六波羅蜜寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:日本の寺院

六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。山号は補陀洛山。本尊十一面観音開基(創建)は空也西国三十三所第17番札所。

歴史

踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。

空也の死後、977年比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛平家一門の屋敷が営まれた。またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近である。

名称は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。 なお、六波羅寺とする表記が古今多く見られるが、誤字である。

伽藍

江戸時代までは大伽藍を連ねたが、明治維新廃仏毀釈を受けて大幅に寺域を縮小した。現在、寺の周囲は民家に囲まれて境内は狭く、主な建物は本堂(南北朝時代、重文)と弁財天堂、宝物収蔵庫のみである。

本堂は、外陣を板敷きとし、蔀戸で仕切られた内陣を一段低い四半敷き土間とする天台式建築で貞治2年(1363年)の再建である。

文化財

ファイル:Jizo Rokuharamitsuji (Unkei attrib).jpg
地蔵菩薩坐像(伝運慶作)

国宝の本尊像以外にも、空也上人像、伝・平清盛像、運慶の真作と見なされる地蔵菩薩坐像など日本彫刻史上著名な仏像、肖像を有する。本尊以外の諸仏は宝物収蔵庫(公開)に安置されている。

国宝

木造十一面観音立像
平安時代。10世紀頃の作風を示し、伝承のとおり、951年に空也が創建した西光寺の本尊像であると思われる。本堂中央の厨子に安置され、12年に一度辰年にのみ開帳される秘仏である。像高258cmの巨像でありながら、頭・体の根幹部を一材から彫り出す一木造とする。表情は温和であり、平安前期彫刻から平安後期の和様彫刻に至る過渡期を代表する作例である。歴史的にも重要な作例として1999年、国宝に指定された。

重要文化財

本堂
木造空也上人立像
鎌倉時代運慶の四男・康勝の作。僧侶の肖像彫刻は坐像に表すものが多いが、本像はわらじ履きで歩く空也の姿を表している。疫病が蔓延していた京の街中を、空也が鉦(かね)を鳴らし、念仏を唱えながら悪疫退散を祈りつつ歩くさまを迫真の描写力で表現している。空也は首から鉦を下げ、右手には鉦を叩くための撞木(しゅもく)、左手には鹿の角のついた杖をもっている。空也の口からは6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されている。6体の阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを視覚的に表現している。六体の小像は針金でつながっている。
木造僧形坐像(伝・平清盛像)
鎌倉時代。平清盛とされる経を持った僧形の像である。
木造地蔵菩薩坐像
鎌倉時代。銘文はないが、寺伝、作風等から運慶作とされる像。運慶一族の菩提寺である地蔵十輪院から移されたとする伝承がある。理知的でさわやかな表情、切れ味するどい衣文などから運慶作とする説がある。
木造伝・運慶坐像、伝・湛慶坐像
鎌倉時代。日本仏像彫刻史上もっとも有名な仏師親子の肖像彫刻とされている。精悍な伝・湛慶像と、老いてまだまだ盛んな巨匠といった風貌の伝・運慶像とそれぞれの個性が表現されている。前記の地蔵菩薩坐像とともに地蔵十輪院に伝わった。
木造四天王立像
平安時代。本尊の十一面観音像とともに、空也による創建期の遺作である。宝物収蔵庫には4体のうちの持国天像と増長天像が安置され、残りの広目天像と多聞天像は京都国立博物館に寄託されている。4体のうち、増長天像のみは鎌倉時代の補作である。
木造薬師如来坐像
平安時代。天台様式がみられ、中信による中興時の像と考えられる。
木造地蔵菩薩立像
平安時代。六波羅地蔵堂に安置されていた。左手に頭髪を持ち、鬘掛(かつらかけ)地蔵と呼ばれ信仰されている。『今昔物語集』にもこの像に関する説話が取り上げられるなど、古来著名な像である。
木造弘法大師坐像
鎌倉時代。快慶の弟子長快 (仏師)の作
木造閻魔王坐像
鎌倉時代
木造吉祥天立像
鎌倉時代

その他、重要有形民俗文化財として、泥塔、皇服茶碗、版木、萬燈会関係用具二千百余点などがある。

文化財損傷問題

  • 2009年4月に、中学校の新校舎建築工事に絡んで実施された、隣接する中学校舎の解体工事で、同寺の収蔵庫内に保管されている空也像が振動で揺れるなどの苦情が、同寺から京都市教育委員会に寄せられた。同市教委は、振動防止用の台を設けるなどして工事を継続し解体を完了したが、その後も、異なる方角に位置する旧小学校者の解体も予定されており、同寺は、同市教委に対し、整備計画の変更などを求めている。また、空也像の唇部分に塗られたの一部が剥がれており、工事による損傷の可能性もあるとして、学校の建設地を変更するよう求めている。これに対して同市教委は、工事による損傷とは考えていないとしている[1]

所在地・アクセス

参考文献

  • 井上靖、塚本善隆監修、杉本苑子、川崎龍性著『古寺巡礼京都25 六波羅蜜寺』、淡交社、1978
  • 竹村俊則『昭和京都名所図会 洛東下』駸々堂、1981
  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 京都府』、角川書店
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館

御詠歌

重くとも 
五つの罪は 
よもあらじ 
六波羅堂へ 
参る身なれば

前後の札所

西国三十三所
16 清水寺 -- 17 六波羅蜜寺 -- 18 頂法寺
洛陽三十三所観音霊場
14 清水寺泰産寺 -- 15 六波羅蜜寺  --  16 仲源寺

関連項目

脚注

  1. 空也像など損傷の恐れ…学校工事見直し求める 読売新聞 2011年6月10日

外部リンク

テンプレート:Sister