侵略

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侵略(しんりゃく、aggression)とは、国際法上、ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権領土独立を侵すことを意味する。軍事学概念としての侵攻(invasion)が目的を問わず相手方勢力・領域を攻撃する行動を指すのとは異なり、相手の主権・政治的独立を奪う目的の有無に注目した用語である。また、侵略のために武力を行使して戦争を起こすことを侵略戦争と言う。

侵略定義の模索

テンプレート:単一の出典 現代国際法上における侵略の定義については西欧国際法における国際犯罪概念の発展段階により徐々に形成されてきたものであった。国際連盟期における国際連盟規約11条、ジュネーブ議定書ロカルノ条約不戦条約などで戦争の違法化が合意されつつあったものの、侵略の定義化は非常に困難であった。オースティン・チェンバレンは侵略を定義すれば無実のものにとっては罠となり、侵略を企図する者にとっては抜け道を探すための基準となると述べ、その定義化に反対しているテンプレート:Sfnラムゼイ・マクドナルドが「侵略の責任の帰着を判定するの能のある者は戦後五十年を経て筆を執る歴史家であって、開戦の際における政治家にあらず」と述べているテンプレート:Sfn。その後国際軍縮会議で一応の合意が見られたのは、国際条約上の義務を無視して開戦した場合に侵略とされるということであったが、条約違反の認定で相互に意見が異なるのは当然であり、問題が完全に決着したとは言い難い情況であったテンプレート:Sfn

明文として侵略を定義した条約としてはソビエト連邦および周辺諸国を中心として締約されたテンプレート:仮リンクが最初のものである(1933年7月3日署名、1933年10月16日発効)。しかしこの条約自体は東欧圏を中心とした8カ国(のち9カ国)によるものにとどまり、国際的な承認を受けたものとは言いがたいものであった。

国際連合による侵略の定義の決議

テンプレート:Main 国際連合発足後、朝鮮戦争に関する討議が行われている最中の1950年11月3日、ソビエト連邦代表は侵略の用件を列挙する形で侵略の定義の決議案を提出した。しかし列挙方式か、一般的抽象表現で行うかについて争いがあり、いずれの提案も成立しなかったテンプレート:Sfn。その後たびたび侵略の定義に関する特別委員会が設置されて討議が行われたが、結論が出たのは24年後の1974年になってからであり、12月14日国際連合総会決議3314が成立したテンプレート:Sfn

しかしこの総会決議による定義は各国に対する拘束力はなく、現在もある国家実行を侵略と認定するのは国際連合安全保障理事会に委ねられている。国連総会で侵略の定義についての一応の合意があったことは事実ではあるが、依然としてその解釈や有効性については争いがある。

2010年6月11日カンパラで開かれた国際刑事裁判所ローマ規程再検討会議において、国連総会決議3314を下地に規程独自の定義を盛り込んだ同規程の改正決議が採択された。同規程の改正は2012年5月現在発効していないが、ローマ規程の締約国(現在121カ国)に憲法上の手続きに則った批准を求める点で、これまでの国際条約の中で最も拘束力を持つ定義となる可能性がある。(→侵略犯罪

脚注

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参考文献


関連項目