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(うるし)とは、ウルシ科ウルシノキ(漆の木;Poison oak)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。塗料とし、漆工などに利用されるほか、接着剤としても利用される。

名称

うるしの語源は「麗し(うるわし)」とも「潤し(うるおし)」ともいわれている。

成分

主成分は漆樹によって異なり、主として日本・中国産漆樹はウルシオール (urushiol)、台湾ベトナム産漆樹はラッコール (laccol)、タイミャンマー産漆樹はチチオール (thitsiol) を主成分とする。漆は油中水球型のエマルションで、有機溶媒に可溶な成分とに可溶な成分、さらにどちらにも不溶な成分とに分けることができる。

空気中の水蒸気が持つ酸素を用い、生漆に含まれる酵素(ラッカーゼ)の触媒作用によって常温重合する酵素酸化、および空気中の酸素による自動酸化により硬化する。酵素酸化は、水酸基部位による反応で、自動酸化はアルキル部位の架橋である。酵素酸化にはある程度の温度と湿度が必要であり、これがうまく進行しないとまったく硬化しない。硬化すると極めて丈夫なものになるが、二重結合を含んでいるため、紫外線によって劣化する。液体の状態で加熱すると酵素が失活するため固まらなくなり、また、樟脳を混ぜると表面張力が大きくなるため、これを利用して漆を塗料として使用する際に油絵のように筆跡を盛り上げる事が出来る。また、マンガン化合物を含む『地の粉』と呼ばれる珪藻土層から採取される土を混ぜることで厚塗りしても硬化しやすくなり、螺鈿に分厚い素材を使う際にこれが用いられる。

金属などに塗った場合、百数十度まで加熱することで焼き付け塗装することもできる。

用途

塗料

最も一般的な用途は塗料として用いることである。漆を塗られた道具を漆器という。黒く輝く漆塗りは伝統工芸としてその美しさと強靱さを評価され、食器や高級家具楽器などに用いられる。

漆は熱や湿気、酸、アルカリにも強い。腐敗防止、防虫の効果もあるため、食器や家具に適している。一方、紫外線を受けると劣化する。また、極度の乾燥状態に長期間曝すと、ひび割れたり、剥れたり、崩れたりする。

塗料としての漆の伝統的な色はであり、黒は酸化鉄粉や、朱漆には弁柄辰砂などが顔料として用いられる。黒漆と朱漆を用いて塗り分けることも行われる。昭和以後は酸化チタン系顔料(レーキ顔料)の登場により、赤と黒以外の色もかなり自由に出せるようになった。

漆を用いた日本の工芸品では京漆器がよく知られており、漆塗りの食器では、輪島塗などが有名。細工の籠を漆で塗り固めるもの(籃胎)や、厚く塗り重ねた漆に彫刻を施す工芸品(彫漆)もある。

碁盤の目も、伝統的な品では黒漆を用いて太刀目盛りという手法で書かれる。

接着剤

江戸時代などには、漆を接着剤として用いることもよく行われた。例えば、小麦粉と漆を練り合わせて、割れた磁器を接着する例がある。硬化には2週間程度を要する。接着後、接着部分の上に黒漆を塗って乾かし、さらに赤漆を塗り、金粉をまぶす手法は金継ぎ(きんつぎ)といい、鑑賞に堪える、ないしは工芸的価値を高めるものとして扱われる。

食用

漆の新芽は食べることができ、味噌汁や天ぷらにすると美味だという。これは元々、漆塗りの職人が漆に対する免疫をつくろうとして食べたのが始まりで、山菜独特のえぐみが非常に少なく食べやすい。

製法

樹液の採取

ウルシ科のウルシノキ(漆の木)やブラックツリーから採取する。ヤマウルシでもうるし成分は採れるが、量が少なく使われない。

対象とする樹の幹の表面に切り込みを入れ、染み出す樹液を、缶などを使って溜める。切り込みの溝にも樹液が溜まっているので、これも合わせて掻き集める。この様に集めた樹液を「あらみ」と呼ぶ。

うるし掻きの方法は、一年で樹幹の全体に傷を付け、うるし液を採り切り、その後萌芽更新のため木を切り倒してしまう「殺掻き(ころしがき)法」が主流である。植付後4-5年ないし6-7年の樹周が20cm内外になる頃、また、樹齢の大きいものでは樹液が盛んに流動する5-6月頃から11月中旬に採液を行う[1]。他には、数年に渡って採り続ける「養生掻き法」がある。

以下、殺掻きの採取法について記す。まず外皮を削り取り、樹幹の地上25cmの箇所から梢方に35cmほどの間隔で樹幹の一側面に長さ2cm余の横溝をつけ(これを検付という)、次に反対面にもまた表面検付間のほぼ中央から検付を施し、梢方に向かって表面と同様に行ない、螺旋状に傷を付ける(幹囲22-25cmの樹では樹の一方の側面からのみ採液し、これを「一腹掻」といい、幹囲27-45cmくらいのものは両面より採液し、これを「二腹掻」といい、幹囲のさらに大きいものは三腹掻を行なう)。

傷の長さは2-3cm、深さは6mm、検付の数は、周囲22-25cmくらいのものでは9-11箇所、検付が終れば溝の上部6-9mmばかりの箇所にさらに横溝を付け、次に材部にまで達する傷を与え、流出する灰白色の乳状の液を漆壺内に採集する。掻工は、一日に全担当樹の4分の1を採液し、全樹の採液が終わったら元の樹に返り、旧検付の上方6-9mmばかりの箇所に横溝を施して採液し、以上の作業を幾回も繰り返す。

溝の長さは回ごとに長くし、秋の彼岸までに十数回から二十数回の横溝を画して採液する(これを辺掻または本掻という)。

最下部は、表裏両面ともに検付の上下に横溝を施し、すると傷の配列は中央のくびれた鼓状をなすので、鼓掻といい、辺掻と区別される。

辺掻で得た液は初漆(6月中旬から7月中旬までに採集したもの)、盛漆(7月中旬から9月中旬までに採集したもの)、末漆(9月初旬から秋彼岸までに採集したもの)に区別される。

辺付が終わったら、検付の下部および幹の細い部分から採液し(この液は裏あるいは裏漆という)、さらに幹面不傷の部を選んで採液し(この液を止あるいは留漆という)、また枝を伐採し小刀で傷を付け採液する。

採液がことごとく終了したら、樹幹を伐採し根株から発芽させ新林に備えることとする。

採液の収量は、樹幹18cmのもの110g内外、樹幹21cmのもの125g内外、樹幹24cmのもの140g内外、樹幹27cmのもの190g内外、樹幹30cmのもの245g内外、樹幹36cmのもの375g内外、樹幹42cmのもの490g内外、樹幹51cmのもの750g内外、樹幹66cmのもの1,540g内外である。ただし、樹齢、土質、気候、掻方などにより多少異なる。

漆の精製

あらみには、樹皮やゴミなどが混ざっているので、まず少し加熱して流動性を上げてから濾過をする。現在は、綿を加えた上で、遠心分離器で分離する方法も使われている。濾過が終わったものは生漆(きうるし)と呼ぶ。

生漆の精製は、攪拌して成分を均一にして粒子を細かくする「なやし」と天日などで低温で水分を蒸発させる「くろめ」という2つの工程に分類される。また、これらの工程で用途や品質に合わせて油分や鉄分等の添加剤が加えられて精製漆となる。

精製時に鉄分を加えると、ウルシオールなどとの化学反応で、黒い色を出す事ができ、黒漆(くろうるし)となるが、鉄分を加えないと色の薄い透漆(すきうるし)となる。

精製漆には有油系と無油系の2系統に大きく分類される。一般に有油系は発色・つやが良く加飾や上塗りに用いられる。無油系は研磨(研ぎ出しや蝋色仕上げなど)に向いている。

精製が終わった透漆には、必要に応じて朱色辰砂)などの顔料を加えて色を付けて使用する。

主な漆の種類

基本的に用途と品質(等級)によって分類される。地域や業者によって名称が異なる場合もある。

  • 生漆系:生漆、船漆、錆(下地)漆、生上味漆(高品質なもの)
  • 無油系:素黒目漆、木地呂漆、赤呂漆、黒呂色漆、梨地漆
  • 有油系:朱合漆、箔下漆、春慶漆

漆とかぶれ

生の漆が肌につくとかぶれるが、これはウルシオールによるアレルギー反応である。ウルシオールのアレルギーを持つ人は、漆の木の近くを通過しただけでもかぶれることがある。果物のマンゴーウルシ科の植物で、人によってはかぶれる事がある。かぶれの程度と症状は、人によって実にさまざまである。初めは漆が付着した部分のみであるが、掻いたり刺激することで徐々に蔓延し、酷い場合には全身にまで広がる。効果のある薬剤などは今のところなく、漆に触れないことが重要である。漆職人など業務上漆を扱う必要がある者の間では、漆のかぶれには耐性が生じることが経験的に知られている。そのため、新規入門者には漆を舐めさせるなどして重度のかぶれを人為的に経験させる対処法が伝統的に存在する。

漆器ではかぶれることは無いが、まれに、作られて間もない場合、かぶれる事もある。これは重合され残ったウルシオールが揮発するためである。十分に重合が進んでいれば、かぶれることはない。

古来人々は、漆には特別な力があるとされ魔除けとして重宝されてきた。触ると酷くかぶれる漆には、邪悪なものを寄せ付けない力があると考えられたからだと思われる。

漆にかぶれた場合は、ワラビの根を煎じた汁、煮た沢蟹の汁、硼酸水などを患部に塗る民間療法がある。

漆にまつわる歴史・伝承

漆の利用史

日本列島における漆の利用は縄文時代から開始され、土器の接着・装飾に使われているほか、木製品に漆を塗ったものや、クシなど装身具に塗ったものも出土している。漆製品は縄文早期から出土し、縄文時代を通じて出土事例が見られる。2000年に北海道函館市で実施された垣ノ島B遺跡の調査で、出土した漆塗りの副葬品が約9000年前に作られたものであったことが明らかになった。これが現存する最古の漆塗り製品である。[2]弥生時代の遺跡からは漆製品の出土は少なく、塗装技術も縄文段階と異なる簡略化されたものが多い。弥生時代からは武器への漆塗装が見られ、古墳時代には皮革製品鉄製品などへの加工も行われている。古墳時代に至るとを漆で塗装した漆棺の存在も見られる。

古代には漆容器の蓋紙に廃棄文書を転用することが行われているが、漆の浸潤した廃棄文書は漆紙文書と呼ばれる。漆紙文書は土中においても遺存しやすくなり、木簡墨書土器と並ぶ出土文字資料として注目されている。

奈良時代には漆製品も存在し、良質な漆液を用い手間をかけて製作した堅地漆器は貴重品として貴族階級が用い、一方で漆の使用量を減らし炭粉渋地(炭粉柿渋を混ぜた下地)を用い大量生産された普及型漆器は庶民が用いたが、漆絵蒔絵で装飾したものも見られる。

中世には林産資源のひとつとして漆の採取が行われており、甲斐国では守護武田氏が漆の納入を求めている文書が残され(永禄3年武田家朱印状「桑原家文書」『山梨県史』資料編4(県内文書)所載)、『甲陽軍鑑』では武田信玄織田信長に漆を贈答した逸話が記されている[3]

漆塗起源の伝承

『以呂波字類抄』に、日本における漆塗の起源として次のような話が載っている。

倭武皇子(やまとたけるのみこ)は、宇陀の阿貴山で猟をしていたとき大猪を射たが、仕留めることができなかった。漆の木を折ってその汁を矢先に塗って再び射ると、とどめを刺すことができた。そのとき汁で皇子の手が黒く染まった。部下に木の汁を集めさせ、持っていた物に塗ると美しく染まった。そこでこの地を漆河原(現在の奈良県宇陀市大宇陀嬉河原(うれしがわら))と名附け、漆の木が自生している曽爾郷に漆部造(ぬりべのみやつこ)を置いた。

即身仏と漆

自分自身のミイラを仏像、すなわち即身仏とした修行者達は身体の防腐のために予めタンパク質含有量の少ない木の実のみを食する「木食」を行うと共に、「入定」(死して即身仏となること)の直前に漆を飲んでその防腐作用を利用したという。

脚注

  1. 漆の造り方,林野庁
  2. 垣ノ島B遺跡 (北海道函館市 北の縄文CLUB「最古の漆塗り製品」2012年2月19日閲覧)
  3. 白水智「産業の発達と物資の流通」『山梨県史』通史編2(中世)

関連項目

外部リンク

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