ライダイハン

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テンプレート:特殊文字 テンプレート:Infobox 民族 テンプレート:Infobox テンプレート:ベトナムの事物 ライダイハンLai Đại Hànテンプレート:拡張漢字大韓)とは、大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供、あるいはパリ協定による韓国軍の撤退とその後の南ベトナム政府の崩壊により取り残された「軍の子」の意味で、迫害された[1]

ライ「テンプレート:拡張漢字チュノム表記、U+24CC6、「男」偏に「來」旁[2])」はベトナム語動物を含む「混血雑種」を意味する蔑称[1]、ダイハンは「大韓」(:대한)のベトナム語読みであるが、卑語であることから「ライダイハン」という語そのものがベトナムの公式文書に現れる例は少ない[3]。韓国では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」(テンプレート:Ko)のように発音される。

ベトナムと韓国が1992年経済交流を再開して後に発生した混血児は「新ライダイハン」と呼ばれる[1]

ライダイハンの数と原因

ライダイハンの正確な数は、諸説ありはっきりしない。1500人(朝日新聞・1995年5月2日)、2千人(野村進)、最小5千人・最大3万人(釜山日報[1]、7千人、1万人以上(名越二荒之助[4]など)などの説がある。彼(彼女)らの中には父親の記憶を持たず、朝鮮語を話せず、写真だけが唯一残された思い出という者がいる。[5]韓国との混血児は名乗りでないとの主張もある[4]正確な調査が行われないまま、援助団体が支援を主張したため、数が膨れ上がったとの批判もある[6] 原因については韓国軍兵士による強姦、兵士や民間人が「『妻』と子供を捨てて無責任にも韓国に帰国したこと[1]」とする現地婚[7]、「ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。[4]」とする慰安婦(非管理売春)などと複数のことが言われている。

ただし、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、韓国軍による拷問虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていた[4]ことは事実であり、各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する強姦が挙げられている[8]

戦闘終了後の治安維持期に入って、ようやく韓国軍は表向きに兵士の行動を律したが、その後も猛虎師団英語版)、青龍師団英語版)、白馬師団英語版)などの兵士が村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している[9]。他方、韓国軍の兵士がベトナム人の母と子を置き捨てて帰国したため、軍司令部が再志願させてベトナムに戻し、結婚式を挙げさせた旨が伝えられている[9]

背景

当時、韓国の朴正煕政権は反共を国是とし、分断国家としてのシンパシーを訴えて派兵を推進した。安聖基は「参加する方では『男に生まれたからには、一度は戦場に赴かねば』という気風がありました」とも指摘している[10]。南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ31万名。最盛期には5万名を数えた。また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本出稼ぎ民間人も進出し、これも最盛期には2万人近く[11]がベトナムに赴いた。

一説には韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムではごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っていると主張する人もいるが[12]実数に関する明確な証拠、文章が残っているわけではない。

こうした中でライダイハンは、これら韓国人男性とベトナム人女性との間に生まれた[7]

兵士や出稼ぎの民間人による本国への送金は、年に1億2千万ドルを数え、1969年の韓国の外貨収入の2割に達した[11]アメリカによる軍事・経済援助、日韓基本条約による資金援助と合わせて、漢江の奇跡の基礎となった。

引用

韓国軍の虐殺行為

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虐殺行為の詳細

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韓国政府の対応

ライダイハンが表面化した後も、韓国政府による積極的な援護策は取られていない。しかし韓国の民間団体[1]キリスト教団体とベトナム政府の支援により、支援施設(職業訓練学校)が設立され[13]、無償での職業訓練と朝鮮語の教育が行われた。ただし、ライダイハンの支援よりも、ベトナム国民を対象とした活動になっているとの批判がある[6]

ライダイハン自身が、韓国人である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得する動きもある[14]盧武鉉政権は2006年に、写真など客観的に立証できる手段があれば韓国の国籍を付与する法案を検討するとした[15]

なお、韓国政府は2009年にベトナム戦争の解釈をめぐってベトナム政府と衝突するという事件があった。2009年に韓国の国家報勲処が国家報勲制度の改定作業を行い、国会に法案改正の趣旨説明文書を提出した。この文書でベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現したことにベトナムが、「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と猛反発し、予定された李明博大統領のベトナム訪問も拒否する方針を伝えた。韓国側は、柳明桓外交通商相をベトナムに派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束し、李大統領のベトナム訪問を予定通り実現させた。一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と批判した[16]

韓国政府は、ベトナムでの虐殺や強姦など、自国の過去の蛮行を公式に認めようとしていない。韓国兵の行為にはメディアも人権活動家も目を向けなかった。その根底には、韓国人の、ベトナム人に対する人種差別意識が原因との見方もある[17]

韓国マスメディアの反応

後の韓国大統領である全斗煥は白馬師団第29連隊長として[18]盧泰愚と同様にベトナム派兵で活躍した指揮官だった。最大の圧力団体である軍部の存在もあって、韓国ではベトナム戦争を批判的に取り上げることをタブー視する雰囲気が存在した[19]。しかし後年、徐々に国民の意識が変わり、SBSでライダイハンをテーマとしたドキュメンタリー『大韓の涙』が放送された[20][21]

リベラル紙を発行するハンギョレ社は、1999年5月に自社の週刊誌『ハンギョレ21』にて掲載した記事を皮切りに、ベトナムでの韓国の戦争犯罪やライダイハン問題をたびたび取り上げ、韓国の世論に衝撃を与えた[19]。これに対し、韓国の海兵隊の退役軍人にて組織される「枯葉剤戦友会」などの団体は、2000年6月27日に2400名という大集団を率いてハンギョレ社を襲撃した。彼らは同社内のあらゆる事務機器を破壊し、同社幹部を監禁し、同社の従業員十数名を負傷させた[19][22]。これだけの不当かつ大規模な暴力事件が生じたにもかかわらず、警察に連行されたのはわずか42名に留まり、身柄を拘束された者は4名のみであった[22]

フィクションでは、2007年にSBS放送で、新ライダイハンがヒロインの連続テレビドラマ黄金の新婦』が放送された[23]

アメラジアン

戦時下のベトナムにおいては、アメリカ軍兵士とベトナム人女性との間にも多くの二世(Lai Mỹ/ テンプレート:拡張漢字、ライミー)が産まれた。一説には1万5千人ないし2万人と言われる。詳しくはアメラジアンを参照のこと。

統一後のベトナムでは、当初、ライダイハン同様に「敵国の子」とされ、迫害の対象となった。1987年アメリカ政府は混血児とその家族の移住を受け入れ始めたが、なおベトナムに留まる者も多かった[24]。しかし、その後、越中戦争(中越戦争とも)において中華人民共和国と敵対した関係から西側諸国とベトナムとの関係改善が割合早期に行われたことなどから、ライダイハンほど激しくはなく、ドイモイ以降の政府の親米路線により激しい迫害は見られなくなった。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 野村進 『コリアン世界の旅』、講談社、1996年、ISBN 978-4062080118。
  • 名越二荒之助 『日韓共鳴二千年史』、670-675頁、明成社、2002年、ISBN 978-4944219117。なお、同著は『日韓2000年の真実 -写真400枚が語る両国民へのメッセージ』(1997年)を改題改訂したもの。
  • 宮崎真子 「『ホワイト・バッジ』にみる韓国社会」、『世界』、岩波書店、1993年8月。
  • 朝日新聞 1992年4月24日及び12月23日、1995年5月2日、1999年1月8日。
  • ニューズウィーク日本版2000年4月12日号 P.24『私の村は地獄になった
  • 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年
  • 木村幹『韓国現代史――大統領たちの栄光と蹉跌』中公新書、2008年、ISBN 9784121019592
  • 伊藤千尋「たたかう新聞 「ハンギョレ」の12年」『岩波ブックレット No.526』 岩波書店 東京 2001年

関連項目

テンプレート:朝鮮民族のディアスポラ

テンプレート:在外ベトナム人
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 "[[[:テンプレート:Ko]] <17> テンプレート:Ko]" - テンプレート:Ko教授の東南アジアのぞき見ること <17> ライダイハン問題 テンプレート:Ko icon、釜山日報、2004年9月18日
  2. http://glyphwiki.org/wiki/u24cc6
  3. Trọng Dật Dương 300 câu hỏi, 300 năm Sài Gòn TP. Hò̂ Chí Minh 1998 "Nhũng bộ Phim như "Người tình" (Pháp), “Lai Đại Hàn" (Hàn Quốc), "Miền Nam Xa Xưa" (Pháp), “Ba mùa" (Mỹ)... từng được thực hiện ở đây. 211. llạll chiêu hong llill nllãt Trước 1975, cả thành phố có 51 rạp chiếu bóng. Trong số này, có rạp ..."
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 名越二荒之助 『日韓2000年の真実』〜ベトナムの方がのべる韓国の残虐行為〜、2002年、672頁。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "nagoshi"が異なる内容で複数回定義されています
  5. 宮崎真子、1993年、265頁。
  6. 6.0 6.1 コ・ギョンテ "テンプレート:Ko" - ライダイハンを売るな テンプレート:Ko icon、『ハンギョレ21』第258号(電子版)、1999年5月20日。
  7. 7.0 7.1 野村進によれば、これら混血児たちの父親の90パーセントは韓国のビジネスマンであり、ベトナム人女性との間に子供をもうけた後に「母子を置き去りにして帰国してしまった」例が多いという。『コリアン世界の旅』 講談社、1996年、173頁。
  8. 『ハンギョレ21』256号、1999年5月6日。
  9. 9.0 9.1 亀山旭 『ベトナム戦争 -サイゴン・ソウル・東京-』、岩波書店岩波新書〉、1972年、p.127。第五章「ベトナムの韓国軍」では、戦時下の南ベトナムと、韓国軍や韓国人の関わりを知ることができる。『週刊アンポ』第6号(1970年1月26日)の版がベ平連のサイト[1]で読めるが、岩波版と記述に一部差異あり。
  10. 宮崎真子、1993年、263頁。
  11. 11.0 11.1 松岡完 『ベトナム戦争 - 誤算と誤解の戦場』、219頁、中央公論新社中公新書〉、2001年、ISBN 978-4121015969。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "Matsuoka"が異なる内容で複数回定義されています
  12. 『親日派のための弁明』金完燮(草思社)
  13. 野村進 『コリアン世界の旅』より。第六章「サイゴンに帰ってきた韓国兵たち」で韓国のキリスト教団体が設立した「職業訓練学校」を訪問している。
  14. "韓国人・ベトナム女性との子ども「ライタイハン」ルーツ探し訴訟相次ぐ" テンプレート:Ja icon東亜日報、2002年7月26日。
  15. "テンプレート:Ko" - 「ライダイハン」韓国国籍付与検討する テンプレート:Ko icon、ハンギョレ、2006年4月26日。
  16. 朝日新聞 2010年1月6日
  17. テンプレート:Cite news
  18. 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年154頁。
  19. 19.0 19.1 19.2 テンプレート:Cite web
  20. 『大韓の涙』 SBS、1992年9月放送。
  21. 『2007 新ライダイハンの涙』(テンプレート:Lang-ko-short) SBS、2007年6月3日放送(テンプレート:Cite web)。
  22. 22.0 22.1 テンプレート:Cite web
  23. SBS、2008年放送(テンプレート:Lang-ko-short〈黄金新婦〉)。一部メディアでは『黄金の花嫁』とも表記される。テンプレート:Cite web
  24. 読売新聞、1985年4月15日、1995年5月2日、1996年12月3日。