ワシントン・ステカネロ・セルケイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:サッカー選手 ワシントン・ステカネラ・セルケイラ(Washington Stecanela Cerqueira, 1975年4月1日 - )は、ブラジルリオグランデ・ド・スル州カシアス出身の元同国代表の元サッカー選手(フォワード)。

来歴

SCインテルナシオナルグレミオトルコフェネルバフチェSK等の名門クラブに在籍して活躍。フェネルバフチェ在籍時には、UEFAチャンピオンズリーグの予選で当時小野伸二が在籍していたフェイエノールトと対戦した。しかし、クラブは本選には進めなかった。サッカーブラジル代表としても10試合3得点の成績を残しており、2001年日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2001にも出場した。

フェネルバフチェ入団直後の2002年11月に練習後に胸痛を訴え、虚血性心疾患と診断され、その後2度にわたり経皮的冠動脈形成術を受けた。クラブ側が契約解除するなど一時は選手生命も危ぶまれたが、開胸せずに済んだこともありリハビリを経て復活。2004年に加入したブラジルのアトレチコ・パラナエンセでは、復帰戦でいきなりゴールするなど38試合で34得点を挙げ、ブラジル全国選手権の得点記録を塗り替えて得点王に輝いた。

2005年より東京ヴェルディ1969に加入。リーグ戦で22得点を挙げるもチームは降格、契約非更新により退団し、翌2006年浦和レッズに加入、26得点を挙げガンバ大阪マグノ・アウベスと共に得点王に輝き優勝に貢献した。

しかし2007年、浦和の監督に就任したホルガー・オジェックと起用法などで対立し、以下の様な造反行為を繰り返した。

  • 自身の交代指令に激昂し、傍らにあった給水用ペットボトルを蹴散らし、ユニフォームを脱いでベンチ方向へ投げつける。
  • 同じく交代指令に激昂し、手首のテーピングを怒り任せに剥がしピッチに叩き付ける。
  • 休養の指示を無視し練習を行う。(ちなみにこの際は週末に行われた試合の遠征帯同メンバーから外された。)
  • PK獲得時に「ロブソン・ポンテに蹴らせろ」という指示を無視して自身でPKを蹴る。

また、Jリーグ在籍3年目を迎えた事によって対戦相手のワシントンに対する研究が進み、マークが厳しくなった影響で前年までの爆発的な得点力を発揮出来なくなっていた。結局、これらがきっかけとなり、AFCチャンピオンズリーグ制覇やFIFAクラブワールドカップでの3位獲得に貢献したものの、クラブは契約更新を行わず、浦和を退団した。

2008年、6年ぶりに母国ブラジルへ帰国しフルミネンセFCに所属。1年目にしてブラジル全国選手権の得点王を獲得。

2009年1月、前年度の活躍が認められ、ブラジル全国選手権3連覇中の王者サンパウロFCへと移籍した。

2010年7月、フルミネンセへ再移籍した[1]。元浦和のエメルソンとチームメイトとなり、8月1日に行われたアトレチコ・パラナエンセとの試合ではエメルソンと共に出場し、ワシントンが2点、エメルソンが1点を取り、3-1で勝利。チーム26年ぶりのリーグ優勝を決めた最終節では、エメルソンの決勝点をアシストした[2]

2011年1月、メディカルチェックでかねてから不安視されていた心臓に問題が見つかったため、現役を引退すると発表した[3]

2012年、カシアス・ド・スル(Caxias do Sul)市議を務める。

エピソード・人物

  • 普段は物静かな人物で「趣味は読書」「外出するのはそれほど好きじゃない」と語る。
  • 若い頃から怪我や病気には悩まされ、両足の骨折や糖尿病を発症したこともある。そして心臓は今なお執刀医の検査をしなければならず、2006年の天皇杯を戦う浦和を後にクリスマス休暇で帰国したのも最大の理由は検査のためだった。
  • パフォーマンスはユニフォームのエンブレムがついていることが多く、そして心臓のある左胸を叩くもの。心疾患から復帰したアトレチコ・パラナエンセで始めた。
  • 東京V在籍時、交代枠がない中でGKが退場し、急遽GKを務めたことがあり、この試合でPKを蹴ったキッカーの小笠原満男はシュートをポストに当てて外しはしたが、ワシントンはシュートコースを読みきっていた。
  • ちなみにこの時本来ならこの試合のサブGKからGK用のユニフォームを借り、着用してプレーするのが普通だが、ワシントンはこの時ユニフォームを借りず、グローブのみを着用してPKに臨んでいた。(その試合で使ったグローブは自身が経営するバーに飾ってある)。
  • 2006年と2007年のオフの日は、古巣の東京Vの試合を現地観戦していた。
  • 浦和に入団した2006年、一部の浦和サポーターが、ワシントンが心臓病を克服した選手であることから、ワシントンがゴールを決めるごとに日本心臓財団に寄付を行うチャリティー活動を始めた。この活動は賛同者を多く集め、最終的に100万円を超える額が寄付され、日本心臓財団からワシントンに感謝状が送られた。この活動を全く知らなかったワシントンは当初不思議に思ったが、詳細を聞くと涙を流して喜び、サポーターに感謝した。これをきっかけに浦和と日本心臓財団には交流が生まれ、ワシントンが退団した2008年以降も寄付活動やスタジアムでのチャリティーイベントは続いている。
  • 2006年に共にJ1リーグ得点王に輝いたマグノ・アウベスとは2001年のFIFAコンフェデレーションズカップで2トップを組んだ仲であり、彼のことを「素晴らしいストライカー」と評している。
  • ペナルティキックがあまり得意な選手ではない。2005年東京V在籍時には、開幕戦と、負ければJ2降格という重要な試合でもPKを外している。2006年11月23日甲府戦では1試合で2本のPKを立て続けにGKの阿部謙作にセーブされた。その後もキッカーは務めるものの決定率は高いとは言えず、2007年6月20日神戸戦でも田中達也が得たPKをワシントンが蹴ったが外し、同試合でまたも田中が2度目のPKを得ると今度はポンテがキッカーを務めてしっかり決めたということがあった。また、2008年7月2日リベルタドーレス杯2008決勝第二レグ後のPK戦でも、フルミネンセ4人目のキッカーを務めたワシントンのシュートがキーパーに止められて決着し、初の南米クラブ王者獲得の機会を逃す結果となった。
  • ポルトガル語に基づく渾名は本来「シトン」が定番だが、Jリーグクラブに加入後のJリーグ選手(サポーター)らがつけた渾名は「ワシ」又は「ワッシー」で、本人は内心首を傾げているが呼びかけには応じている。

所属クラブ

個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1991||rowspan="7"|カシアス|||||||||||||||||||| |- |1992|||||||||||||||||||| |- |1993|||||||||||||||||||| |- |1994|||||||||||||||||||| |- |1995|||||||||||||||||||| |- |1996|||||||||||||||||||| |- |1997|||||||||||||||||||| |- |1997||インテルナシオナル|||||||||||||||||||| |- |1997||グレミオ|||||||||||||||||||| |- |1998||ポンチ・プレッタ|||||||||||||||||||| |- |1998||カシアス|||||||||||||||||||| |- |1999||rowspan="2"|パラナ||||rowspan="5"|セリエA||20||10|||||||||||| |- |2000||||0||0|||||||||||| |- |2000||rowspan="3"|ポンチ・プレッタ||||23||16|||||||||||| |- |2001||||24||18|||||||||||| |- |2002||||0||0|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2002-03||rowspan="2"|フェネルバフチェ||||rowspan="2"|シュペルリガ||12||9|||||||||||| |- |2003-04||||0||0|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2004||アトレチコ-PR||||セリエA||38||34|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2005||東京V||9||rowspan="3"|J1||33||22||5||5||1||0||39||27 |- |2006||rowspan="2"|浦和||rowspan="2"|21||26||26||6||9||2||3||34||38 |- |2007||26||16||0||0||0||0||26||16 テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2008||フルミネンセFC||rowspan="4"|9||rowspan="4"|セリエA||28||21|||||||||||| |- |2009||rowspan="2"|サンパウロFC||33||17|||||||||||| |- |2010||6||2|||||||||||| |- |2010||フルミネンセFC||26||8|||||||||||| |- テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始198||126|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行12||9|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行85||64||11||14||3||3||99||81 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終295||199|||||||||||| |} その他の公式戦

  • 2005年
  • 2006年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2007年
    • スーパーカップ 1試合0得点

テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2007年||浦和||21||10||1||3||3 |- !通算!!colspan="2"|AFC |10||1||3||3 |} その他の国際公式戦

代表歴

タイトル

個人

クラブ

浦和レッドダイアモンズ
フルミネンセFC

脚注

  1. Fluminense acerta volta de Washington
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web

テンプレート:Navboxes テンプレート:FIFAコンフェデレーションズカップ2001ブラジル代表