九十九電機

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テンプレート:Infobox 九十九電機(つくもでんき)は、

  1. ヤマダ電機グループの株式会社Project White(プロジェクト・ホワイト、Project White Co., Ltd.)が運営する日本パソコン量販店チェーンストアパソコンショップ)。秋葉原電気街を本拠地とする。
  2. 1.の前身で、2009年3月7日まで同事業を営んでいた九十九電機株式会社。現在は清算法人

本項では両者について扱う。

愛称ツクモTSUKUMO99

概要

1947年3月11日、鈴木勇が秋葉原(末広町)において創業。部品も含めた無線機器の販売店として地位を築いてきた。

次百(つぐもも)」の転訛が店名「九十九」(つくも)である。

9世紀から10世紀前半にかけて編まれた伊勢物語第六十三段、 テンプレート:Quotation

店名として「九十九(次百)」と命名したのは、「次が百である」すなわち「百(=完全、完璧)を目指す姿勢を常に保つ」=「常に努力を続ける」という理念を表している[1]

現在、インターネットによる通販販売を行っているほか、実店舗を東京・秋葉原に複数の店舗を構えている。秋葉原の他にも名古屋の大須や、札幌市に店舗がある。

かつて、「JA1ZSB」というコールサインのアマチュア無線クラブ局があった。(このコールサインは再免許されておらず廃局の状態)アマチュア無線機器の取り扱いは2007年の万世店、5号店の閉店と共に中止し、現在はツクモオリジナルのパソコン(同社はex.COMPUTERと呼んでいる)と、パーツ類を取扱商品の主体としている。

沿革

1968年、アマチュア無線機器販売を開始。アマチュア無線は1980年頃までがピークで九十九電気も複数の取り扱い店舗があったが、その後店舗はパソコンの販売に変わっていった。

1977年、アップルの販売を開始。以後、PC-8000シリーズなどのパソコン販売を続けていた。パソコンの発売にあたって、女性従業員を大量に採用し、「マイコンガール」と命名し、店員が全て女性で構成されている「ツクモ7号店」を開店。現在でこそパソコンショップの女性店員は珍しくないが、当時においては画期的な試みであった。これ以前に、秋葉原において大規模に女性従業員が活躍した事例はなく、現在に至る秋葉原の「アキバ系」「萌え」の原点と言われる。

1990年代には秋葉原パソコン販売四天王の一つとして認知されるに至った。

1991年、大規模小売店舗法の改正にあわせ、ツクモパソコン本店(現在のツクモパソコン本店1)を開店。開店時は法施行直前だった。同時期に、当時19歳だった東宝芸能のアイドル女優、越智静香をイメージガールに起用し、広告展開を図った。イメージガールのプロデュースにあたったのは、後に映画プロデューサーとして有名になる小滝祥平氏。小滝氏のアイディアにより、大規模小売店舗法が施行された後に店舗スペースとして利用するために空けていた地下フロアにおいて、越智静香の歌とトークのイベントを行った。これより以前、他社を含む秋葉原のビルのどのフロアにも、このようなイベントを行える空間は存在していなかった。これが、秋葉原の店舗フロアで行われた、事実上初のアイドルイベントである。

1997年、創業者・鈴木勇(当時・代表取締役会長)が死去。

2002年から2007年までは石丸電気と資本・業務提携したが、後に述べるとおり石丸はエディオンに、九十九はヤマダにと別々の道を歩むことになった。

2007年、アマチュア無線機器の店舗を閉鎖し、取り扱いは中止した。

2008年10月30日に、民事再生手続開始の申し立てを行い、事実上の倒産。負債総額は約110億円であった。バブル期の不動産取得や業務拡大に伴う借入金が主原因としている。同年11月5日、民事再生手続の開始決定がなされた[2]

2009年1月6日に、ヤマダ電機へ事業譲渡することで基本合意[3]し、同年3月10日に、ヤマダ電機が新設した子会社株式会社Project White事業譲渡された[4]。登記簿によれば同年6月9日付で法人は解散し、2010年4月現在清算手続中である。

なお、オーナーのヤマダ電機はサトームセンからの転換店舗としてすでに秋葉原に出店しているが、既存店と共存している(秋葉原のヤマダ電機は既製品のパソコンを中心とした品揃えであるため、パソコンパーツ主体の九十九と差別化ができている)。

店舗

ファイル:Tsukumo Computer Shop-2007.jpg
ツクモeX パソコン専門店

営業中の店舗

営業している店舗のうち、DOS/Vパソコン館は旧ツクモAV/カメラ館が改称したもの。TSUKUMO eX.店の入るビルはかつてのT-ZONE本店であった。

名古屋店、札幌店は2008年の九十九電気営業時の経営悪化時に閉店になったが、その後各1店舗ずつ店舗の所在地は変わったものの復活して再度、開店している。 テンプレート:Main2

閉店した店舗

ポイントサービス

ツクモ店舗(実店舗もネット通販も含む)のみで使用できるツクモeX.ポイントカードというカードを独自に発行している(独立企業時代に発行していたツクモeX.カードは廃止された)。

以前は、親会社ヤマダ電機やかつての提携企業石丸電気のポイントを相互に使用できたが、現在は相互利用を終了している。ただし、大阪なんば店閉店に伴ってツクモが大阪地区から撤退した際に、救済措置としてツクモポイントをヤマダポイントに移行する手続きを行っていたことがあった。

かつて行っていた事業

いずれも独立企業だったころの事業で、現在は行っていない。

携帯電話キャリア販売拠点

秋葉原にあったソフトバンクショップ。2008年4月22日閉店。その後、一部店舗で携帯電話販売コーナーが復活[5]

ソフトウェア

パソコンゲームを販売。ブランド名は「ツクモオリジナルソフト」。

特にPC-8001用に機械語でプログラムされたゲームは『スーパースタートレック』『スーパーインベーダー』などスーパーが付くのが特徴で、当時の他のマイコンショップのソフトより抜きん出ていた。この時のプログラマーは、後に「I/O」で有名なアマチェア投稿者となる、芸夢狂人である。

その後は、『ウルトラ四人麻雀』(田口昭次作)や同人ソフトが元となった『魔法使いの妹子』などを販売した。

X68000用ハードウェア

周辺機器を自主生産していた。松岡伸明による設計。最も遅くまでX68000用のハードを扱っていた店となった。

  • TS-3XR X680x0用外付け増設3.5インチ FDドライブ。
  • TS-6BE6DE X68000Compact用6MBメモリ& FPUボード。FPUにはMC68882を使用。
  • TS-6BE16 Xe30 16MBメモリボード。12MBを越えるメモリについてはHIMEM.SYSという添付ドライバを利用。
  • TS-6BE16 CZ50 16MBメモリボード。12MBを越えるメモリについてはHIMEM.SYSという添付ドライバを利用。
  • TS-6BGA グラフィックアクセラレータ+PCMボード。グラフィックチップにGD-5434、PCMにPCM69を使用。
  • TS-6BS1/Mk-II/Mk-II' X680x0用SCSIボード。MK-IIにはメモリ増設用72PinSIMMソケットが装備。
  • TS-JPIFE X680x0用ジョイスティックパラレルインターフェィス。EPSONスキャナー対応。
  • TS-JPIFS X680x0用ジョイスティックパラレルインターフェィス。シャープCZ-8NS1対応。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:日本の家電量販店

テンプレート:パソコンショップチェーン
  1. 人の名を「九十九」と命名することがあるが、そのような意味を持たせているのである。
  2. 2008年11月21日、NECリース株式会社が在庫商品に対して担保権を実行し、商品を借金のカタとして引き上げてしまったため、一時休業に追い込まれるが、同月26日に営業再開。
    なお、高田馬場店、町田店、梅田店は、同年12月末から営業規模を縮小し、翌年2009年1月22日に閉店(高田馬場店は2009年1月15日閉店)した。
  3. 九十九電機株式会社の事業譲受けに関する契約締結のお知らせ ヤマダ電機・プレスリリース2009年1月31日
  4. 事業譲渡の準備のため、3月8日から13日まで完全休業した。倒産からProject Whiteに移管されるまでの間に2回休業している。
  5. 以前の様にソフトバンクショップではなく、PHSを除く全キャリアの製品を取り扱っている。