントは舞プロモーションに依頼している。血液型はO型。

来歴

小学生の時に高砂市[3]から神奈川県相模原市へ引越す。関西弁も話せるが、日常生活では関東弁を話す。 実家は居酒屋経営であった。 最初、芝居は好きじゃなかったと言い「中学生の時に演劇部を見たが、あれをやる人の気持ちがわからない」とも語っている[4]。進学した神奈川県立厚木高等学校では、当時生徒全員部活に入部しなければならないという決まりになっており、たまたま誘われた演劇部に入部。この時は「すぐに退部できそうだと思っていた」と言う[4]。しかし、当時の演劇部部長の横内謙介(後の劇団扉座座長)に六角がキャスティングされて出演した舞台が演劇コンクールの全国大会まで進出、結局その後もずっと演劇部には在籍していたが、その後も「早く終わらないかな」などと思っていた一方で「観客の前に立つというドキドキする思いが嫌いじゃなかった」とも語っている[4]。その後、横内を中心としたこの時の演劇部のメンバーで善人会議を創立し、六角も誘われて入団。後に劇団扉座と改名して活動[5]。 なお、姉が同校出身であり同じく同校出身の名取裕子と同級生であった。

大学は最初、日本大学芸術学部を受験。この時の実技テストには、丸太赤ちゃんに見立てて抱く演技、で寒さを表現する演技があったという(この時に、丸太を落として普通に拾ったり、ただ鐘を鳴らして「寒い」と言っただけだった、と語っている)。結局日本大学は不合格となった[4]。浪人生活の後、学習院大学に合格して入学。学習院には、在学していた皇族に興味を持って入ったという。実際に皇太子殿下をトイレで見かけ、秋篠宮殿下とは法学の授業で一緒になったことがあったと言う[4]。しかし大学在学中に、高校の先輩で「善人会議」を主宰する横内謙介の舞台に出演するようになったことで、劇団の活動に時間を取られ2年から進級できず、6年間在籍した後に大学を中退する[4]。20歳頃に、横内に「六角精児」という芸名を付けられる。「とにかくインパクトある名前を」ということで、「精児」は精子に由来しているという[4]

大学入学後からギャンブルにハマる。大学生時代に家庭教師アルバイトはしていたが、これだけでは遊ぶ金には足りず学生ローンで借り続けていたという[4]。ギャンブル依存は借金を完済出来た40代まで続き、消費者金融に500万円、人から借りた金などを合わせて1000万円とも言われたという借金を抱え込む[4]

2006年には1クール内で3本のドラマにレギュラー出演。『電車男』に出演したころからテレビのレギュラー出演が入るようになり、借金の全額返済に成功する。

2009年春、映画『相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿』で主演する。

人物

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • 母親はいわゆる教育ママで、子供の頃から「いい大学、いい会社に入って、世の中の敗者になるな」といつも厳しく言われ続けてきたという。テストは80点以上取らないと怒られ、悪い点数のテストは捨てられたり土に埋められたりされたという[4]
  • 2000年頃から鉄道ファン乗り鉄となる[6]タモリ電車クラブ会員番号No.20。メ〜テレ開局50周年記念ドラマ『名古屋行き最終列車』では鉄道員役を演じた。
  • パチンコ競輪、そして本人いわく“人に言えないようなこと”まで、あらゆるギャンブルにのめり込んでいた時期もあり[4][7]、このままでは生活に支障が出てしまうのではないかとの懸念から、興味の対象を移すために元々好きだった電車ファンで生きていこうとしたという[4]。趣味のギターと歌声もかなりの実力があり、コンサートも行っている[8]
  • 全国の競輪場旅打ちして回ったほどの競輪ファンである[9]
  • ボクシングファンである。
  • パチンコ台に設置されている「玉貸機」を作るアルバイトで生計を立てパチンコ通いを続けた。自分が作った玉貸機にアルバイト代が全額吸い込まれていく姿を見て哀愁を感じた。
  • 相棒』では鑑識課員米沢としてパソコン等を使いこなす演技を見せているが、六角本人はパソコンは全く分からないという[4]。成人向けサイトに接続するため設定を妻に頼んだものの、最後には妻も怒り呆れ作業を投げ出してしまった。今も六角のパソコンはネットに接続できないままだという(本人談[10]。)
  • 松田優作が好きで、小学生の頃は自転車で松田の自宅を探しに行ったり、中学生以降は『暴力教室』『ヨコハマBJブルース』『探偵物語』などの松田主演作品を好み、松田になりきって格好もまねたこともあったという[11]

家族・親族

山地家

昭和2年大阪生まれ[5]。神奈川県相模原市在住[5]。「南朝史」「戦中戦後史」の闇の部分の解明者として著名である[5]。おもな著書に『護良親王の伝説』『昭和史疑』『南朝・最後の証言』など[5]
  • 初婚は20代の時(2年で離婚)で[4]、以後3度の離婚歴があり[12]、3度目の妻との間には長男を儲けている[12]。そのため「20代、30代の頃は辛すぎてよく覚えていない」とも語っている[4]。インタビューでプライベートでの相棒は、7年間以上飼っているであると答えていたが[13]2011年10月に2度目の妻と復縁し、4度目の結婚をしていたことが明らかになった[12]
  • 姉が、名取裕子と高校の同級生であり、自身も後輩である。

出演

テレビドラマ

映画

配信ドラマ

テレビアニメ

ゲーム

ラジオ

  • それ行け!HOMO LUDENS 六角恵畑の、リラックス・デラックス・チューズデイ(FM795、1988年11月 - 1991年3月、毎週火曜日)

CM

その他

著書

  • 三角でもなく 四角でもなく 六角精児(講談社 2012年12月10日発行 ISBN 978-4-06-218117-4)
  • 少し金を貸してくれないか 続・三角でもなく 四角でもなく 六角精児(講談社 2014年3月25日発行 ISBN 978-4-06-218923-1)
  • 六角精児 鉄旅の流儀(JTBパブリッシング 2014年8月20日発行予定 ISBN 978-4-533-09924-3)

脚注

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関連項目

  • 横内謙介 - 扉座主宰の劇作家で、出身高校も同じ。

外部リンク

  • テンプレート:Cite web
  • テンプレート:Cite web
  • 温泉や駅弁より列車に乗るのが最優先…六角精児さん(読売新聞2012年10月24日)
  • 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 4.13 4.14 日刊スポーツ 2013年11月10日芸能面(28面)「日曜日のヒーロー877・六角精児」より。
  • 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 タウンニュース厚木版 2011年5月13日 六角精児さんの父 山地悠一郎さん本で息子を応援
  • “乗り鉄”六角精児、感無量…鉄道専門テレビ、出発進行!(2011年5月23日)
  • Yahoo動画、『GyaO!競輪祭特集は俳優・六角精児さんが登場!あの名選手と夢の対談!』によると、京王閣競輪場でスッカラカンになったため、当時住んでいた笹塚まで徒歩で帰ったというエピソードを披露した。
  • 六角精児:「相棒」鑑識・米沢守で映画初主演 「主役尊敬するようになった」毎日jp毎日新聞社)2009年10月31日
  • GyaO!競輪祭特集は俳優・六角精児さんが登場!あの名選手と夢の対談! - KEIRIN.JP 2011年11月21日付記事
  • テンプレート:Cite web
  • テンプレート:Cite web
  • 12.0 12.1 12.2 六角精児が再婚相手と再々々婚 - nikkansports.com 2011年10月25日閲覧
  • 相棒:スピンオフ主演の六角精児「嫁は変わったが…」私生活の相棒は? 毎日jp(毎日新聞社)2009年10月31日
  • テンプレート:Cite news