ユルゲン・コーラー

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テンプレート:サッカー選手 ユルゲン・コーラーJürgen Kohler1965年10月6日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ランプスハイム出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー。現役時代は「鋼のストッパー」の異名で知られた名ディフェンダーであった。

略歴

1977年、地元のクラブチームであるTBヤーン・ランプシャイムでキャリアをスタート。SVヴァルトホーフ・マンハイム在籍中の1986年9月26日のデンマークで当時の西ドイツ代表としてデビューを飾る。翌年には当時ドイツ・ブンデスリーガのトップチームであった1.FCケルンへ移籍。クリストフ・ダウム監督の下、国際レベルのディフェンダーに成長。さらに1989年にはバイエルン・ミュンヘンに移籍し、着実にドイツを代表するプレーヤーへと成長を遂げた。

1990年にはワールドカップ・イタリア大会に出場し、優勝に貢献。翌年にはセリエAユヴェントスFCへの移籍を果たし、マンツーマンディフェンスを重視するジョバンニ・トラパットーニ監督の下、全幅の信頼を獲得し、世界最高のストッパーと称され、セリエAでは最優秀外国人選手賞を獲得する。ただ、94年に就任したマルチェロ・リッピ監督の下では、ロベルト・バッジョ同様冷遇され、翌年・ドイツへ帰国。

その後代表としては1994年ワールドカップ・アメリカ大会UEFA欧州選手権19961998年ワールドカップ・フランス大会に出場。クラブチームでは1995年ボルシア・ドルトムントへ移籍し、2002年に選手生活から引退した。引退試合となった2002年UEFAカップ決勝のフェイエノールト戦では、一発退場処分という結果となった。これに関してコーラーは「服についた小さなシミみたいなものだ」と振り返っている

引退後、ドイツU-21代表監督、バイエル・レバークーゼンのスポーツディレクター、MSVデュイスブルク監督などを歴任したが、いずれも良い結果を残すことは出来ず、全て短期間で退いていた。

2008年の夏よりドイツ3部に所属するVfRアーレンの監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。

所属クラブ

獲得タイトル

エピソード

ドイツでよく使われる「サッカーの神」(Fussballgott)という言葉は元々コーラーのために謳われた愛称。ボルシア・ドルトムントの一員として1996-97シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝、マンチェスター・ユナイテッド戦において、相手フォワードのエリック・カントナの繰り出すシュートを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った。この活躍がドイツのサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドイツ中のサポーターが謳う様になった。

その後、ドイツ・ブンデスリーガで活躍した他の選手などにも頻繁に「サッカーの神」と謳われる様になったが、「ユルゲン・コーラーこそ唯一のサッカーの神だ!」("Jürgen Kohler ist der einzige Fussballgott!")と他選手にも同じ愛称をつける事に反発するサポーターも多い。

外部リンク

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